報告①/BeSeToシンポジウム「演劇におけるポストヒューマン的転回」
多元性と共生:伝統文化の遺伝子に刻まれた未来の戯劇を活性化させるコード/周琰(脚本家、蘇州文学芸術創造センター、中国)(翻訳=崎原麗霞)



はじめに
ポストヒューマニズムは、近代ヒューマニズムへの反省と批判から生まれた、複雑な哲学的・文化的潮流であり、人々に世界と人類をよりオープンで多元的な視点から捉えることを促す。テクノロジーと人間性の融合が当たり前になるにつれ、人生経験に最も密接に結びついた芸術形式である戯劇は、主体性の定義から時空の論理へ、美的パラダイムから観客とパフォーマンスの関係に至るまで、包括的な変革を迎えることになる。本稿では、中国におけるポストヒューマニズム戯劇の実践と私自身の創作経験に基づき、このテーマに関する私の考えと知見を述べたい。
Ⅰ.ポストヒューマニズムがもたらした戯劇の本質的な変化
ポストヒューマニズムによる人間に関する定義の再構築は、まず戯劇の核心である「理性的主体」の唯一性を揺るがす。伝統的な戯劇において、人間は常に舞台の絶対的な中心に位置してきた。西洋戯劇は個人の意志の衝突に焦点を当てるのに対して、中国の戯曲は倫理思考を解釈する役割を持ち合わせ、人間の認知と行動が意味を生成する唯一の源となる。しかし、ポストヒューマンの文脈においては、AI、バイオテクノロジー、そしてデジタルネットワークが人間と同等の「実存的参加者」となりつつある。この変化は、三つの破壊的な変化をもたらすだろう。
1.主体の分散化による戯劇の物語論理を完全に破壊
未来の戯劇舞台では、人間の俳優が、AIが生成した仮想キャラクター、バイオアートインスタレーション、さらにはアルゴリズムによって生成された「デジタルゴースト」と共演するようになるかもしれない。これらは、もはや人間に従属するのではなく、独立した物を語る力を持つ「共演者」となる。この「人間と機械の共同創作」は、創作者と表現者の境界を曖昧にし、戯劇を「人間の独白」から「多元的な存在による対話」へと変容させる。
2.時空の仮想化と流動化による戯劇空間の境界の再構築
ポストヒューマニズムは物理的な時空間の絶対性に疑問を投げかける一方、メタバース技術の発展が、戯劇を劇場の物理的な制約から解放しつつある。観客はVRデバイスを通して仮想舞台に入り、世界中の見知らぬ人々と「デジタル空間」を共有することができる。俳優の身体動作はリアルタイムのデータストリームに変換され、アルゴリズムによって生成される光と影、音響効果ともとに動的に相互作用する。仮想空間はもはや観客の想像力に頼るものではなく、多感覚的なインタラクションを通して「没入型空間」を作り出す。
3.異種間の美的パラダイムの統合による戯劇の表現の次元の拡大
ポストヒューマニズムは、「サイボーグ」や「バイオメカニクス」といった学際的な存在に焦点を当てている。このハイブリッド性が、新たな戯劇美学を生み出している。ダンスには機械関節の拡張、セリフにはアルゴリズムによって生成された非線形言語、衣装には俳優の生理学的データをリアルタイムで反映するバイオセンサーが埋め込まれるかもしれない。この美学はもはや「人間の感情の真の再現」を追求するのではなく、「異種間の知覚共鳴の可能性」を探求するのである。
現在、中国におけるポストヒューマニズム思想の影響は、主にSF小説とSF映画領域に見られる。戯劇舞台作品にも、李建軍監督の「ポストヒューマン三部作」(『変身』『二日間の世界』『巨匠とマルガリータ』)のような、探求的な演劇作品がある。彼の作品は、「三重世界」を劇場空間、映像空間、そして現実空間という三層構造へと変容させ、舞台言語と現代技術を融合させることで、人々に現実と仮想空間の狭間での人間存在の再考を促す。中国では昆曲のデジタル化研究も進み、昆曲の演目体系の「身体データ言語」をデジタル技術で認識可能なアルゴリズムモデルへと変換している。これは教育実演や芸術研究に活用できるだけでなく、将来的にはAR技術と融合することで新たな舞台形態を生み出す可能性もある。西洋のテクノロジーアプローチがポストヒューマンドラマの探求の主流となるにつれ、中国の戯劇、特に中国の戯曲が新たな可能性をもって応えることができるだろう。




