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 日本の最西端に位置する「国境の島」、与那国島(沖縄県与那国町)が直面する現在進行形の問題が、「家族の物語」というフィルターを通すことで、よりビビッドに迫ってくる。国の事情、島の事情に翻弄されながらもたくましく生きる家族の姿には普遍性があり、一方でいつものことながら沖縄と本土との温度差に愕然とさせられる。

 那覇を拠点に演劇を制作するエーシーオー沖縄による『国防まんじゅう顛末記』(21~26日、那覇市・ひめゆりピースホール)だ。戦後80年企画のラストとなる第8弾。那覇在住の伊波雅子が与那国に取材をして書き下ろし、藤井ごうが演出した。ほぼオールローカルキャストによる方言を交えた芝居が磁力と説得力を生む。

 物語の中心は、与那国の田原家である。良夫(当銘由亮)と里子(知花小百合)の娘凪子は、事故のため那覇の病院で7カ月も昏睡状態が続いている。治療費を補うため、まんじゅうを作って商売をしようということで、八重山から戻ってきた凪子の妹夏海(宮城はるの)、おいのサンタ(齋藤慎平)も一緒になって試作に精を出す。

エーシーオー沖縄 戦後80年企画『国防まんじゅう顛末記』
脚本=伊波雅子
演出=藤井ごう
2026年3月21日(土)~26日(木)/ひめゆりピースホール
撮影=坂内太

 

自衛隊配備10年の現在地絡ませ

 一家の苦悩や奮闘に、自衛隊配備が始まって10年となる与那国の現在地、現代史が巧みにより合されていく。

 与那国は沖縄本島の那覇からは500km以上、石垣島からでも127km離れているが、台湾との距離は111kmしかない。米軍占領下、1950年の朝鮮戦争開戦前までは、台湾や香港、フィリピンなどとの「密貿易」で栄え、86年には島の南端で大きな石の構造物が見つかり「海底遺跡か」と騒がれた。2004年には周辺自治体との合併を問う住民投票があったが、住民は「一島一自治体」を選び、「自立ビジョン計画」を策定し、国境の島の特性を生かして台湾航路開設など「国境交流特区」を国に申請する。だが、2回にわたって却下され、代わって自衛隊誘致計画が台頭。賛成、反対を巡って島が分断されることになる。

 島には16年から陸上自衛隊のレーダー部隊が駐屯するようになり、中国の軍事力増強を背景に配備はさらに進み、「有事」の際の避難先も示された。30年にはミサイル配備が予定されている。

 そんな島の事情を反映するかのような、「まんじゅう」の変遷が面白い。良夫の母で亡くなったカズばあちゃんが「海底遺跡まんじゅう」「自立ビジョンまんじゅう」「台湾まんじゅう」を作ってきたということに、田原家のバイタリティーがうかがえる。そして良夫たちがいま作ろうとしているのが「国防まんじゅう」だ。

 良夫の同級生でミサイル配備反対の署名運動をしている由美子(城間やよい)や、夏海が付き合っている島に赴任してきた自衛隊の幹部候補生・宮崎(比嘉崇貴)を絡ませ、島と島の人々の置かれた状況がリアルに浮かんでくる伊波の作劇が巧みだ。思惑がすれ違う宮崎と夏海との関係は、本土と沖縄のアレゴリーのようにも映って痛々しくも切ない。

 

重いテーマ、生活感あるセリフで

 与那国町の診療所を指定管理している民間医療機関が再契約を断ってきたという実際の問題も、田原家のみならず島の生活に影を落とす。自衛隊の駐屯で人口は少し増えたが、島を出ていった人は戻ってこない。すぐに娘のところに飛んでいきたいのに、飛行機は予定通り飛ばなかったりする。

 いろいろな「事情」を背負わされた離島の現実がヒリヒリと伝わり、夏海が放つ「生まれたとこガチャ」という言葉が胸に刺さる。それでも理想や夢は忘れたくない。良夫の幼馴染みで、「海博士」と言われていた今は亡きアキラ(比嘉の2役)と良夫との幻想シーンは物語のメッセージを担う根幹であり、秀逸な場面となっている。

 「日本の外れってことは、つまり世界の始まりってことにもならんか?」というアキラのセリフが、現実を撃つ。人間が決めた国境とは関係なく、波も風も魚も行き来する海の世界を説くアキラを思い出すことで良夫の心境が変化していくさまも、丁寧に見せていくのがいい。

 テーマが重いだけに、ややもすると説明的な芝居に陥ってしまいがちになりそうだが、伊波のユーモアあふれる筆致はぶれずに家族にフォーカスする。演出の藤井も、生活感覚に落とし込んだセリフ、たたずまいに心を砕き、俳優陣も応える。

 飄逸さが持ち味の当銘が良夫の厚みをうまく見せ、知花の熱い演技に母の愛の深さが伝わる。宮城の夏海が健気で、サンタと夏海の友人ヒロトと二役の齋藤が芝居に抜け感を生む。比嘉のアキラはまっすぐで、セリフを明晰に粒立てて届けてくる。生演奏によるコミカルな歌(寺田英一音楽・演奏、伊波はづき演奏)も潤滑油となり、客席の笑いが親密な空間づくりに一役買う。

 地元では正面切って議論するのはなかなか難しい問題でもあり、かたや本土ではほとんど報道されない。けれども芝居というフィクションの形を借りることで、改めて考えたり、語り合ったりする意義は小さくない。経済的な問題もあるだろうが、沖縄だけでなく東京など本土でこそ上演する意味があると痛切に感じる。いまの日本が抱えるひずみや格差を改めて思う。