NINAGAWA×RSCによる辛口の現代批評――Bunkamura Production 2025『KING LEAR リア王』/田村真弓
はじめに
Bunkamuraが日本と海外のクリエイターの共同作業のもと、優れた海外戯曲を今日的な視点で上演するというDISCOVER WORLD THEATREシリーズ、第15弾となった『KING LEAR リア王』(作=ウィリアム・ シェイクスピア/上演台本・演出=フィリップ・ブリーン/翻訳=木内宏昌/2025年10月9日~11月3日/THEATER MILANO-Za)は、NINAGAWA MEMORIALと銘打って、2016年に没した演出家、蜷川幸雄の日英をつなぐ演劇上の功績を称えつつ、見事に現代性を映し出した稀代の名作となった。
豪華な宮廷―過去の栄光
暗闇の中、タバコをふかしたジョーカー風の道化(勝村政信)が意味ありげにほくそえんで、舞台は始まる。そこは往時の大英帝国の栄光を描き出す巨大な戦争絵画が飾られた宮殿の一室。大竹しのぶ演じる三つ揃えのスーツ姿のリア王は、OHPでイギリスの地図をスクリーンに写し出し、「愛情テスト」を試みて三人の娘に分割するも、末娘のコーディリアの「何もありません」に激怒し、彼女を勘当する。そこから、リアの狂気と転落が始まる。

作=ウィリアム・シェイクスピア、翻訳=木内宏昌
上演台本・演出=フィリップ・ブリーン
2025年10月9日(木)~11月3日(月・祝)/THEATER MILANO-Za
撮影=細野晋司
最初の見どころは「男装のリア」である。「男装のリア」といって思い起されるのは、1997年に女性として初めてイギリスのプロの舞台でリア役を演じたキャスリン・ハンターである。ハンターはロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)で活躍したイギリスを代表する女優であり、2022年の夏、ロンドンのグローブ座の舞台で再びリア役を演じた。ちなみに、1997年の上演はフェミニズムの見地からリアの女性性に注目が集まったが、男女逆転のキャスティングが当たり前となった2022年の上演はリアの老いを強調したようである。この名女優に日本で匹敵しうるのは、言わずもがな大竹しのぶであろう。その大竹にとって『リア王』は思い入れの深い作品であるそうだ。中学二年生の時の文化祭で、自ら20分の劇の脚本を書き、コーディリア役を演じたと語っている。そんな大竹の役作りは「特に男性っぽい声を出そうとはしていません」というもので、性別を超え、年老いて人生に疲れた人間、リアを生み出した。
うらぶれた公園での嵐―ホームレスへの転落
場面は変わって、長女ゴネリルの食客となったリア一行は、乱暴狼藉を叱責されて腹を立て、次女リーガンの元へ向かう。このリーガンの屋敷は、すべり台、ブランコ、シーソー、サッカーボールが転がる公園として表現され、道化がふざけて昇降するすべり台はリアの転落を象徴する「運命の車輪」になる。またしても冷たい仕打ちを受け、居場所を失ったリアは「娘よ、狂わせないでくれ」と嘆きつつ、嵐の中へ出ていく。
ここで本水を使った嵐の場面となる。客席に水がかかるほどの水量を用いたこの演出には疑問の余地があるだろう。本来、リアの内面の嵐と外界の嵐が共鳴するこの場面では、嵐はリアの台詞を通じてのみ伝えられ、その激しさは観客の想像力に委ねられるべきである。雨にうたれ、「物がないというのは不思議な魔法だ」と悟りの境地に至ったリアは、「哀れな道化よ」と道化のほおに触れる。この時、大竹演じるリアは、勝村演じる道化の顔のおしろいを手に取り、自分のほおにつけた。落ちぶれた王と道化が対等につながったのである。ここでの道化の予言が効いている。「老いぼれていくこの国は、子どもが生まれず年寄りばかり。貧しい若者、彼女もできず、未来の子どもにツケだけ残す。」まさに現代の日本社会を諷刺しているではないか。これはシェイクスピアのテクストを現代に蘇らせた瞬間であった。
今や白い長シャツ一枚になったリアは、暖をとるために、さびれたバス停といった風情のボロ小屋に入る。蔦がからまり、落書きが書かれ、ゴミ箱はゴミであふれかえっている。格差社会の現実を映し出す一風景である。
一方、リーガンの屋敷では、グロスター伯爵と嫡子のエドガー、私生児エドマンドをめぐる副筋が進行している。愚かな父親グロスターは、誠実な息子エドガーを野心家のエドマンドの甘言によって見誤り、エドマンドに裏切られて両目をえぐり取られる。演出家フィリップ・ブリーンは、この悲劇にも現代性を付与する。それは「召使い1」と「召使い2」の存在である。傍観者に徹する「召使い2」に対し、「召使い1」は「これまでのお仕えなどは何ほどでもない。ここでお止めするのが一番の務めと存じます」と、無謀とも言える狂気の沙汰でコーンウォール公爵に刃向かって殺される。ブリーンは為すすべもなく悲劇を見つめる「召使い2」であろうとする我々に、「召使い1」のような狂気を示せと告げているのである。ここで第一幕が終わる。




