おもちゃ箱でみる二つの夢―インクルーシブな『夏の夜の夢』――座・高円寺『夏の夜の夢』/田村真弓
はじめに
人がみる夢には大きく分けて二つある。睡眠中にみる幻覚の夢と将来実現したい理想の夢。2025年9月23日から10月11日にかけて、座・高円寺1で上演された『夏の夜の夢』(2024年初演。原作=W. シェイクスピア、小田島雄志訳による/上演台本=岩崎う大/演出・作詞=シライケイタ)は、この二つの夢が混じりあった「夢」の世界を表現したものだった。
本作は杉並区が主催する「劇場へいこう!」プログラムの一環であり、中学生以下は何度でも無料で鑑賞できる、子どもに開かれた上演であった。しかし、それ以上に、全ての人に開かれたインクルーシブな上演を目指していた。シライケイタと手話通訳者による上演前のプロローグでは「劇場を障がい、国籍、性別、子ども、大人といった、いろいろな人が集まる、誰にとっても安全な場所にしたい」との思いが語られた。そのため、耳の聞こえない、聞こえづらい、ろう者の観客に対して上演台本と字幕タブレットが無料の予約制で貸し出され、手話通訳者が舞台上に妖精役で登場した。こうした努力が実を結び、劇場内には字幕タブレットを使うろう者とおぼしき人々と、はしゃぐ子どもたちの姿が数多く見られた。
何もない空間からおもちゃ箱へ
舞台が始まるとそこは一面の白い世界だった。舞台中央に白い箱。白く塗られた三角コーン。丸・三角・四角を積み上げた白い柱が、後方中央に二本。左右に六本の白い柱。天井には吊り下げられた電球の連なり。これが「何もない空間(the empty space)」で上演されたピーター・ブルックの『真夏の夜の夢』(1970)へのオマージュであることは容易に推測できる。「白い空(から)の箱」の中でサーカスをモチーフにして祝祭的に演じられたこの上演は、1973年の来日公演により、日本の演劇界に衝撃を与えた伝説の舞台であった。しかし、シライケイタ本人が語るところによると、彼に最も影響を与えた上演は、蜷川幸雄の『夏の夜の夢』(1994)であった。周知のように、シライは蜷川幸雄演出の『ロミオとジュリエット』(1998)のパリス役で俳優デビューを飾っている。この上演では、白い砂のまかれた石庭を背景に、日本語を話せない京劇の役者がパックを演じ、その台詞をライサンダー役の松田洋治がマイクで語った。後述するように、この方式が今回の上演で生かされているのである。
この白一色の世界へ、白い衣装に身を包んだ俳優たちが登場してくる。子どもの観客を飽きさせないためか、原作のシェイクスピア劇からは大幅に改作され、上演時間70分で七人の俳優が複数の役をこなすテンポの良いドタバタ喜劇となっている。
原作通りに森に駆け落ちする恋人たち。そして、舞台はアテネの森に変わる。そこはディズニーランドさながらの妖精ランドであり、まさにおもちゃ箱をひっくり返した「夢の国」である。舞台上の白い柱が裏返るとそれはカラフルな積み木だった。木に吊るされた服は、役者という着せ替え人形のための衣装。床一面に散らばる青と緑のカラーボールは、喧嘩してぶつけ合っても決して怪我をしない。ここでは、人間も妖精も動物(ロバ)も、分け隔てなく童心に返って思い切り遊ぶことができるのだ。

原作=W.シェイクスピア(小田島雄志訳による)
上演台本=岩崎う大
演出・作詞=シライケイタ
2025年9月23日(火・祝)~10月11日(土)/座・高円寺1
撮影=梁丞佑
差別・分断・闘争のない世界を目指して
20世紀の批評史をみると、『夏の夜の夢』は差別・分断・闘争の劇であった。男性が女性を所有物のように扱うのはジェンダー差別を、インドの小姓をめぐる諍いは東洋と西洋の分断と植民地主義を、貴族と庶民の対比はマルクス主義による階級闘争を表すと言う。こうした解釈を踏まえて、座・高円寺の『夏の夜の夢』は差別・分断・闘争のない世界を提示することを意図していた。男同士の剣を用いた血なまぐさい争いは平和な「早寝競争」に転換され、インドの小姓にいたっては言及すらされず、貴族たちにこき下ろされる職人たちの寸劇も上演されない、というように。
しかし、残念なことに、全ての人を包摂することは不可能であった。「臭い」や「ロバ男」といった差別的な用語を台詞から消し去ることはできず、男性同士の偶然のキスへのふざけた反応や劇中劇で女性役を演じることになった男性のつくるシナに不快感を示した観客もいた。
それでもこの夢の国では、ややもすると差別される側であるパックとヘレナが輝きを放つことに成功した。ろう者のパック(西脇将伍)の存在は「インクルーシブな社会の実現」という劇のテーマを裏書きする。声を発しないパックは台詞を手話で表現し、他の役者がマイクを使ってパックの台詞を語る。観客は初めこそ舞台上で繰り広げられる手話に対して身構えていたものの、いつしかその違和感は消え、妖精という役柄も相まって、手話のパックは自然と劇に溶け込んでいく。ちなみに、シライによると、当初パック役にろう者を当てるつもりはなかったが、厳正なオーディションを経て西脇を選んだそうである。その試みは確かに成功した。人間と妖精と動物をつなぐ西脇のパックなくしては、インクルーシブを標榜するこの劇は完成しなかったであろう。

ジェンダー差別の解消?―女性上位の結末
一方、女性が受けるジェンダー差別に大きく関わるのがヘレナである。ヘレナ役の山﨑薫は舞台上での早着替えをこなし、ヒポリタ/ヘレナ/タイターニアという一人三役の大奮闘をする。アマゾンの女王ヒポリタと妖精の女王タイターニアが一人二役なのは、シライに影響を与えた蜷川幸雄もかつて用いたよくある演出だが、ここでは世にも稀な三役である。しかし、それには理由があった。山﨑の活躍が、男性優位のジェンダー差別の解消を図ろうとする女性上位の結末に大いに貢献しているのである。
オーベロンは、森の中を彷徨うヘレナに不思議と惹かれ、ヘレナとディミートリアスの仲を取り持とうと『恋を咲かせる花』の蜜をディミートリアスの瞼に塗るようにパックに命じる。「どうして、その女のためにわざわざそんな?」と尋ねるパックに、オーベロンは「・・・正直に言うとなあ、凄く素敵な女性に見えたんだ」と答える。それもそのはず、ヘレナはタイターニアからの山﨑の早変わりで演じられる。そして、シェイクスピアの原作に見られないこのくだりは、タイターニアへの愛をオーベロンが再確認するハッピーエンドの伏線になっている。
そして、終幕では「私はタイターニアが好きなんだ」と認めるオーベロンに、タイターニアは「やっと素直になったわね」と返し、「ロバ男を好きになったのは全部お芝居よ」と種明かしをする。要するに、全てはタイターニアが仕組んだ筋書きだったのである。しかし、この結末で全てが丸く収まるとは到底思えない。女性が男性を欺く女性上位のこの仕掛けは、余りにも安易で唐突すぎないだろうか。

おわりに
理想に満ちた21世紀が四分の一過ぎた現在、世界で戦争は続き、富める者と富まざる者の格差は広がるばかりである。大人と子ども、人間と妖精、貴族と庶民、男性と女性、ろう者と聴者―全ての者が混じりあい、争いなく暮らす分断や差別のない世界。目覚めたボトムが言うように、全ては「前代未聞のムチャクチャな夢」だったのか。
それでも希望は残されている。劇の最後にパックの手話のみでエピローグが語られる時、観客はもはや当初の戸惑いは感じない。パックと共に夢の世界を経験した観客には、手話を受け入れることがすでに当たり前になっている。そして、劇が終わった後で、天井から一つのカラーボールが落ちてきた。パックはそのボールを観客に投げ、観客の一人がそれを受けとめる。確かにメッセージは伝わった。終演後、「楽しかった!」と劇場にこだまする子どもたちの声。劇場で「夢」をみたあの子たちが大人になった時、もう一つの「夢」が叶いますように。
(2025年9月27日観劇)




