戦後80年の夏をふりかえる②――杉本修羅能『巣鴨塚 ハルの便り』/新野守広
トラッシュマスターズ『廃墟』『そぞろの民』に続いて、現代美術作家として世界的に活躍する杉本博司氏の原作による杉本修羅能『巣鴨塚 ハルの便り』について記したい。
『巣鴨塚 ハルの便り』は、敗戦直後の極東国際軍事裁判でA級戦犯として死刑判決を受け、巣鴨プリズンで処刑された板垣征四郎の霊が現れる新作能である。2025年3月にリニューアルされた目黒の喜多能楽堂で同年8月15日に上演された。副題にある「ハル」は、大日本帝国首脳部が対米開戦を決断するきっかけとなったハル・ノートのことである。

杉本博司『能 巣鴨塚(修羅能)』(「新潮」2013年1月号掲載)
能本:川口晃平(能楽シテ方観世流)
演出:大島輝久(能楽シテ方喜多流)
作調:亀井広忠(能楽大鼓方葛野流)
2025年8月15日/十四世喜多六平太記念能楽堂
撮影=前島吉裕(小田原文化財団ホームページより)
私は能に詳しくないため、ここでは一観客として、心を動かされた点、興味を抱いた点、気になった点などを記してみたい。話が舞台から逸れることもあるかと思うが、容赦願いたい。
以下、まず杉本氏の原作、次にそれをもとに作られた謡本、最後に私の観劇体験という順序で述べていこうと思う。
1.原作『能 巣鴨塚(修羅能)』
杉本氏の原作『能 巣鴨塚(修羅能)』は、雑誌「新潮」2013年1月号に発表された。わずか8頁であるが、関東軍高級参謀や陸軍大臣を務めた板垣征四郎が巣鴨収監中に自らの一生を振り返って記した未発表の長文の漢詩「自序」を全文引用し、彼の人生を再構成したものである。地謡、ワキ、前シテ、後シテ、後後シテ、通訳が登場し、場面はト書きで指示される。能の形式を借りた実験的パフォーマンスのための素描といった特徴を備えているように思う。
唐土からの旅の僧(ワキ)が巣鴨塚で塚守の老人(前シテ)に出会う。老人は満州国の夢を語り終えると、自分は板垣四郎常信の霊であると名乗り、退場する。不思議に思ったワキが霊を弔おうと御経を唱えると、後シテとして現れた板垣の霊が自序の舞を舞い、漢詩を謡う。日米開戦を告げるラジオ放送が流れたり、漢詩を現代語に訳すサラリーマン姿の通訳が現れたり、といった趣向もある。
とくに最期の場面は印象深い。死に装束の白い衣装を着た後後シテ(板垣四郎、咎人の姿)が登場して、漢詩を最後まで謡い、辞世の句を詠んだ後、自ら縄を首にかけ、絞首刑を受ける。この刑死をもって舞台は暗転するが、闇の中、地謡が「国破れて山河あり(……)」と謡い出し、「セリより光束と共に五輪塔の塚が迫り上がり、静止して数秒後に再び暗転」して終わる。巣鴨での絞首刑のイメージを光束と五輪塔の塚の生成を通して現前化することで、死が永生に反転する様を垣間見せようとする作者の意図が表現されていると思う。
『杉本博司自伝 影老日記』(新潮社,2022年)の「能 巣鴨塚」を読むと、杉本氏のモチーフのありかがよくわかる。これは日本経済新聞「私の履歴書」第27回(2020年7月28日)を改題・増補したもので、「私の太平洋戦争関連資料に新たな1点が加わった」という一文から始まる短いエッセイであり、板垣の漢詩のコピーを入手した経緯についても書かれている。巣鴨プリズンに収監された板垣征四郎が、死を覚悟していたA級戦犯全員に揮毫帳を回し、その胸の内を書くように求めたのが発端であるという。ほとんど無償で働いていた日本側弁護士にお礼として進呈しようという気持ちだったらしいと杉本氏は推測している。
この揮毫帳のコピーは、杉本氏が戦争画展に関連して市ヶ谷の防衛省を訪れた際、予定を大幅に超えた会見の最後に手渡されたという。最初の頁に達筆の墨書で「感無量」昭和丁亥、秋、征四郎書、とあり、以下、東條英樹、広田弘毅、嶋田繁太郎らの簡潔な漢詩が続き、最後に板垣の自序と題された長文の漢詩のコピーがついているという。
『影老日記』によると、板垣の漢詩は、軍人としての、自身の長い一生を簡潔に表現するものであり、読み方によっては自己弁護の書とも読めるものであるが、これを読んだ杉本氏は「満州事変の当事者となり、朝鮮軍司令官も務め、大将にもなった人が、敗戦の失意の中で死を迎える心境を語る、ある意味で、平家物語を今の世に聞くような感慨に囚われた。私はこの漢詩は能の謡として翻案できるのではないかと考え始めた」(187-189頁)という。ここには、鎮魂という修羅能の特性に着目して、先の大戦の罪を背負って死んだ板垣の霊を弔おうとする杉本氏のモチーフを読むことができると思う。
杉本氏は、2014年12月23日深夜零時20分、「板垣征四郎大将が絞首台の露と消えた時刻に」(191頁)、巣鴨プリズン跡地の公園の石碑の前に立ち、台本を献じて黙祷をささげた後、2015年11月に巣鴨プリズン跡地に近い、あうるすぽっとで、実験的な能仕立ての朗読劇『春の便り~能「巣鴨塚」より~』を開催した。残念ながら私は見ていないが、原作の実験性にふさわしい朗読劇だったのではないかと想像する。今から10年前のことである。
2.謡本
杉本氏の原作を能として上演するには、原作を踏まえた上演台本(謡本)が作られねばならなかった。
「能楽タイムズ」2025年8月1日号には、シテ方喜多流の大島輝久氏とシテ方観世流の川口晃平氏の対談が掲載され、実際の上演に欠かせない謡本がどのように作られたのかが詳しく語られている。それによると、杉本氏の原作は、大島氏の手を経て、川口氏が能本を、大鼓方葛野流の亀井広忠氏が作調を担当して、複式夢幻能の形ができあがったという。コロナ禍での中断を乗り越え、演出は大島氏、地謡は観世流、シテは喜多流という、異流共演の今回の能公演が実現にいたった経緯も詳しく述べられている。
原作は能の形式にとらわれていない。たとえばシテは、前シテ(塚守の老人)、後シテ(北支の守・板垣四郎 常信)、後後シテ(板垣四郎 咎人の姿)という形で3回登場する。ト書きには、通常の能舞台には備えられていないセリを使う指示もある。
しかし実際の舞台は、いわゆる複式夢幻能の形式に見事に収まっていた。日米開戦を告げるラジオ放送が流れたり、漢詩を現代語に訳すサラリーマン姿の通訳が現れたり、君が代が流れて終戦の詔勅が読まれたり、後後シテが登場したり、といったことはなかった。一つひとつの章句も謡のリズムによく合うものに書き改められており、原作の翻案といってもよいものと思われた。
3.上演について
当日、観客にとって嬉しかったことに、無料配布されたプログラムに謡本が掲載されており、そこには板垣の漢詩も全文掲載され、現代語訳も添えられていた。公演中、客席は明るいままだったため、謡本を膝の上に広げて観劇できた。言葉の意味がその場でわかったおかげで、落ち着いて上演に集中できた。上演前に杉本氏の解説が15分ほどあり、氏のモチーフに触れることができたことも、舞台への集中を高めたと思う。
能舞台の正面客席に接するあたりに、独特な字体で「巣鴨塚」と書かれた木製の墓標が立っている。ここは巣鴨近辺の骨董市で、正面に巣鴨塚があるという設定である。アイ(この辺りの者、野村太一郎)が現れ、満州国時代の骨董品を見つける。アイが往時の五族協和、王道楽土の夢に思いをはせていると、二人のツレ(舞人、大島衣恵、鵜澤光)が現れ、五族協和の優美な舞を舞う。

二人のツレが舞台を去ると、ワキ(唐土方の僧、御厨誠吾)が語りだす。中国から来たこの僧は、東の都の賑わいに心奪われている最中、寂しい荒れ地にこの塚を見つけたという。塚の由来を知る人を探していると、前シテ(老人、大島輝久)が現れ、塚守であると名乗ってこの巣鴨塚の由来を語りだす。語るほどに気持ちが入る老人は、ついに自分は板垣の大将の亡霊であると素性を明かして、橋掛かりに去る。
中入りになる。アイは杉本氏所蔵の南満州鉄道新京駅の看板を観客に見せるなどして会場をなごませる。そして、やはり骨董市で買ったという巻物を開き、中身を読もうとするが、難しい漢文で読めないところから、ワキ(唐土方の僧)に読んでくれと頼む。ワキは長大な漢詩の一部を朗々と書き下し文で訓読していくが、最後にこれは板垣征四郎が巣鴨拘留中に記した漢詩だと気づき、その霊に出会った奇遇をも思って、板垣の霊を懇ろに弔うべく、南無妙法蓮華経と唱え始める。
すると後シテ(板垣征四郎常信の霊、大島輝久)が現れる。手に槍を持ち、頭巾をかぶり、十寸髭男(ますかみおとこ)という杉本氏所蔵の室町時代の能面をつけた表情は、華やかな衣装とは対照的に、どこか愁いを含み、悲しげにも見える。クリ、クセ、キリと進むうちに槍、扇、刀を振るい、動と静、謡と舞のリズムは高まり、ダイナミックで力強い身体の力動と、衰退の相も見える面との絶妙のバランスのうちに公演は終わった。




