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サイドプログラムについて

 すでに述べたように、本フェスティバルでは下北沢という空間性を生かした多くのサイドプログラムが実施された。23日・25日は、日本とドイツの音楽家集団トラベルムジカによる「路上練り歩き演奏パフォーマンス」に、観客が好きな人形とともに参加するという参加型イベントが行われた。あいにく両日とも雨で屋内開催となったが、老若男女の参加者が様々な形態の人形を持ち寄ってトラベルムジカの即興演奏と移動広告テントに参加した。ほぼ等身大の抱き遣い人形や影絵人形などを操るプロないしセミプロと思しき参加者もいれば、新聞紙で自作したパペットや小さなぬいぐるみで参加した子供もおり、多彩な人形と音楽のコラボレーションに、何度も盛大な拍手が沸き起こった。大人も子供も、プロもアマチュアも、精巧な人形も即席のパペットも、同じように場を盛り上げており、人形劇という媒体によって多様で開かれた祝祭空間が生み出されていたことを感じた。

撮影=寺尾恵仁

 24日のレクチャー①『人形劇×映画・演劇・舞踊』では、映画論の小川佐和子、舞踊論の北原まり子、フランス演劇の田ノ口誠悟のそれぞれが自身の専門的見地から人形(劇)についての発表を行った。小川は溝口健二『浪華悲歌』(1936)、成瀬巳喜男『お国と五平』(1952)、内田吐夢『浪花の恋の物語』(1959)、北野武『Dolls』(2002)を取り上げ、映画に登場する人形浄瑠璃の効果や構造的特性について論じた。特に内田や北野の作品は、独特のカメラワークや美術によって、人間と人形との複雑な関係性を表現していると指摘された。北原は『人形の精』(1897)、『胡桃割り人形』(1892)、『ペトルーシュカ』(1911)、ローラン・プティ振付『コッペリア』(1975)、アンジュラン・プレルジョカージュ振付『結婚』(1989)を取り上げ、バレエにおける人形振りについて論じた。ペトルーシュカというキャラクターの身振りが内向きなのはギニョール(手操り人形)に由来するからではないかという仮説は、人形の構造的特徴と身体表現との相互的な影響関係を説明するものとして興味深い。また『コッペリア』における人間と人形のダンスは、バレエの規範としてのチュチュやトウシューズを性的客体と見なす欲望の可視化だとする指摘が行われた。田ノ口はヨーロッパ、特にフランスにおける人形劇の歴史を概説した。一説によれば、西洋の人形劇の起源は古代ギリシャにおける可動する神像であったが、ローマ時代に劇内容が卑俗化し、類型的役柄が誕生するなど同時代の仮面即興喜劇にも影響を与えたとされる。その後中世キリスト教との関係の中で、人形は宗教的真実性を具現するものとして、むしろ人間の演劇よりも高位にあったという指摘は、西洋演劇史を捉え直す重要な視座だと思われる。また近現代フランス演劇における事例として、太陽劇団や19世紀パリ・ジャポニズムにおける人形/オブジェクトが果たした、文化仲介的役割についても論じられた。

 25日のレクチャー②『スズナリと人形劇』では、ザ・スズナリ支配人の野田治彦が司会を務め、劇作家・演出家の天野天街、糸あやつり人形劇団みのむしの飯室康一、人形劇団ココンの山田俊彦、『しがらみ紋次郎』プロデューサーの岡島哲也をパネリストとして、スズナリにおける人形劇上演についてのセッションが行われた。飯室・山田らのITOプロジェクトによる、天野脚本・演出『平太郎化物日記』(2004)および『高丘親王航海記』(2018)のいくつかの人形が実際に操演され、驚異的な技術とアイデアの一端が披露された。質疑応答で、人形劇の魅力について天野が、人間として生きることの不自由さや不可能性と、人形の表現可能性との間隙から立ち現れる面白さにあるとしたことが印象的だった。

 26日のアリエル・ドロンによるワークショップ『オブジェクト・シアター入門』は、参加者それぞれが思い出深いオブジェクトを持ち寄るよう求められた。行われたエクササイズは、主に以下の三つである。①自分のオブジェクトを精密に観察し、そこから何らかの表現を考える。②何人かで並んで前を向き、自身のオブジェクトを見せる/隠す、別の人を見る/前を見るという動作を即興的に繰り返す。③舞台空間に置かれた二つのオブジェクトを、順番に一つずつ動かす。どれも単純でありながら奥深く、モノとヒトとが時に思ってもみないほど豊かな関係性を生み出すことを体感できた。とりわけ、ワークショップの中でドロンが繰り返し述べた、新しいルールの設定とそれを破ることのバランス、観客が関係性を読み取るための余白の重要性、自身が表現するためのエネルギーを与えてくれるパートナーとしてのオブジェクトといった観点は、それぞれ人形劇にとどまらず演劇表現における普遍的な論点だと思われる。

 日程の都合上参加できなかったが、他のサイドプログラムとして、『STICKMAN』のDarragh McLoughlinによる棒状オブジェクトを用いたカリグラフィー・パフォーマンス、日本・チェコ・アメリカの9つの短篇人形劇上演『第1回インターナショナル・パペットスラム』、パペットスラムに出演したチェコのデボラ・ハントによる砂袋人形を用いたワークショップ、Divadlo Alfaによる子供向け無料公演などが実施された。さらにフェスティバルの期間中を通しての試みとして、アーティストやフェスティバルスタッフによる朝食&トーク、前日の公演やプログラムについての報告文や観客からの自由な感想を掲載するデイリー・ジャーナルが挙げられる。

 主な会場は、ザ・スズナリ(メインプログラム)、下北沢アレイホール(フェスティバルセンター、トーク、レクチャー、ワークショップ)、BONUS TRACK(パペットスラム、トラベルムジカの練り歩き演奏、カリグラフィー・パフォーマンス)の三か所である。それぞれ徒歩で気軽に移動できる近さであり、スズナリに象徴される昔ながらの劇場街とBONUS TRACKという新たな市民社会の余白とが共存する下北沢という土地の多様な魅力にも気付かされた。

 概ね成功と言って良い今回のフェスティバルだが、強いて今後の課題を挙げるならば、国際人形劇祭と銘打ちながらメインプログラムがヨーロッパに偏っていたことだろう。アジアの人形劇については、現代人形劇センターが1993年から「アジアの人形芝居コレクション」として招聘公演を実施しているが、たとえば中南米やアフリカ圏の優れた現代人形劇上演を通して、人形劇/オブジェクト・シアターの更なる可能性に触れてみたいとも思う。今回の下北沢人形劇祭を実現させた、山口遥子はじめフェスティバルスタッフに改めて敬意を表するとともに、2年後に開催されるという第2回の行方を期待を込めて見守りたい。