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1.形態(フォーマット)への問い

 2024年1月6日と7日に、東京・青山のゲーテ・インスティトゥート東京にてnosmosis research 2023による『みえないグラデーション Unseen Gradation』が公開された。nosmosis researchはダンサーであり振付家の湯浅永麻を中心とするリサーチ・プロジェクトである。これは、すでに実施された XHIASMA Researchという異なるジャンルのアーティストや専門家とのコラボレーションによるプロジェクトの方法論とコンセプトを引き継いでいる。リサーチ過程では主として湯浅がダンス・ワークショップを行っていたが、その目的とはその場で多様な人々が対話を繰り返し、様々なアイデアを共有し発展させることである。nosmosis research 2023では、パフォーマーであり振付家のチジャ・ソンを迎えて、海外にルーツやつながりを持つ人を対象に参加者を募り、2023年の9月から2024年の1月にかけて継続的に4つのワークショップを開催した。『みえないグラデーション』は活動期間の最後にあたり開催されたことから、それらの成果でもあり経過報告でもあるといえる。それと同時に、ダンサー/パフォーマー・振付家によるダンス・ワークショップを経たのであれば、これをワークショップ参加者による作品公演として位置づけることもできるだろう

 しかしながら『みえないグラデーション』はいかなる形態のイベントであるかは明記されていない。ワークショップやショーイング、あるいは公演として観て参加するかは観客に委ねられている。その意味で特異ではあるが開かれた形態(フォーマット)を有しているといえる。この形態の特異性を通じてnosmosis research 2023(あるいは湯浅やチジャ)は観客に対して二重の問いを投げかける。 

 一つはダンスとはどのような形態でコミュニケーションを形成できる芸術的なメディアであるのか。現代において、振付作品を観客の目の前で踊る公演だけがもはやダンスの形態ではないことは明白である。例えば作品未満の実験を提示するワーク・イン・プログレスやショーイングあるいはダンサーや振付家の持つテクニックを教授するワークショップなどである。近年ではダンサーたちによるトークイベントもよくみられる。しかしながら、いまだに作品公演はダンスの芸術的な中心的なフォーマットであり続けており、さらにいえば形態が多様になるほど作品公演を求める声もより根強くなる。ある形態におけるコミュニケーションを問うことは、その場に参加する主体は誰であるのかを問うことである。作品公演あるいはワーク・イン・プログレス、ショーイングであれば、ダンサーと観客という二分された主体がその場に居合わせる。しかしながら例えば、ワークショップに参加するのは講師と受講者であり、もはやダンサー/観客という二項対立は存在しない。より正確にいうならば観客として担う役割を受講者は担うわけではない。作品公演を擁護しそれを求めるならば、ダンスがダンス足りうるために求められる主体は、何よりもダンサーでありそれを観て評価する観客の両者だといえるかもしれない。それに対して多様な形態がなおもダンスだと呼べるならば、そこに参加する主体はいかにしてその場をダンスたらしめるのかを説明しなければならないだろう。『みえないグラデーション』は、流動的な形態を用いて、ダンスにはどのような主体が参加しうるのか様々な人々が集う場そのものにおいて、全員に対して問うているといえる。

 二つ目の問いは、上演芸術はいかにして多様な人々を表象させ、参加させることができるのかという問いである。現代の上演芸術ではいまだに不可視になっている姿や聞くことのできていない声があり、その姿を舞台上に出現させる試みが求められている。一方で社会における多様性の包摂を実現するような社会的実践に比べれば、上演芸術ができることなど限られていることもまた事実である。それでもなお「芸術のための芸術」へと安易にひきこもることもなく、同時に単なる社会的実践の補助手段でもなく、上演芸術が社会に対する批判的可能性を保持するためには何を思考すればよいのだろうか。『みえないグラデーション』は確かに海外にルーツや繋がりのある人々が参加しているが、これは社会包摂の一環としてみてよいのだろうか。

 『みえないグラデーション』において、形態に関する芸術的な問いとアイデンティティを巡る社会的な問いが分かちがたく結びつく。その場に集まる人々には芸術的/社会的主体の形成や相互作用について反省する契機が与えられているが、この二つの問いを止揚することはできない。ダンスの規範的ではない形態において現れる人々はどのような主体として他者に応答するのか、そのような応答可能性はダンスの中でどれだけ広げられるのか、その応答の中でどのような社会的アイデンティティであれば認めらうるのか、それはどの程度広げられるのか。『みえないグラデーション』は社会的な包摂の実践であるというよりも、知覚や行為を通じて主体化することの変容をもたらすための芸術的「装置(dispositif)1)Aggermann, Lorenz: Die Ordnung der darstellenden Kunst und ihreMaterialisationen. Eine methodische Skizze zum Forschungsprojekt Theater als Dispositiv. In: Theaterals Dispositiv. Dysfunktion, Fiktion und Wissen in der Ordnung der Aufführung. Lorenz Aggermann, Georg Döcker and Gerald Siegmund (eds.) Frankfurt a.M.: Peter Lang, 2017. pp. 7-32.」であるといえる。装置において人々は権力関係に置かれるが、この権力は支配や抑圧を意味するわけではない。ミシェル・フーコーにならえば、主体間において生じる関係は常に権力と呼びうるのであり、その関係は変容可能である。芸術/社会が独自に持つ規範的事実の自明性が問い直される契機は、権力関係の反省を通じて与えられるといえる。以下ではそのような瞬間を幾つかのシーンをもとに検討したい。

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1. Aggermann, Lorenz: Die Ordnung der darstellenden Kunst und ihreMaterialisationen. Eine methodische Skizze zum Forschungsprojekt Theater als Dispositiv. In: Theaterals Dispositiv. Dysfunktion, Fiktion und Wissen in der Ordnung der Aufführung. Lorenz Aggermann, Georg Döcker and Gerald Siegmund (eds.) Frankfurt a.M.: Peter Lang, 2017. pp. 7-32.