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サブテレニアンプロデュース リーディング公演『ガザモノローグ2023』
原作=アシュタールシアター
翻訳・構成・演出=赤井康弘
2024年2月18日(日)/サブテレニアン
写真提供=サブテレニアン

 2024年2月の週末に東京都内で『ガザ・モノローグ』の2つのリーディングがそれぞれ別の主催団体により行われた。2月18日に板橋区の小スペース、サブテレニアンで行われたリーディング公演『ガザ・モノローグ2023』と、2月24日に立教大学を会場に行われた公開講演会「『ガザ・モノローグ』朗読:パレスチナの声なき声に」である。ここではおもに私が見たサブテレニアンでの公演について記すが、立教大学でのリーディング公演もアーティスト・グループ「理性的な変人たち」を中心に多くの俳優たちと聴衆が参加し、聴き手の心を揺さぶったという。

 

1.『ガザ・モノローグ』について

 『ガザ・モノローグ』は、パレスチナ・ヨルダン川西岸地区に拠点を置くアシュタール劇場(Ashtar Theatre)が2010年に始めた企画である。同劇場のウェブサイトによると、昼夜を問わず上空から攻撃を繰り返すドローンや爆撃機よりもさらに高いところへ人々の声を届けようと、パレスチナ・ガザ地区に住む10代の若者たちが書いた手記をモノローグ集『ガザ・モノローグ2010』にまとめ、ネット上に公開した。現在、31のモノローグが16の言語に翻訳されて、オリジナルのアラビア語版とともに公開されている。背景には、2008年12月から2009年1月にかけてガザ地区に対して行われたイスラエル軍の空爆と地上侵攻があった。凄惨を極めた攻撃のために1400人を超える人々が命を落とした。

 イスラエル軍は、2014年7月から8月にかけてもガザ地区に大規模攻撃を行い、2100人以上の人々を殺害した。この異常な事態を受けて、アシュタール劇場は4年前の若者たちを語り手にして『ガザ・モノローグ2014』を編んだ。

 そして今、2023年10月7日に始まったハマースの攻撃や民間人拉致をきっかけに、イスラエル軍は常軌を逸する規模でガザ地区に無差別攻撃を加えている。こうした中、アシュタール劇場はあらたに『ガザ・モノローグ2023』を公開した。2024年2月25日 時点で16のモノローグがアラビア語版と英語版の双方でアップされている。今回のモノローグは、複数の若い書き手が死と隣り合わせの悲惨な日常を語った『ガザ・モノローグ2010』『同2014』とは異なり、ガザ地区に住む演劇人アリー・アブー・ヤースィーン(Ali Abu Yassin)の署名の入った内的モノローグが多い。その事情は察することができよう。無名の若者たちの声をガザ地区から募るような事態ではないのだ。しかし、その代わりに、一人の書き手が現在進行形で行われている残虐行為を目撃し、記録し、上演可能なモノローグ・テキストとして発信し続けているのである。

 『ガザ・モノローグ2010』『ガザ・モノローグ2014』『ガザ・モノローグ2023』はすべてアシュタール劇場のウェブサイトで英訳を読むことができる(https://www.gazamonologues.com)。同劇場が進めている他のプロジェクト(例えば世界各地の人々の声をガザ地区へ届ける「ガザへの手紙」(Letters to Gaza))もこのサイトで確認できるので、一見して欲しい。

 

2.サブテレニアンプロデュース『ガザ・モノローグ2023』

 リーディング公演『ガザ・モノローグ2023』が行われたのは、東上線大山駅から歩いて5分ほどの住宅地にあるサブテレニアンである。小さなスペースだが、ここを拠点に活動するサイマル演劇団や国内の劇団の公演をはじめ、主宰する赤井康弘がプロデュースする演劇祭「板橋ビューネ」や海外劇団の招聘公演、パフォーマンス、ゲストとの哲学対話など多彩なプログラムが一年を通して実施されている。

 サブテレニアンを主宰する赤井康弘は、2024年1月に『ガザ・モノローグ2023』のリーディング公演を行うことを決め、翻訳を始めたという。赤井によれば、『ガザ・モノローグ2023』は、国連が定めるパレスチナ人民連帯国際デー(International Day of Solidarity with the Palestinian People)である昨年11月29日にニューヨークやコロンボ(スリランカ)など世界各地の劇場で上演された。日本では劇場での上演はなかったが、彼は偶然、この日の広島で行われた抗議デモの参加者が、街頭でこのテキストを読むことをSNSで告知しているのを見て、主催者に連絡を取り、テキストの存在を知ったという。

 サブテレニアンのリーディング公演はカンパ制で行われ、あつまったカンパは上演にかかった経費を除いて、アシュタール劇場の希望に沿う形で全額寄付された。公演では葉月結子、矢内文章(アトリエ・センターフォワード)、赤松由美(コニエレニ)の三人が8つのモノローグを読んだ。朗読する三人は、それぞれ一つのモノローグを読みきることが多かったが、対話形式のテキストを二人で読むこともあった。三人は手に持った台本を、一頁読み終わるごとに、一枚ずつ捨てていく。俳優の手を離れて床に落ちる紙の音が、観客の心をざわつかせる。1時間あまりの公演が終わりに近づくころには、床は捨てられた台本の頁で覆われるが、これは瓦礫の山を連想させ、廃墟となったガザ地区を象徴していた。椅子を倒して爆撃の音を表現したり、要所要所で立ち上がったりするなど、部分的に動きを取り入れながらも、集中度の高い朗読が1時間あまり続いた。

 朗読されたテキストは、アリー・アブー・ヤースィーンが戦火の中から世界に向けて語りかけたモノローグである。一つひとつのモノローグは長くても10分弱程度の短さだが、三人の俳優の静かで落ち着いた語り口もあり、豊かな教養を感じさせる書き手の精神が、張り詰めた緊迫感とともに劇場を満たした。

 かつてパリに住んでいた「私」が友人の映画監督に新年の挨拶文を送る『戦争とガザ』、2023年10月17日にガザ地区のアル・アハリ・バプテスト病院(The Al-Ahli National Baptist Hospital)が爆破され、数百人もの人々が死亡した事件の直後に書かれた『私の友人』、小説家ガッサーン・カナファーニーと詩人サーラ・パーラマフフーズという二人の死者が会話する『またたきの間に』、戦争は真夏の夢ではないとシェイクスピアに訴える『ガザからシェイクスピアまで』、家族を連れてガザ地区南部に避難する男が途中ではぐれた娘ラマと再会してハンユニスのUNRWA事務所にたどり着くまでの生死を賭けた道中を語る『ラマ』、食べ物がない日々のつらさを笑い飛ばす『戦時中の日常』、砲撃が続く中でも文章を書き続ける「私」の一人語り『とても静かな夜』、すべての蔵書を近所の人々の薪に提供した「私」が偉大な作家たちとの別れを惜しむ『我が書斎へ』。

 朗読が進むうちに、私は自分の言葉を失う感覚を覚えたが、それはパレスチナとイスラエルの力の非対称性に心がえぐられたばかりではない。高度な演劇的教養を体現する一人の人間が、その人間関係や物質的所有物ばかりか、精神的財産までも奪われる姿が目の前にありありと想像されたからである。

 

3.「私たちの時代の新たな悲劇」

 たとえば8つのモノローグのなかから、2023年10月18日の日付の入った『私の友人』(My friend)を紹介しよう。このモノローグは、前日にガザ地区のアル・アハリ・バプテスト病院が爆破されて多数の人々が殺害された惨劇の直後に書かれている。劇作家である「私」は、国外にいる友人からガザについて書いて欲しいと頼まれていた。以前であれば、友人からの依頼に積極的に応じてきた「私」だが、今回は違った。何日も沈黙せざるを得ないのだ:

ガザについて一言書いてほしいというあなたの手紙を読んだとき、普段だったら、私はすぐに返答します。しかし、今回、私は何日も沈黙していました。言葉が私から逃げていきました。なぜ? たぶん、私たちが生きていることの恐怖のせいです。

(『ガザ・モノローグ2023』より『私の友人』、赤井康弘訳)

 いつ命が奪われるかもわからない恐怖の中で生きる「私」は、その恐怖を友人に伝えることに困難を覚え、「言葉が私から逃げていきました」と書く。では「私」はここで書くことを、他人に自分の思いを伝えることを、あきらめるのだろうか。

 そうではない。「私」は書くことをあきらめずに、なぜ言葉が逃げていくのかという理由を列挙し始める:

今朝早く、隣の家を破壊し、我が家の上に瓦礫をすべて投げ飛ばした狂気のミサイルの結果、家族と私が奇跡的に生き残ったせいもあります。または私が目にする写真の方が、あらゆる言葉よりも雄弁であると感じます。あるいは、話すことの意味をもはや確信していません。私たちは日々の虐殺、包囲、飢餓の真っただ中で、自分たちの主張の正当性について話しています。そして75年以上にわたって私たちがさらされてきた国家的テロ。答えはありますか?

(同上)

 戦闘員ではない「私」、家族、知人、同胞、地区のすべての人々がいつでも空爆で殺される状況。周囲の建物は破壊され、その瓦礫が自宅に飛ばされてくる。「私たち」の日常は廃墟になった。ガザ地区は包囲され、逃げ場はない。「私たち」は、いくら自分たちが正当であると話していても、国家のテロ(state terrorism)にさらされ続けてきた75年以上もの間、日々の虐殺、包囲、飢餓から逃れられなかったのだ。つまり「言葉が私から逃げて」いくのは、「狂気のミサイル」で国家のテロを行うイスラエルの暴力のせいである。

友よ、昨日、イスラエル占領軍はガザのバプテスト病院を爆撃しました。500人をはるかに超える人々が殉教しました。彼らは、体がばらばらになり、肉の山となりました。

(同上)

 イスラエル占領軍は国際法を踏みにじり、病院を爆撃し、人々の体をばらばらにし、肉の山を築く。この光景を目の前にして、「私」は古代ギリシャ悲劇を想起する。死体を目の前にしたときの、「私」の心におきた衝撃の内実を伝えるために、ソフォクレスの『アンティゴネ』を引用するのだ:

劇作家として、最も残酷な悲劇の一つが『アンティゴネ』であることを私たちは知っています。クレオン王はアンティゴネの兄の埋葬を拒否し、ここから両者の対話が始まります。ストーリーは、兄の死後に、人間であることが何を意味するのか、尊厳、価値、権利とは何かを中心に展開します。アンティゴネは、目の前で兄の遺体を見て、兄を埋葬しないまま去ることに耐えられませんでした。バプテスト病院の虐殺後に私たちが見た遺体には頭や手足がありませんでした。私たちの時代の新たな悲劇です。

(同上)

 古代ギリシャ悲劇『アンティゴネ』のクレオンは、アンティゴネの兄の死体を野ざらしにして鳥獣に餌食として与え、凌辱した。イスラエルはガザ地区の人々の死体の頭や手足をもいで凌辱した。「私たちの時代の新たな悲劇」は、一人ひとりの無惨な死から生まれる。クレオンが人倫に対する罪を犯したのと同様に、イスラエルは人間の尊厳、価値、権利を蹂躙したのである。

 劇作家である「私」は、このモノローグの結末に、娘の死を嘆く老婦人の姿を記す。彼女は、ばらばらになった死体に残された手の先の指輪を手掛かりに、娘の遺体を発見するのだ。ガザ地区を襲う暴力と劇作家の筆力が虚構と現実の境を無意味にするぎりぎりの描写を生み出している:

病院の瓦礫の下で老婦人が看護師にこう話しかけました。「そこに横たわっている手を私に触れさせてくれませんか。指輪で分かりました。私が頼りにしていた娘の手です。朝、ニュースを見るために椅子に座るのを手伝ってくれたときの手。私のためにテレビのスイッチを入れたその手。彼女は私に挨拶し、去り際に私の手にキスをしました。いつも抱きしめてたその手、肩をたたいたその手。私の髪をとかし、いつも爪を切ってくれたあの手。その手はここ近頃の私のすべての力の源でした。彼女に最後のキスをさせてください。そうすれば、娘の遺体をずっと置いておく必要がなくなります」

(同上)

 アンティゴネも兄の遺体を野ざらしにしておくことができなかった。彼女は兄の遺体の「肌に乾いた土砂を振りかけ、常式どおり式をすませ」て、権力者クレオンが禁じた「お葬い」を行った(呉茂一訳)。同じように、この老婦人も、病院の瓦礫の下で見つけた娘の遺体を放置しておくことができない。しかし現在の状況は、古代よりもはるかに過酷である。老婦人は娘に「お葬い」を行うことすら許されない。彼女が娘の遺体にできることと言えば、その手に「最後のキス」をすることだけである……。

 主に王族の運命と苦悩を描いた古代ギリシャ悲劇の時代は2千年以上も前のことだが、古代ギリシャ悲劇に登場する王族も、天井なき牢獄と称される現代のガザ地区に住む一人ひとりも、その命は比べるまでもなく、いずれも貴いのではないのか。『アンティゴネ』を想起する「私」の眼差しは、娘の遺体を抱き嘆く母の姿を注視し、狂気の権力者イスラエルを告発する。

 

4.おわりに

 「私たちの時代の新たな悲劇」は、劇場と街頭をつなぐ。先述のように、赤井康弘が『ガザ・モノローグ2023』を知ったのは、昨年11月29日のパレスチナ人民連帯国際デーのデモ参加者のSNSであったという。実際、『ガザ・モノローグ2023』は、劇場での静かな朗読を通して、聴き手の心を深く揺さぶる内的な力があるばかりか、「体がばらばらになり」「肉の山」となる死体の描写や娘の遺体に別れを告げる母の描写など、ガザ地区の人々の命を奪うイスラエルを糾弾するプロテスト・テキストでもある。

 このテキストが書かれ、世界に向けて発信されていることと、書き手とその家族、知人、同胞の命が脅かされ、亡くなっていることとは、同じ硬貨の表と裏である。すべての『ガザ・モノローグ』の書き手たちが生き延びて、平和な生活を取り戻すことを願う。

 *     *      *     *     *

 『ガザ・モノローグ』はこれからも追加されていくという。上演する場合の著作権料については、アシュタール劇場は著作権料の代わりに、ヨルダン川西岸地区で実施している子どもの心理的社会ケア事業への寄付を望んでいる。日本円での寄付も可能だ。立教大学でのリーディング公演の呼び掛け人であり、モノローグを自ら翻訳・監修した渡辺真帆が共同代表を務める合同会社UPNが、日本円での寄付の代行を引き受けている(https://gazamonologues-jp.com/)。

アシュタール劇場は、『ガザ・モノローグ2023』に続いて、世界中の人々の声をガザに届ける「ガザへの手紙」というSNS上の投稿プロジェクトへの参加も呼び掛けている(https://www.gazamonologues.com/letters-to-gaza)。これに呼応してサブテレニアンではガザ市民へ送る手紙や詩を募集している。集まった手紙や詩をもとに東京でリーディングを行い、アシュタール劇場に送るという(https://www.subterranean.jp/letterstogaza)。

 最後に一言。地道ながらも海外の動向に呼応して活発な活動を繰り広げてきたサブテレニアンだが、財政的には極めて厳しい状況にある。近年、こまばアゴラ劇場やd-倉庫をはじめ、長く活動を続けてきた小劇場が次々と閉館している。コロナ禍を経て対面による場の共有の重要さがあらためて認識されている今、サブテレニアンが閉館の列に加わるのを黙って見ることは私にはできない。赤井康弘による「寄付のお願い」のURLをここに載せて、この稿を終えたい(https://www.subterranean.jp/donation)。