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 谷川道子さんが2024年1月9日に亡くなった。77歳、心不全とのことである。多くの人と媒体が複合的に交差する演劇という表現の特性を文字通りに体現したように、非常にエネルギッシュに活躍した大先輩であったので、思い出は尽きないのだが、ここでは個人的な感傷ではなく、今後の演劇学のために、ドイツ演劇研究者としての谷川道子の紹介を兼ねた少しばかりの繙きを行いたい。

 2014年の『演劇の未来形』(東京外国語大学出版会)が、ブレヒト、ハイナー・ミュラー、ピナ・バウシュ、イェリネク、多和田葉子と、多面的に深化したミチコロジーの世界全体を理解する導入としてオススメの本である。特に最初の第一章「個人史と時代史の交点としての演劇遍歴」では、1965年からの東大の学生時代が説明されている。鹿児島の文学少女が東京に来て、ベトナム反戦や全共闘の運動に沸騰する時代状況と、さらに天井桟敷や黒テントのアングラ演劇の洗礼を受けて「ガ~ン!(岩淵達治先生の口癖)」となり、俳優座養成所にも通い始める。けれども「奥手の演劇少女」には「テントについていく度胸もなく」、ブレヒトの『処置』の卒論を書いて大学院に進学する。

 それまでのブレヒトの「叙事演劇」理解を大きく踏み越えたライナー・シュタインヴェークの『Das Lehrstück (教育劇)』が1972年にドイツで出版された。それを卒論レベルで読んでいた筈もないのだが、ブレヒトの「教育劇」をめぐる同時代の動向に対する感度の良さには驚かされる。ちなみに同じ1972年にはブレヒトの大部な『作業日誌』もドイツで出版されており、戦後のブレヒト・ルネサンスの時期でもあった。いち早く『作業日誌』の翻訳作業に取り掛かったのが、学習院大学の岩淵先生の大学院ゼミで、谷川さんはその翻訳作業メンバーに参加している。(ちなみにその後の岩淵ゼミでも、いつも他大学の外人部隊の面々の方が大きな顔? をしていたように記憶している。)分厚い『作業日誌』のテクストと取り組んで、ブレヒトの集団創作への具体的な理解を深めたことが、その後のミチコロジーを支えているだろう。「もろにパラダイムチェンジ!(谷川さんの口癖)」という現代演劇の理論と実践の融合を認識する土台となって、例えば谷川さんの最初の単著である1988年の『聖母と娼婦を越えて ブレヒトと女たちの共生』(花伝社)に実を結ぶ。

 イデオロギー的な政治「教育」に対する「逆」の意味となるのがブレヒトの「教育劇」なので、むしろ「教材劇」とでも呼ぶ方が良いだろう。明治以来の国家主義的な「教育」理解に顕著な、権威主義的に一方的に押し付けるだけの暴力的な非論理への抵抗ともなりうる「教育劇/教材劇」の試みは、教える者と学ぶ者との相互のフィードバックという発想で成立するのであるから、これを演劇美学的に見れば、演戯者と観客の区別の拒否であり、舞台と観客席を分離するプロセニアム・アーチの否定である。「原理的に言えば、教育劇にとって観客は必要がない。しかし有効に活用することはあり得る。」1)Reiner Steinweg ( Hrsg) : Brechts Modell der Lehrstücke. Zeugnisse, Diskussion, Erfahrung. suhrkampf. 1976. S. 150.詳しくは、『演劇の未来形』の第二章「演劇と〈教育劇〉の可能性 ピナ・バウシュと蜷川幸雄の試みまで」その他をご参照いただきたい。

 「エンゲキ(Theater)」ならぬ「ゲキエン(Thaeter)」という新しい演劇の形を求めるブレヒトの教育劇/教材劇の地平は、1970年代以降のドイツの演劇に実践的にも理論的にも生産的に受容されて、その最もとんがった成果がハイナー・ミュラーである。これも『演劇の未来形』第七章「ハイナー・ミュラーの『指令 ある革命への追憶』の時空」が、まずは分かりやすい。興味深いのは、演劇評論家の西堂行人、アメリカ演劇の内野儀などなどと一緒に「ハイナー・ミュラー・プロジェクト」を立ち上げて、翻訳と研究と上演と、分野横断の理論と実践の活動の広がりと深化を続けたのが、いかにも谷川さんらしい。これも詳しくは谷川さんの第二の単著『ハイナー・ミュラー・マシーン』(未来社、2000年)をご参照いただきたい。キー・ワードは「ディスクール化」「間テクスト性(インターテクスチュアリティ)」「自己言及性」等、ポストモダン的な概念を駆使した「ブレヒトなきブレヒト受容」の持つ現代演劇の可能性についての考察である。

 ハイナー・ミュラーの研究を介して、多和田葉子とのつながりが産まれ、これも『演劇の未来形』の第六章「日本からの〈エクソフォニー〉 多和田葉子の文学をめぐって」で触れられると共に、2020年に谷川道子・山口裕之・小松原由理編『多和田葉子/ ハイナー・ミュラー 演劇表現の現場』(東京外国語出版会)では、多和田葉子がハンブルク大学に提出した『ハムレットマシーン』に関する修士論文の日本語訳と、多和田本人のエッセイ、何人もの若き研究者や演出家の多和田葉子論などを収録している。さらに同様のコラボでの『多和田葉子の〈演劇〉を読む』(谷川道子+谷口幸代編、論創社)を2021年に出版している。

 この種のコラボ企画について触れ始めると、ほとんど切りがなくなるのだが、ドイツと日本の演劇をめぐる交流には、自ずと日本の近代化の多様な問題意識が浮き出て来る。谷川道子・秋葉祐一(編)『演劇インタラクティヴ 日本×ドイツ』(早稲田大学出版部、2010年)は、原理的な演劇論から、築地小劇場や宝塚歌劇、もちろんブレヒトやアングラ演劇等々、若手の研究者を中心に、故市川明さんなども交えた10名の読み応えのある論考が並ぶ。

 そのような教育劇/教材劇の研究を大学で実践したのが、『劇場を世界に―外国語劇の歴史と挑戦』(谷川道子・柳原孝敦編、東京外国語大学、2008年)で、大学祭での26の専攻語を基にした「外国語劇」の奮闘ぶりの記録なのだが、その構成をみると、第一章:演劇・教育・語劇、第二章:外の世界に拓いていく演劇/語劇、第三章:身体を拓く・心を拓く・言葉を拓く、第四章:文化修得のメソッドとしての演劇/語劇、第五章:語劇百年……というぐあいに、ミチコロジーが「もろに」全開の構成である。

 翻訳も数多いが、まずは光文社・古典新訳文庫シリーズでのブレヒト翻訳、4冊それぞれの丁寧な解説が、非常に良いブレヒト入門であろう。特に2013年の『ガリレオの生涯』の説明は、フクシマ原発事故の衝撃を正面から受け止めての熱い説得力を持つ。さらに例えば、キャサリン・ブリス・イートン『メイエルホリドとブレヒトの演劇』(谷川道子・伊藤愉編訳、玉川大学出版、2016年)の内容および幾つもの論考は、メイエルホリドの上演をめぐって具体的かつ刺激的であると共に、裏側からのブレヒトおよび現代演劇の入門になっている。

 そして何よりも(ドイツ語では「最後でなく(nicht zuletzt)」と言う)、ハンス・ティース・レーマンの『ポストドラマ演劇』(谷川道子/新野守広/本田雅也/三輪玲子/四ツ谷亮子/平田栄一朗訳、論創社、2002年)の翻訳は、現代演劇の理論的な考察に関する最も重要なミチコロジーの業績と思われる。この五百ページ近い原書を、チームプレイとは言うものの、谷川さんは短期間で一気呵成に仕上げて、谷川的コラボ作業の真骨頂のような成果となった。

 ミチコロジーの世界はなかなかに広くて深い。まだ私の管見の外に残された論考もあるらしい。いつもニコニコと早口で語る谷川さんの「もろにパラダイムチェンジ!」の声が、今でも耳に残っている。合掌。

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1. Reiner Steinweg ( Hrsg) : Brechts Modell der Lehrstücke. Zeugnisse, Diskussion, Erfahrung. suhrkampf. 1976. S. 150.