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④カフカ経由シスカ行き

 俳優と人形劇師は、夕暮れの浜辺に立っている。サハリンの少数民族ウィルタにも「空飛ぶトナカイ」の英雄物語などがあったが、日本によって言語が禁止され失われたこと、戦時中はトナカイ橇(そり)を使った斥候(せっこう)として日本軍に組み込まれたこと、現在でも辺境の若者はウクライナでの戦争に従軍していることなどが、二人の軽快なやり取りの中で、深刻にならず、しかしはっきりと語られる。二人は海岸の木を飛行機の残骸に見立て、最後の物語「カフカ経由シスカ行き」を始める。

 抜海の海岸に、ロシアの戦闘機が不時着し、爆発炎上する。中から出てきたパイロットと、礼文島出身の娘が出会う。二人は一目で恋に落ち(恋に落ちる瞬間は、目玉が飛び出したり口が裂けたりするからくり1)劇中で沢が「矢吹ありがとう!」と発語することから、からくり製作は矢吹英孝によるものと考えられる。でコミカルに演じられる)、言語の壁を越えて互いに語り合う。ロシア兵の青年はシスカ出身のウィルタで、ウクライナとの戦争で前線に投入される。留守番電話に残された母の声(それは冒頭で流れた「もしもし、わたし。あのね…」という声である)を聞いて、戦闘機で戦線を離脱し、シスカを目指したのだが、ロシア軍に撃墜され抜海までたどり着いたのだと語る。そこへロシア軍のドローンが現れる。青年は、間もなくロシア軍のミサイルがここへ撃ち込まれると言う。二人が助けを求めると、俳優は「空飛ぶトナカイ」がやってくることにする。人形劇師たちによって飛行機の残骸は翼を持ったトナカイに変身し、二人はそれに乗って飛び去っていくのであった…。

撮影=高橋克己

 他者との邂逅という本作の主題は、①他者と衝突し排除する物語、②人間の悲劇と自然の美が結びつけられる物語、③暴力の連鎖の物語を経て、最後に④人間の荒唐無稽な想像力によって悲劇が乗り越えられる物語へと至る。それは人形劇が得意とする、見立ての芸にもとづくものだ。二人が最後に乗り込む翼を持ったトナカイは、これまでも少しずつ姿を変えながら、娘が身を躍らせる断崖や、ユダヤ教のシナゴーグや、ゴーレムが暴徒に投げつける巨大な杭に見立てられていた。こうした見立ての力は、浜の瑪瑙を涙に見立てたり、骨を女神に見立てたりする古代の想像力とつながっている。ただしそれは、あくまで虚構の枠組みにおける技芸である。トナカイが飛び去った後に、残された俳優は、「人形劇は飛んで行けるからいいな」とつぶやく。もちろんこれは奇妙な言葉だ。トナカイ(に見立てられた飛行機/木)は、本当に飛んで行った訳ではない。ただトナカイの頭部や羽根を模した薄布が取りつけられ、「あたかも」飛んで行ったように舞台から退場していったに過ぎない。それは、俳優も同じことだ。「あたかも」他者であるかのように振る舞うが、本当に他者に変身する訳ではない。俳優も観客も、そのことを承知しているにもかかわらず、と言うよりだからこそ、飛んで行った二人の幸福を祈らずにはいられない。それは虚構を虚構と自覚しながら、言い換えれば「わたし」が「あなた」ではないことを自覚しながら、それでも「わたし」と「あなた」の関係を諦めない態度である。

 この作品における、沢則行という卓越した人形劇師の存在もまた、「わたし」と「あなた」の関係性から理解することができるだろう。伝統的に人形劇師と人形の関係は、一方的な操作する/されるという関係として理解されてきた。それは、この世界を劇場として創造した創造主と人間という、バロック的「世界劇場」における関係性の一つのバリエーションである2)ユルコフスキ前掲書、10-71頁参照。。確かに作中で、沢は自身の想像力/創造力を十全に発揮し、目を見張らせるような見事な人形を次々に登場させる。しかし、この作品の最後に沢が操るのが、俳優であり脚本・演出を務める齋藤歩だということは見過ごせない。「人形になってみないか」という沢の誘いは、齋藤が執筆した台本の中に記されたものだろう。たとえば小山内薫が、戯曲を人形遣いに、俳優を人形に喩えている3)小山内薫「人形たれ」『読売新聞』1909年2月28日。溝渕園子「小山内薫の自由劇場 ―模倣と創作の間で」『近代文学試論 50号』広島大学近代文学研究会、2012、208頁参照。ように、戯曲すなわち劇作家/演出家と俳優の間にも創造主と被造物という関係性が伝統的に認められる。すると、ここで沢と齋藤の二人が試みていることこそ、自分たちの身体という、ある意味では最も操作可能性から遠い地点に存在する人形を用いて、操作する/されるという関係性を問い直すことなのだ。「わたし」が「あなた」を操作し、同時にそれは「あなた」が「わたし」を操ることでもある。そして、それら全ての関係性が、遊戯/演技(Spiel, play)という虚構の枠組みの中で表現される。それがまさしく、演劇の可能性に他ならない。

 改めて、北海道という地域性に着目すると、この作品が北海道で上演される重要性に気付かされる。それはもちろん、北海道の北の果ての浜辺が舞台だからというだけではなく、また礼文島やサハリンが取り上げられているからというだけでもない。何よりも、北海道においては日本とロシア、和人とアイヌ、あるいは日本人とウィルタという「わたし」と「あなた」の関係が、日本の他のどの土地よりもシビアな問題であるからだ。中央に対する辺境は、必然的に他者と接する領域である。それゆえに、辺境からの視座は常に中央と辺境の関係性を問い直す。言い換えれば、「あなた」と接することで、「わたし」のあり方は絶えず自省的に問い直される。それはたとえば、戦時中にウィルタの人々を軍役に組み込んだ日本と、現在ウィルタの青年を最前線に投入しているロシアが相似形だというように。

 「世界が右に傾いてる気がするから、左へステップを踏もうよ、軽やかに」という最後の俳優の台詞は、見ようによってはあまりにも直截すぎる態度表明である。人によっては、こうした言説が舞台上で語られることに反発を覚えるかもしれない。しかし、「わたし」と「あなた」の関係をシビアに突き詰めざるを得ない辺境だからこそ、こうした態度表明が衝撃を伴って響いてくる。

 

 本稿執筆中に、齋藤が癌で闘病中であることを知った。報道によれば、すでに当初宣告された余命を越えているという4)https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/890109(2024年1月5日閲覧)。「人形劇は飛んで行けるからいいな」という呟きは、死という絶対的な他者を眼前にしている一人の俳優の心情吐露でもあったか。人は誰しも死ぬからと言って、死んでもよいと考える理由にはならない。同じように、演劇を虚構であるからと言って否定する理由にはならない(プラトン以来演劇は伝統的にそう否定され続けてきたが)。虚構を虚構と知りつつ、「わたし」と「あなた」は異なる存在だと知りつつ、それでも「わたし」と「あなた」が今ここで出会うことに意味があるのかもしれない。劇場がなぜ私達に必要なのか、それを感じさせてくれる作品であった。

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1. 劇中で沢が「矢吹ありがとう!」と発語することから、からくり製作は矢吹英孝によるものと考えられる。
2. ユルコフスキ前掲書、10-71頁参照。
3. 小山内薫「人形たれ」『読売新聞』1909年2月28日。溝渕園子「小山内薫の自由劇場 ―模倣と創作の間で」『近代文学試論 50号』広島大学近代文学研究会、2012、208頁参照。
4. https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/890109(2024年1月5日閲覧)