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①オテサーネクの物語

 とある子供のいない老夫婦。夫はある日、まるで人間の赤ん坊のような不思議な切り株を見つけ、持ち帰って「オテサーネク」と名付ける。ところがオテサーネクは「腹が減った」と言い出し、村中の食物を食い尽くし、果ては両親も村人も食ってしまう。老婆の大鎌によってオテサーネクはついに退治され、その腹からは食われた人々がみんな出てきたが、夫婦はもう決して子供がほしいとは言わないのであった…。

 人形劇師が切り株をくるりと翻すと、折れた枝が鼻に、くぼみが目になっている。このような仕掛けが、劇中では随所に現れる。『ピノッキオ』をはじめヨーロッパには木の人形が生命を宿す物語が多いと劇中で語られるが、そこに自然の支配という人文主義の理念と、それに対する異教的な畏怖が表れているのかもしれない。切り株から生まれたオテサーネクは、自然をわが物にしようとする人間の欲望の具現化であろうし、また人間自身の果てしない欲望の喩でもあるだろう。「この話に一体どんな教訓があるのか」と俳優はぼやくが、人間が自然に対して果てしない欲望を向けることで、いつか自然からしっぺ返しを受けるといった、ごく素朴な教訓を見て取ることができる。しかし現代社会においては、子供を欲しがる老夫婦が、子供の莫大なエネルギーに振り回されて挫折するという、少子高齢化の物語にも思えてくる。俳優と人形劇師は、桃太郎やかぐや姫を引き合いに出し、「なぜみんな爺さん婆さんが子供を拾う話なんだろう」と呟く。確かにどの物語も、老夫婦が人知を超えた子供と出会うというプロットを持っている。それは近代以前の社会にあって、子供という存在に付与されたある種の神秘性の表れなのかもしれないし、また子供との離別を乗り越えるための物語であったのかもしれない。いずれにせよ、第一の劇中劇は、自然から生まれた=異界から現れた子供という他者に対して、それを拒絶する物語であると言える。

 

②礼文島の瑪瑙浜起源譚

 本作のタイトルにある「カフカ(香深)」とは礼文島の浜の名であり、アイヌ語の「カップカイ」に由来するとされる(劇中では「乳房を背負う」という意味だとされるが、実際には由来不明であるらしい)。一方、人形劇師が持つ礼文島の女神像(のレプリカ)は、アイヌ文化よりもさらに以前、オホーツク文化期の骨偶である。それらに触発されて、第二の劇中劇が演じられる。

 ある時、礼文島に一人の身重の女性が抜海から筏で渡ってくる。彼女は乳房がたいそう大きく、自分の娘だけではなく村の赤子たちにも乳を分け与える。やがて女は乳が出なくなり、村人から虐げられて死ぬ。美しく成長した娘はアイヌの若者と結ばれるが、ある日海賊が礼文島を襲う。海賊は娘を人質に取るが、彼女は戦う夫の負担になるまいと、大粒の涙をこぼすと、海に身を投げる。彼女の涙はみな瑪瑙になり、こうして礼文島の瑪瑙浜には瑪瑙が打ち上げられるようになった。やがて人々はその浜で、乳房の大きい女性の形をした骨を見つけ、守り神として大切に祀るのだった…。

 アイヌの人々の間に、実際にこのような瑪瑙浜の起源譚が伝わっているのかは明らかでない。「カフカ」の語源である「カップカイ」と、それよりもさらに時間的に遡る古代の骨偶から、脚本・演出の齋藤が創造力を膨らませて作り出した架空の物語であるだろう。この第二の劇中劇では、オホーツク文化―アイヌ―現代という時間的な差異と、抜海と礼文島という空間的な差異が巧みに混淆されるとともに、影絵、棒遣い人形、抱え遣い人形など、異なる人形劇の様式が矛盾なく結びつけられている。こうした異なるモチーフや様式が出会うことによって、悲惨な出来事を自然の美と結びつける物語が生まれる。人間は自然を耕して(cultivate)文化(culture)を生み出す。その限りにおいて、文化文明は自然に対して支配的であり、本質的に自然破壊であることから逃れられない。しかし、そうした文化があるからこそ、我々は自然について語り、それを認識することができるのである。瑪瑙になった娘の涙にしても、骨の女神像にしても、人間の営みと自然とが不可分に結びついているという認識の具現化である。人間を養い育てる自然を母と結びつけるような感覚は、狩猟採集を生業としていたアイヌの人々にとっては我々の想像を超えて強いものだっただろう。異界から現れた「オテサーネク」が、人間に対して暴力を振るい、その結果排除されてしまうこととは見事な対照をなしている。

 

③ゴーレムの物語

 16世紀後半、チェコのプラハではユダヤ人たちがゲットーに隔離され、いわれのない差別に苦しめられていた。ユダヤ教の指導者ラビは、神のお告げを聞き、土人形=ゴーレムを作り出す。ラビがその額に「真理」と刻むと、ゴーレムは命を宿し、ラビの命じるままにユダヤ教徒に対する企みを打ち砕く。ゴーレムはやがて朝日や夕日を美しいと感じるようになる。しかし、ユダヤ教徒に対する人々の怒りと恐れは膨れ上がり、ゲットーに暴徒が押し寄せる。ゴーレムは巨大化して暴徒を圧倒する。平和が戻ったあと、ラビはゴーレムの額の一文字を削り取ると、それは「死」という意味になるのだった。ゴーレムは土に還るが、いつの日かユダヤ教徒が苦しめられる時、ゴーレムは再び目覚めると言われている…。

 無数の差別と暴力に晒されてきたユダヤ教徒たちが、身を守るために暴力に訴え、そのことがまた恐怖と暴力の連鎖を生むという歴史のアイロニーは、10.7以降の世界ではいっそう重苦しく響く。さらに、旧約聖書をはじめ、神話や伝説によって現在の蛮行が正当化されるというメカニズムは、イスラエルに限った話ではない。人形劇師が「な、暗い(物語)だろ?」と言うように、どこにも救いのない物語である。しかし演劇が身体とテクストの関係性に基づく「可能性の空間」1)ドイツの演劇学ではこの概念がよく用いられる。一例としてHans-Thies Lehmann: Das politische Schreiben. Berlin 2002, S. 366-380参照。であるというのは、こうした救いのない物語が示されることによって、そこに救いのなさを乗り越える何らかの可能性が示されるということでもある。演劇とは、様式やジャンルや時代的・文化的制約を問わず、虚構の枠組みの中で、「そうであるかもしれない」「そのようでもありうる」世界を示し、それによって「現にそうである」世界について問いかけるという、「可能性の空間」である。それゆえに演劇においては、「今ここ」と「いつかどこか」、現実と虚構、可視と不可視、在と不在、そして「わたし」と「あなた」とが、相互補完的に結びついている。それによって、一方的なアジテーションや教訓ではなく、「この世界はなぜこのようである(ない)のか」「わたしという存在はなぜこのようである(ない)のか」という自省的な問いが浮かび上がる。すなわち第三の劇中劇のもたらす可能性は、「わたし」と「あなた」、つまり敵と友とを二分する世界観の限界ということではないか。ユダヤ教徒とキリスト教徒というだけではなく、加害者と被害者、マジョリティとマイノリティ、善と悪といった二元論は、差別と暴力の連鎖を生むばかりである。

 ただし、こうした二元論を乗り越えるということは、加害者と被害者を安易に同一視し、差別や暴力を相対化するということではない。差別は厳然として存在する。物語の不在という本作の前提は、リオタールの言う「大きな物語」の終焉というポストモダンの状況を示している。冷戦構造の崩壊によって、二元論的世界観は失われ、世界が多様化・複雑化していく中で、語るべき物語を失った俳優と人形劇師。彼らは自らの技術と経験を頼りに、再度物語を構築しようとするが、この時点では敵と友の二元論という旧態依然とした物語に回収されてしまう。それゆえに、救いがないように感じられるのだ。それは、現代日本が、冷戦期の亡霊のごとき反共カルトの跋扈を許していることと地続きである。

 だが、そうした二元論を乗り越え、差別と暴力の連鎖に終止符を打つための手掛かりも示されている。それが、朝日や夕日を美しいと感じるゴーレムの感性であり、美学である。ゴーレムは土に還る瞬間まで、自然の美しさを称える。こうした感性は、ゴーレムが人間性を獲得していく過程として描かれるように、人間にしか存在しないものである。差別が人間に特有の現象であるとするなら、それを乗り越えるための感性もまた、人間だけが持ちうるものなのではないか。そこに、自然と人間とが共生するための手掛かりが潜んでいる。

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1. ドイツの演劇学ではこの概念がよく用いられる。一例としてHans-Thies Lehmann: Das politische Schreiben. Berlin 2002, S. 366-380参照。