演劇・大学・地域・批評――平田オリザ氏に聞く
4.演劇とネットワーク
最近の話題としては、国際演劇評論家協会(AICT)日本センターでは、昨今の「緊急事態舞台芸術ネットワーク」の動きを関心と危機感を持って注視しております。一方ではこのような包括的な体制ができることに歴史的な必然性があるとは思いながら、他方ではある意味で(語弊があるかもしれませんが)「大政翼賛な」組織のありかたに疑問も抱いています。お差し支えのない範囲で一演劇人として、このネットワークに関するご意見やお立場を伺えますか?
平田 そうですね。やはりあれは商業演劇とかを中心にできているので、それはそれで業界団体のある種の圧力団体としては有効だと思うんです。そもそも論が安倍内閣の典型ですけれども、今回、安倍さんが休業補償はしないと一言、言ってしまったために、もう役人が制度設計に非常に困ってしまった。Go To トラベルも同じですが、要するに何かをやらないとお金が出ないという構造になっているわけです。
しかも役人もちょっとかわいそうだったなと思うのは、私たちでもこんなに長引くとは思っていなかったんです。だから支援策がすべて、回復期にお金が出るという制度設計ばかりだった。しかし現実には、ずっと断続的に緊急事態宣言が何度も出るということになってしまった。これも今回、結果としてそうなってしまったのですが、やはり資本力の差が出てしまうことになった。あと場所を持っているかどうかなんです。ですから、うちなどは全然大丈夫なんですが、東京の小さな劇団は相当厳しくなってしまったわけです。
本橋 公演する劇場も、けいこの場所もない。
平田 うちは江原と駒場とアトリエ春風舎も持っていたので、東京が閉めていても江原でどんどんやることができて、やればそれだけ助成金が出るということですよね。ですからそのような構造上の問題があるわけです。そうすると松竹さんとか宝塚さんとかはどうにかやれるから、それはやる方向でどんどん補助金を取りに行く、それでああいう「ネットワーク」のような組織も必要になるということですよね。それはそれで背に腹は代えられないから、しょうがないと思うんです。
そのことと演劇の普遍性というか演劇の公共性というものをどう考えるかというのは、別の場所で議論されるべきだと思っています。要するに不要不急だと1回、言われてしまったのですから、じゃあ、不要不急じゃないという理論立てがたぶん必要なわけです。その議論が弱い。
本橋 このネットワークに入っていないのは、鈴木忠志さんのSCOTと、三浦基さんの地点ぐらいじゃないですか。あとは大企業商業劇団から小さなひとり劇団まで、ほぼみんな入っていますね。もちろん文学座とかは協会単位で入っているから、その辺はうまいやり方なのかもしれません。
平田 実は、一番情けないのは地方の公共ホールだと思います。本来は地方の公共ホールが東京の劇場が閉じて、「Arts for the Future!」とか「J-LOD」とかの支援が出たときに、じゃあ、うちでやりませんかと東京の若手に声を掛ける最大のチャンスだったんですが、それをまったくどこもやらなかったのが一番情けないです。
本橋 そうですね。ぜひうちに来てやってくださいと。
平田 そうです。だから江原はうちの劇団の演出部がやるので、この後、もう12月までずっとスケジュールは埋まっているんです。
本橋 それは地方の公立劇場にそういうことを考える人があまりいないということですか?
平田 今の行政の枠組みだと年度で計画を立てるから、よほど強い芸術監督がいないと途中でそんなフレキシブルなことはできないですね。役人はそれを一番嫌がりますから。でもそれはそもそも何のために劇場があるのかということが、ちゃんと分かってないからそうなるんです。緊急事態だから最大のチャンスなんだから、もっと受け入れればよかったと思いますね。
本橋 でもこれはおそらくこれからも起こりますから、確かにそういう声は挙げなきゃだめですね。今後いろいろな変化もあると思いますが、やはり平田さんは大学という具体的な形によって豊岡で、1つの行くべき方向を示されたと思います。それはもちろんこれから平田さん自身がいろいろな形で発信されていくと思いますが、この大学をつくられて、しかも青年団の拠点もこちらに移されたわけですが、このことは歴史的に見てご自身ではどんな意義があるとお考えでしょうか?
平田 寺山修司さんが野外劇や市街劇をやってらっしゃったでしょう。寺山さんは、本当にやりたいのは少しずつ劇団員を移住させて普通に市民として生活させて、でもそれが演劇になっているというのをやりたいんだということを、亡くなる直前ぐらいにおっしゃっていました。今、私はそれを合法的にやっていると考えています。要するにこれ、演劇教育も含めて演劇祭や大学も全部が僕の作品なので。
市役所の職員で僕の直属の担当部長が、これ、平田さんが大うそつきだったらどうすればいいんですか、と言ったことがありますけど(笑)。だからトータルで考えています。だって利賀村は明らかに鈴木忠志の作品じゃないですか。
本橋 まさにあの場所はそうですね。これはよく言われることですけれども、優れた演劇が生まれるときには、もちろん中心におられる鈴木さんや平田さんや宮城さんといった、確固たる方法論を持ったリーダーが必要ですが、それとともに大事なのは劇団と劇場ですよね。そしてその劇場を支える共同体というか地域が大事であると。ですから、そういう場をいろいろな地域につくることが、今の日本には間違いなく必要なのですが、そのときにどうしても人とお金が必要になりますから、そこで地域の力が試されるということになるでしょうか。
平田 利賀村の場合はもう鈴木さんの力業で、あれだけの劇場群を造ったわけですけれども、豊岡はそれとは別の回路なんです。要するに1市5町が合併したためにいろいろな施設が余っていて、それを1つずつ劇場に造り替えていった。この大学は新設ですけれども。それでたった人口8万人の町だけれども、多様な劇場群があるというのが特徴で、だから「演劇祭」が開けるということなんですね。
でもこれも全部の自治体ではありませんが、似た自治体はいくつかあるわけです。要するにみんな市町村合併しているわけですから。みんな施設が余って困っているわけですよね。それをたまたま豊岡は演劇に掛けたわけですが、そういうことはできるはずです。要するに全体をデザインする人間がいればということなんです。地域のリソースをどうやって生かすかということですね。
本橋 平田さんの長年のご努力の中で、豊岡という土地との出会いや、前の市長の中貝さんとの出会いなど、偶然の要素もあるのかもしれませんが、それも出会うべくして出会ったということはあるのではないでしょうか。
平田 やはり前市長の中貝さんのセンスと英断というのはありますね。あとはやはり但馬の気風みたいなところ。斎藤隆夫さんという戦前の反軍演説をした代議士がいたり、もともと桂小五郎をかくまった宿とか、何か都落ちしてきた人をかくまう、反骨の土地柄があって。もちろん田舎ですから保守ですけれども、少し反骨の土地柄でもあるわけです。そういうところの風土も合っていたところもあると思います。
本橋 想像の話ですけど、仮に平田さんご自身があと5人ぐらいおられたら、日本のほかの地域、これまでもいろいろ回られたと思いますが、ここは公共劇場や大学を作れば良さそう、といったところはありますか?
平田 いやいや、どこでも可能性はあったと思うんです。例えば「キジムナーフェスタ」を持っていた沖縄市は、あそこも市長が代わってしまいましたが、僕は相当深く関与していました。「キジムナーフェスタ」をちゃんと守ってやれば、大学ぐらい誘致できたと思っているんですが、本当にちょっとしたタイミングなんですよね。ここができたのも要するに兵庫県が阪神・淡路大震災からずっと借金を返し続けて、ほぼ財政が好転したところで決まったわけです。これがあと2年、遅れていたらコロナでまた財政、痛んでいますからできなかったかもしれません。本当にそういう偶然の要素はあるんですね。あと出会いとか、どうしてもそういうものが。
本橋 ただそのときにやはり、まあ、無い物ねだりですけれども、中心となる人がいないといけないわけです。
平田 そうです。
本橋 例えば新国立劇場みたいな、あれだけのお金を使って設備もあるのに、とにかく人がいない、誰も引き受けないということがあって、そういう人がこの大学から育っていく可能性は十分あるわけですよね。
平田 それはもちろんそうです。
本橋 それは実際に舞台も作れるし、マネジメントの才能のある人ですね。
平田 僕はよくJリーグに例えるんですが、Jリーグができて25年ぐらいでしょう。Jリーグ発足当時、日本の代表チームに海外で仕事をしている選手は1人もいませんでした。でも今、ほぼ全員です。たった25年ですよ。だから世界標準にしていくということが大事で、日本の劇場システムとフェスティバルのシステムを、世界標準にしていくということだと思うんですね。
単発的にはあるんだけれども、例えば「フェスティバル/トーキョー」だって相馬千秋さんがやっていたときに、それにちょっと手が掛かったんだけれどもだめになってしまった。日本はそれの繰り返しなんです。Jリーグみたいに面的にやらないと、システムとしては機能しない。ですから官民問わず、豊岡と静岡と利賀とだけでは足りない。やはり2けたあればな、と宮城さんとも話しています。そうすれば海外のものとかでも回していけますから。
ただ、もう一つは、やはり芸術監督がちゃんと機能してないと、本当には回せません。ですからヨーロッパの強みは電話1本で回せるというところなんですよ。
本橋 あと考えられるのは、鳥取と新潟とか、そのくらいですね。あとはもうほとんど思い付かないですよね。でも人は育つから、少しずつ変えていくしかない……。
平田 ですからもう本当に繰り返しの繰り返しになって、「鶏が先か卵が先か」で、日本の若い演出家にそういう機会をできるだけ踏ませるということですよね。
本橋 演出家としてそれなりに若くて才能のある人はいるとは思いますが、それがどうしても舞台をつくるということだけになってしまって、批評家の方もそれをそこしか見ないということですよね。私たち批評家も本当に勉強不足でから。そもそも平田さんはもちろん特異な青年時代を過ごされたわけですけど(笑)。
平田 やはりアゴラの支配人だったということが大きいですね。劇場経営者だったということです。本当にそれこそたまたまですよ。
本橋 やはりプロデュースの才能というか、そういうことは演出家としても非常に大事だと思うんですが、ヨーロッパではそういう人じゃないと芸術監督にはなれないはずですね。
平田 そうですね。特にフランスは早いので、40代で芸術監督になっていないと、よほど才能があるか人格的に劣るかのどっちかだと判断されます。
本橋 やはり芸術監督システムというのは、いかに大事かということなんでしょうね。まだまだいろいろご苦労はあると思いますが、これだけ素晴らしい設備を見せていただいて、しかもそれがああいう具体的な舞台となって実現するそれを支えている若者たちのエネルギーは本当に素晴らしいですよ。たった半年であそこまでいくのか、と感動しました。『忠臣蔵』の舞台に出演した学生さんたちのお話を聞いていても、必ずしも将来役者をやろうという人だけじゃなくて、自分でこれから勉強していろいろ考えます、と異口同音におっしゃられていましたね。
平田 まだみんな迷っているところで、大いに迷うように言っているんです。
本橋 一学年80人でしたね。
平田 84名です。
本橋 入試は何回ぐらいあるんですか。
平田 AOと推薦と一般のA、Bです。Bはほとんどとるのは5人とか3人とかです。
本橋 たぶんああいう舞台を見るだけでも、ここの前途はすごく明るいなという感じがしますけれども。
平田 ここを成功させなければ、もう日本に未来はありません。
本橋 本当にそうですね。いや、まさにそういう感じを。来年は「演劇祭」の方も大丈夫でしょうか。
平田 コロナでよっぽどのことがない限りやります。まだ海外からは少しリスクが高いので、少しずつですけれど。
本橋 いくつかの公立劇場がネットワークをつくって、レパートリーを回すことができてくれば、と思いますけれども。本当にお忙しいところ、ありがとうございました。素晴らしい舞台も見させていただいて勉強になりました。建物のにおいがまだ新しいですよね。学生さんが、スタッフとして手伝っているわけですか。
平田 あれも授業の一環なので、スタッフもそれぞれスタッフ志望の学生がいますので、衣装志望の男子学生とかもいて頼もしいですよ。あと美術でも女子が多いですし、今は本当にジェンダーは関係ないです。
本橋 ジェンダー的にはやはり女性の方が多いですか。
平田 もう8割、女性です。
本橋 やはりそうなるんですね。だけどやはりこういう姿を見ると、この辺に演劇というか社会の未来を見るような感じがしますね。
平田 希望、唯一の希望。
本橋 本日はお忙しいところ、本当にありがとうございました。
平田 ありがとうございます。
(兵庫県立芸術文化観光専門職大学にて 2021年11月7日)