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 2021年の11月に、京都から電車を乗り継いで、コウノトリが舞う川辺を眺めながら豊岡を訪れました。目的は、建学して半年の芸術文化観光専門職大学を訪れ、一年生が出演する『忠臣蔵・キャンパス編』を大学内の劇場で観劇し、出演者の皆さんからお話を伺った後で、学長である平田オリザ氏にインタビューさせていただくことです。テーマは芸術教育から地域振興、そして演劇批評のありかたにまで及びました。お忙しい中、貴重な時間を割いてくださった学生の皆さん、平田学長に感謝申し上げます。以下は、その記録です。(聞き手:本橋哲也)

平田オリザ氏が学長を務める芸術文化観光専門職大学(学舎)
平田オリザ氏が学長を務める芸術文化観光専門職大学(学舎)

1. 芸術文化観光専門職大学について

本橋 大学の学生たちが出演する『忠臣蔵・キャンパス編』のご上演おめでとうございます。皆さん活き活きと演技されていて素晴らしい舞台でした。日本で初めて「芸術文化観光専門職」と銘打った大学の教育成果として、学長が作・演出する舞台が一般上演されることは、これまでこの国では例のない画期的な出来事であると思います。この半年間の大学における教育成果を、学長および演劇人としての立場から振り返られて、どのような感慨をお持ちでしょうか?

平田 まだたくさん大変なことがあります。芸術文化観光専門職大学という制度自体が新しく、文部科学省としてもいろいろ無理があるのだと思っていますので、そことうまく折り合いをつけていかなければいけないというのが、まずあります。

本橋 無理というのは具体的にはどういうことでしょうか?

平田 履修科目の制限がすごく多いので、これもやりなさい、あれもやりなさいというふうになっているわけです。それはそれで文部科学省の気持ちとしては分かるんです。専門職大学の大半は専門学校が大学に昇格するのですが、専門学校のカリキュラムのままではだめなわけですね。だから結構、大学としての履修をしっかりさせるようなシステムになっていて、シラバスなどの制約が大きいんです。やはり完成年度まで4年間は変えられないので、そういう苦労はあります。

本橋 たださっき学生さんたちからお話を聞くと、演劇のために授業の方をさらにまじめに出たくなるみたいなことを、皆さん異口同音におっしゃっていましたね。

平田 そうですね。できるだけ演劇とか、もう少し広く言うと、本人の将来と連動するような授業設定には、できたかなと思っているんですけどね。そもそもが要するに日本で演劇の実技を教えるということが、どういうことなのかが、まだこの国では定まっていないわけです。

 教育学で言うところのトラッキング、どこで進路を分けていくか、選抜していく仕方が、フランスのようなエリート主義でコンセルバトアールで100倍ぐらいのところから選んで、入ったらほぼプロになれますよというやり方から、アメリカ型のリベラルアーツで、演劇を4年間学んで、あとは出て自由にしてください、本当にプロになりたいなら、ちゃんと自費でスクールに通ってオーディションを受けてくださいというようなものまで、それぞれ一長一短があると思いますが、この大学はそのどちらでもありません。僕としては入ってから4年間できちんと進路選択ができるということが、一応の目標です。

 やはり日本で実技を教えるとしたら、本当に演劇、俳優や演出家を続けるのかどうかということを、ちゃんと考えられる大学にするしかないと思っているわけです。それ以外の誠実さはあり得ないと思っていますので、そこではある程度厳しさも必要です。やはり自分の才能と向き合って、アートを支える側に回るのか、広い意味で観光とかでこのアートを生かすのかを、ちゃんと選択できる大学という制度設計にしたつもりです。

本橋 なるほど、それが一番大事ですね。今の日本の多くの大学は自分で自分の人生を決める方向に、教える方も学ぶ方もなっていないですね。

平田 そうなんですね。

本橋 とくに実際に体を動かして自分で何か進路を決められるというのは、なかなかないですよね。

平田 そもそも人文学というのは一回性の学問で、どんなに優れた文学論を学んでも小説を書けるわけではありませんし、演劇論を学んでも演劇をつくれるわけではありません。でもそこにはある種の歴史的蓄積があります。実技を大学で教えるということは、その一回性の中でしか学べませんので、私たち教員ができるのは、その一回性を多様に用意してあげるしかないと思っています。

 来年もこのプロジェクトは別の演出家にやってもらいますが、実技を教えるということは、そうやって多様な一回性から自分で学ぶという組み立てしかないんですね。系統立てて教えるということは大学では無理だと思います。初等教育とかでしたら、たぶん系統立てて教えられると思いますが、プロを目指すための演劇の実技を系統立てて教えるということはあり得ません。

本橋 あり得ないでしょうね。平田さんご自身が演出家として演劇を作るだけではなくて、広い意味ではいわゆる演劇教育というものにずっとかかわってこられて、こうして大学をつくられたわけですが、例えば劇団にも一応アカデミーみたいなものがありますね。そことの最大の違いはどういうところでしょうか。

平田 やはり公教育ですので、すべての学生に責任を持たなければいけませんし、すべての学生の将来を、まあ、遠い将来に対してまで責任はないかもしれませんが、少なくとも進路選択までは責任を持たなければいけないと思っています。やはり劇団などは淘汰していけばいいわけですね。

本橋 だめなものはやめてしまって構わないわけですね。

平田 うちの劇団の養成機関は月謝も取っていませんから、そこは一番違うところだと思っています。もっと青臭い言い方をすれば、大学の場合、進路選択といっても就職だけではなくて、人間として幸せになってもらうということだと思っています。今は大企業に就職したから幸せになるわけではありませんよね。

本橋 私が先ほどお会いした何人かの学生さんは、あれだけ素晴らしい演技ができるわけですから、エリートという言い方はおかしいかもしれませんが、でも学生生活も充実しておられる方たちですよね。すでに半年間ぐらいたって、大丈夫かな、付いてこられるかなという学生はいないですか。つまり普通の大学には、大学にいていいのかというような、そういう学生が結構いるわけです。

平田 当然、メンタルの事情で大学に来られないという学生は、一定数、ほんの少数ですが数人はいます。もう今の時代、これはしょうがないですね。決して彼ら、彼女らの責任でもない。

本橋 でもほかの大学に比べればたぶん圧倒的に少ないですよね。

平田 ほかの大学に比べればそうですね。それからいわゆるコミュニケーション能力の問題でグループワークに付いていけないとか、そういう学生はいません。それはやはり入試で選んでいますのでね。どちらかというとやり過ぎてしまったり、空回りしてしまったりの方が多いかなと思いますね。

本橋 たぶん教える方も間違いなく楽しいでしょうね。

平田 それはそうです。大変ですけど、やりがいはあります。

演劇を用いたワークショップの授業風景
演劇を用いたワークショップの授業風景

本橋 何でこういう大学がこれまで・・・。

平田 できなかったのか(笑)。それはご存知のように日本の大学というのは、明治期の講座制を残しながら、戦後、アメリカ型に大衆化をしたという、非常にいびつな構造なわけです。教員の採用システムは公募とはなっていますが、やはり講座制の名残があって、だいたい自分より優秀な教員は採らないという方針なわけです(笑)。たぶんバブルがはじけた30年前くらいだったらまだ日本に余裕がありましたから、もっといろいろな改革ができたと思いますが、遅れてしまいましたね。この大学はたまたまできましたけれども。

本橋 芸術と文化と観光という三つの営為を個別的かつ横断的に実践して、それを学習だけでなく卒業後の就職にまでつなげようという、この大学の試みが、大都会集中型の政治経済文化消費から地域振興型の社会創成へと、この国の基本姿勢を転換しなくてはならないという目標にとって、確かな指針を示していることは間違いのないことだと思います。演劇実践がそのための核となると信じて、長年に亘りご尽力されてきた平田さんからご覧になられて、現時点でもっとも阻害要因となっていることは何でしょうか?

平田 もう地方に変わる体力がなくなっていることですね。変わるということはやはりすごく体力がいるじゃないですか。勇気と言ってもいいと思います。もうそこさえなくなっているという感じです。やはり余裕がないとできませんので。豊岡は城崎温泉が比較的、景気がよくて、経済的に少し余裕があるわけです。

 日本は本当にぬるま湯なので、変わらない。変わらなくても当面、まだ生きていけるから、変わらない。危機感がないわけです。

本橋 豊かな食べ物や自然環境がありますから、変わる必要がないということでしょうね。

平田 そうです。だからゆでガエルのようになってしまう。

本橋 この大学が、日本の進むべき方向に関して正しい方向の一つを示していることは間違いないと思いますが、それがなかなか他に続かない。平田さんが10人ぐらいいればだいぶ変わるんでしょうけれども(笑)。

平田 いやいや。そうは言ってもアートなので、結局はやって見せないと分からないというところがあって、これは行政が一番苦手とするところなんですね。この大学も形になったから納得してもらえるわけじゃないですか。それで実際にすごい高い倍率で全国から学生が来ている。ずっと信用してもらえなかったので、もう市議会に呼ばれて、まずこんなところに大学をつくって教員が来るのかというところから始まって、次に学生が来るのかとも言われました。ちゃんと数字や資料も出すのですが、やはり信用されないわけです。

 ただし、やろうとしていることがアートですから、さっき言った積み重ねではないというところがあって、特に行政にはそこが分からないわけです。これはずっと僕が経験してきたことですが、最後はやって見せるしかないというところがある。ですからおっしゃるように、僕でなければできない属人的なところというのは確かにあります。やって見せるしかないわけですからね。

本橋 それはもちろん平田さん自身が本当に全国を回られて、いろいろなワークショップをされているからだと思いますが、あとは言説の影響が大きいですね。本をたくさん書かれて啓蒙する。官僚や政治家にも優れた人はいるわけで、あの人たちに文章を通して、この人だったら話ができるというふうにしていかないといけないわけですが、残念ながら我々も含めて日本の演劇人はそれが少ないですよね。もっと書かなければ……

平田 そこは本当におっしゃっていただいた通りで、鈴木忠志さんや太田省吾さんなどにも本当に若いときから言われたのは、文章をしっかり書けということです。やはり1冊本を出すというのは雑誌にバラバラに文章を書くこととは全然違うわけです。

 演劇作品は消えてなくなってしまうので名刺がない。私は劇作家でもありますから戯曲というのはありますが、戯曲を役人は読まないですよね。演出家はさらに大変です。鈴木さんは演出家こそ本を残していかなければいけないということを、よくおっしゃっていますね。