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3.演劇批評について

本橋 「演劇評論」を仕事としている者たちから見て、平田さんは演劇批評について、ご関心とは言えないかもしれませんが、鋭いご不満やご批判を抱き続けてこられたおひとりではないかと思います。今更、期待されることは全くないのかもしれませんが(笑)、今後の演劇批評のあり方について、ご意見があればお聞かせください。もちろん批評家ですから舞台を批評するということは大事ですが、そのほかにも批評家が勉強しなければいけないことがたくさんあると思います。単に演劇の歴史や役者がどうということではなくて、私を含めて多くの批評家がそういうシステムや社会の在り方にあまりに無知だなという思いがするわけです。

平田 今日の文脈で言うと僕はそういうことに関心が強いということもありますが、日本では演劇の内容とシステムとの関連が非常に強いですね。新作中心主義ということと、それから作演出を兼ねている人間が非常に多いということで、批評もどうしても戯曲評に近いものになってしまいます。もう私たちの経験からいっても、新作じゃないと批評に取り上げてもらえないというところがあります。

 本来、演劇の価値というのは再演にあると思っているんです。繰り返しやっていくことに価値があると思っているわけですが、新聞劇評も新作の方を取り上げる率がすごく高いですし、読者もそれを望んでいるという悪循環になっていると思います。本来は劇場の最大の役割というのはレパートリーをつくっていくということなんです。

 要するに定番の作品をいくつかつくっていく。そのことによって世界の演劇文化や劇場文化に貢献するというのが、世界の劇場のスタンダードなんですけれども、そういう意識は日本の公共ホールにはほとんどありません。新国立劇場の最も弱いところもそこなんです。

本橋 新国立劇場は、演劇の分野ではレパートリーは持っていないじゃないですか。

平田 ほぼないんです。世界にそんな劇場はないですよ。そこに批評も貢献してしまっているとしたら、それは非常に悲しいことですね。

本橋 その通りですね。

平田 古典の新演出でもいいんだけれども、その新しさだけを批評するのではなくて、それがちゃんとレパートリー化していくものなのかどうかということを批評するということが、僕は大事だと思います。再演を繰り返したりキャスティングが変わることによって、どういうふうに作品が深まっていったかということを評論できるのは、一般観客ではできません。それが批評家の役割であるはずですが、その機能がたぶんないというのは、これも「鶏が先か卵が先か」なんですが、それは日本に劇場文化がなく、再演の文化が弱いというところと結び付いていると僕は思っているんです。

 これは太田省吾さんから直接伺った話ですが、ポーランドのクラクフという古都に国立演劇学校があるのですが、そこは卒業公演がもう100年ぐらい毎年『ハムレット』らしいんです。だからその町の人は『ハムレット』だけは詳しい。要するに素人とプロの批評家の違いは、素人は目の前に並べられればたぶん誰でもこっちがいい、こっちが悪いと比べられますが、批評家は時空間を超えて比べられるわけです。でもそのクラクフの人は『ハムレット』についてだけは20年とか30年、ずっと見ているから、役者の善しあしが分かるわけですね。それで、ほら、俺がいいと言ったオフィーリアが、今、ワルシャワで活躍しているじゃないかみたいなことが誇りになるわけです。それは非常にいい話だなと思って、それが劇場文化だと思うんですね。

 私は劇作家でもあるので、劇作家にとっても再演というのはとても大事なことです。今までは著作権、上演料でも再演になると、書いてないでしょうと言って下がっちゃったりするんです。いやいや、そうじゃなくて、再演するということは戯曲の力でしょうという話なんですけど。

本橋 例えば渡辺保さんのような方は、批評家として、まさに見続けた実力の集積がありますよね。

平田 やはり量を見ることによって、ある種の公平性などが生まれてくるということですよね。だから本当に保さんなども、最初から『東京ノート』はすごく評価してくださった。これはもう普遍的な作品になると最初におっしゃっていただきました。そういうのはありがたいですね。

本橋 批評家の端くれとしては、ああいう方を目指したいですね。確かに何か新しい良い作品を評価するのはいいことですが、新作が多いですから。

平田 そうですね。

本橋 毎日演劇を見続けるのは大変なことで、それに加えて批評を執筆するのは本当に大変なことです。

平田 ですからもう一つ必要なのは、評論家というか演劇ジャーナリストですよね。ただそれは現状、やはり先物買いで、こんなものが出たというのを知らせる仕事になっている。それも1つの使命だと思うんですが、そこと普遍性を持った批評は少し区別した方がいいですね。

本橋 1つには東京の劇団の多くは招待チケットを配りますよね。だから見られるわけですね。自分でチケット代を払えば、そんなには見れない。それに招待されたら、書くのは当然でしょう。その辺もちゃんと考えていきたいと思います。