演劇・大学・地域・批評――平田オリザ氏に聞く
2.都会の演劇と地域の演劇について
本橋 平田さんが演劇実践の拠点を駒場から豊岡へと移され、しかもそれを将来の人材育成という具体的な展望を持った産業振興と地域共同体の再生と結び付けたことの意義は強調してもしすぎることはないと思います。しかしいまだに日本語圏の演劇は少数の例外を除いて、大都会の政治的経済的枠組みに囚われ、そこからの離脱が極めて困難な状況にあると思われます。例えば今回のような感染症のことがあると、間違いなくそれが間違っているということが分かるわけですよね。あれは都会病ですから。平田さんからご覧になって、都会脱出を一番阻害している要因というのは何でしょうか。
平田 やはり経済の問題だと思います。多くの欧米の国のように少なくとも各県、各州に国立劇場なり州立劇場があって、せめてオーケストラとダンスカンパニーと劇団ぐらい公立のものがあればと思います。それは日本だとだいたい500万人に1個ぐらいずつあればいいと思いますが、兵庫県は500万人、四国が400万人ですから、四国に1個とか、九州に2つとかいうふうにあれば、ずいぶん拡散すると思っています。
やはり劇場法を作った意味もそこにあったわけです。でもこれ、一番嫌がるのが東京の劇団なんです。要するにもう既得権益化しちゃっているから、彼らも変われない。それから劇場法を作るときに一番反対したのは、地方の公共ホールの役人ですよね。
いろいろな既得権益があって政権交代もない国ですから。やはり韓国はとにかく展開が早いです。日本では、各所に潜む権益のしがらみのようなものを打破するには、相当の力がいるなと思います。大学はそれでもこういう成功例が出てくれば、追随するところは出てくると思います。少なくとも新しい大学でなくても、要するに今、どこも大学は大変なので、国立大学や県立大学で演劇学部をつくる可能性は十分にある。学生が来ますから。
本橋 これだけ学生が本当に全国から来て、しかも役人とかが見に来れば、明らかに若者が生き生きしていることに感心するでしょうね。
平田 実はもういくつか視察や問い合わせが来ています。
本橋 そうでしょうね。こういう大学をつくろうという動きは出てくるでしょうね。そういう意味では演劇というのも大学教育ということを1つの核として、考えなければいけないという時代に来ているのかもしれないですね。
平田 そうですね。アメリカの州立大学などは劇場も音楽ホールも持っていますけれども、田舎にありますからそこが地域の芸術拠点なわけです。ですからその大学を拠点にしてというのも、1つの可能性かとは思っています。
この大学は本当に地域にとっても望まれていた大学なわけです。今回の公演でも、最初800枚チケットを売り出して1週間で完売しました。おそらく1500人近い動員になるのですが、9割方が地元の方なので非常に地域から期待されています。
本橋 地域市民演劇、素人演劇なども含めて、その観客は親御さんや関係者が多いわけですが、ここは少し違いますよね。
平田 そうですね。もともと豊岡が今、人口8万人を切っていて、年間で生まれる子供の数も600人を切っています。今まで4年生大学がなかったわけですから、人口の7割以上が18歳で1回、外に出ていた。ですから19歳人口というのは、たぶん150人ぐらいしかいない。そこに毎年80人、来るわけですから、これはすごいインパクトです。もう1年生しかいない段階でも、町の風景が変わったと皆さんから言っていただいています。でも逆に言えば8万人の町なら大学ができるんです。専門職大学なら特にそうです。だからやればいいと思うんですけどね(笑)。
ただし、例えば今年、高松に地元の財閥系の企業が、せとうち観光専門職短期大学をつくりました。私立ですけれども高松市が相当お金を出して、建物も全部、高松市が無償で貸しているんですが、うちと同じ定員80人で入学者が16人です。地方は本当に大変なので、よほどのオリジナリティがないと勝てない。うちは観光とアートを結び付けたのがヒットしました。
本橋 やはりそこにはある1つのカリスマ的なセンスというか、何かがないと難しいですね。人を呼べる何かがないとだめなんですね。ここは完全に4クオーター制ですよね。
平田 そうですね。今、クオーター制にしている大学は多いんですが、途中からやると本当に大混乱してしまいます。うちはもう最初からだったのでやりやすかった。
本橋 いろいろな人が夏休み中に講義に来てくれるというのは、学生にとってもとてもいいですよね。
平田 そうです。
本橋 市長が代わったことで、影響はございますか?
平田 ここ自身は県立大学なのでまったく影響はありません。「演劇祭」も来年以降もやることになっていますし、演劇的手法を使ったコミュニケーション教育も変わらないというか、むしろ来年から増えますので、特に影響はありません。
本橋 東京というタイタニック号から多くの人が離脱すべきなのに、なかなかそれを引っ張っていける人がいないという状況ですね。
平田 いや、やはりそれは本当にそこそこの経済が回らないと、東京を離れるのは無理でしょう。マスコミや映像の仕事が東京に集中していますので、若い俳優たちはそういうチャンスを逃したくないというのもあるわけですね。うちの青年団の俳優たちもほとんどが2拠点生活です。けいこのときだけはこっちに来て、移住したい人は移住してもいいよということでやっています。移住した人間はだいたい教育で食べていけるワークショップの手法を持っている人間ですが、彼女たちはもうこっちで食べていっています。もう十数名、演劇教育で食べていますから。
本橋 そういう経済的な問題がどうしてもありますよね。少し細かな話になりますが、芸術監督と芸術総監督の違いについてですが、たとえば新国立劇場と静岡芸術劇場の違いとかですが…。この江原河畔劇場は一般社団法人ですか。
平田 所有は有限会社アゴラ企画ですけれども、別に一般社団法人江原河畔劇場を立ち上げて、これは特に教育などをつかさどるということです。
本橋 平田さんは江原河畔劇場の芸術総監督として予算執行権をもった公立の組織の長であられるわけですが、日本でそのような実権が演劇人にあるのは、ここと静岡芸術劇場だけであり、そのことが他の国と比べたときに日本語圏の演劇にとって大きな問題となっていることはつとに指摘されてきたとおりであると思います。このような文化予算における「官僚支配」をどのように内破できるか、お考えを聞かせていただけますでしょうか?
平田 いくつか問題があります。もちろん制度上の問題もあると思いますが、要するに公共ホールという場合に、日本では芸術監督なり芸術総監督が直接行政とやり合わなきゃいけない場面が、あまりに多いわけです。要するにアートマネジメントのプロフェッショナルもまだまだ育っていないので、その部門が弱いですね。そうすると事務局長的な人は役所から来ている場合が多いですから、そこと芸術監督がやり合わなきゃいけないので疲弊してしまうというところもあります。押さえつけられてしまったり、新国立劇場のように使いやすい人が選ばれてしまうということです。これは「鶏が先か卵が先か」なわけです。僕はずっと言ってきたんですが、もう新国立劇場ができて25年以上ですが、歴代の芸術監督が1人もそれまでに芸術監督をしたことのない人がなっているんです。こんな国立劇場はないですよ。要するに芸術監督というのは芸術監督という職業ですから、演出家が出世してなる職業ではないわけです。けれども新国立劇場はそういう人を嫌がるでしょう。
本橋 そうですね。
平田 だって僕なんかがなったら、官僚が大変じゃないですか。だから使いやすい人をどうしても選んでしまいますよね。本当に「鶏が先か卵が先か」で、芸術監督を育てるためには若いうちから芸術監督にさせないとだめなんです。
本橋 やはりマネジメントという発想がないんですね。
平田 そうですね。それからやはり予算管理や人事のことも含めて、そういうものは現場でしか学べないので。
本橋 我々批評家も舞台の巧拙ばかり言っているだけではだめで、システムをもっと勉強しないといけないですね。
平田 劇場法をつくってもうすぐ10年になりますけれども、やはり進んだ部分もあるんですよ。少なくとも新しい劇場は芸術監督の導入を検討するようにはなっていますし、実際にそれがどのぐらいの権力を持つかは別にして、徐々にですが増えてはいるんです。ただ、やはり日本というのは、特に日本の行政というのは1人に権力を集中させることをすごく嫌がります。それは辞めさせるシステムをちゃんとつくっておけばいいんですが、辞めさせるシステムもないので、みんなだらだら続いてしまって腐敗が起こるわけです。だから、じゃあ、やらないというふうになってしまう。ここの権力の集中とそれをチェックする機能を、日本の場合には持たせていかなきゃいけないということですね。
本橋 平田さんからご覧になって、端的に聞いてしまいますが、日本の演劇と教育に未来がありますかね。この間も演劇学会で平田大一さんとご対談いただいたわけですが、地方には地方の可能性があって、大一さんなども沖縄に演劇大学をつくりたいと思っていますよ。
平田 たださっき言ったように地方はもうそこまでの余力がないので、やはりお金を刷れるのは国だけだから政権交代がないと難しいのではないでしょうか。そのぐらいのドラスティックな政治の動きがないと、もう変われないと思います。
本橋 確かに経済的な余力、人的な余力が地方では過疎化が進んでいてないですね。文化予算の使い方が変わらない限り、つまり演劇人と役人と市民社会が協力してシステムを変えていかない限り、難しいですね。