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歌川国芳「松裏佐用姫」『賢女烈婦傳』より。大英博物館。一部。
歌川国芳「松裏佐用姫」『賢女烈婦傳』より。大英博物館。一部。

1.舞台にもう一つのドアが開く

 能にこれほど強く惹かれるのはなぜであろうか。能について何の知識もないまま、現代劇を見るように見ていて、不意に深いめまいに誘われる。能は様式の美しさで統一され、厳密な計算の下に進行していく(かに思われる)。しかしその様式の一枚下に主人公の熱い感情が潜んでいることに気付くと、舞台にもう一つのドアが開いて、別の情景を垣間見る思いをすることがある。この二重性の発見こそが、どんな種類の演劇の場合でも観劇の喜びをもたらす。能の舞台は様式的な表側とドアの向こうの裏側の落差がことに大きく、それに気付いた時の面白さは、大抵の現代劇を超えている。
 観世流の女性能楽師・鵜澤久が舞う復曲夢幻能『松浦佐用姫』がそうだった(第十九回鵜澤久の会。2016年12月11日。喜多能楽堂)。西国行脚の僧(ワキ=殿田謙吉)が肥前国松浦潟で、佐用姫の霊(シテ=鵜澤久)に出会う。山河草木ことごとく雪に覆われている。シテは初め海士姿の里女(前シテ)となって僧の前に現われ、土地に伝わる悲しい恋物語を語って聞かせる。昔、狭手彦(さでひこ)という遣唐使がこの地で船出を待つ間に遊女佐用姫と仮の契りを重ねた。出立の日、佐用姫は船を慕って山に登り、領巾(ひれ)を振って別れを嘆いた。それ以来、山の名を「領巾振る山」と呼ぶ。領巾とは、古代、主に女性が用いた装飾用の白い布で、首から両肩に掛けて左右へ長く垂らした。
 前シテは僧に受衣(じゅえ)を願い、袈裟を授かる。すなわち里女は仏門にはいることを許された。その布施として、「狭手彦の形見の鏡を見せよう、まことは私は佐用姫です」と言って姿を消す。
 この前シテが奇麗で魅力的だった。白の水衣に小面(こおもて)の面を掛け、雪を頂く黒い笠を被り釣竿を手に登場するので、演者の体は装束にすっかり覆われている。奇麗で魅力的な印象はひとつには久の謡の声が、もうひとつは生身の体を超える演技・演出が生み出していた。謡の声については後で触れることにして、演技・演出については、正面を向いて昔を語りながら、ふとワキ僧の方に視線を向ける面遣いに心を奪われた。この甘く怨むような眼差しには遠い昔どこかで出会った気がする。観客のこうした思いを、能も現代劇も超えて、両者に共通する言葉で語ることが出来たら――。

2.「幽霊がいっぱい」

 能と現代劇の間に、両者に共通する批評の橋を架ける。このことについて2005年、能の銕仙会7月例会のプログラム『銕仙』536で「幽霊がいっぱい――現代劇から夢幻能へ――」を読んだ時の驚きを忘れることができない。能狂言研究家・小田幸子(日本大学芸術学部非常勤講師)が、能の切り口から現代劇を分析していた。
 同年2月に上演された長塚圭史作・演出、阿佐ヶ谷スパイダース公演『悪魔の唄』は、『松浦佐用姫』などと同じ夢幻能の基本構造を持っているという。或る場所を訪れた現代人(ワキ)が昔死んだ人間の幽霊(シテ)に出会い、その土地とその人にまつわる過去の物語を聞くという構造である。現代人とは台本が書かれた時点の現代人で、世阿弥の能に出てくるのは室町時代の人、長塚圭史の作品ではわれわれの同時代人ということになる。
 『悪魔の唄』では、人里離れた空き家の洋館を訪れた中年の夫婦(ワキ)が、終戦直前に米軍機の射撃に遭って命を落とした3人の日本兵の幽霊(シテ)に出会う。幽霊はここでは血まみれのゾンビの姿をしている。日本兵のゾンビは米軍へ報復するために、ワキの妻を人質に取って夫に戦闘機を要求する。夫は承知したといい、時間を稼いで雨戸をさっと開けると朝日が射し込んで、ゾンビは消滅する。そのとき飛行機の爆音が聞こえてくる。戦闘機は来てしまった。
 「この結末をどう解釈するかは、作品の主題に直結することで、さまざまな見解がありうる」と断ったうえで、筆者は次のように述べている。

わたしはここに、個人同士の「信頼」が人類の危機を招く「悪」に直結しかねないという「ヒューマニズムの怖さ」を感じ取った。

いま改めてこの一節を読み直して新たな驚きにおそわれる。2005年に書かれた論考が、2016年にアメリカ大統領選挙を制したドナルド・トランプや、同じ年、国会から弾劾訴追された韓国の朴謹恵大統領をめぐるスキャンダルを言い当てている。
 『悪魔の唄』はシェークスピア劇のように登場人物の性格を描くのではなく、彼らの置かれている状況を描く。その状況が夢幻能の構造によって、時を超えて人間に共通する普遍性にまで高められている。そういう普遍的な人間の姿が、『松浦作用姫』ではどのように描かれているであろうか。