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3. 皇帝フランツ・ヨーゼフ「エリザベート。開けておくれ」

 エリザベートは2人の王女を生むが、ゾフィー皇太后に養育権を奪われ、続いて生まれた皇太子ルドルフも皇太后の監視下に置かれる。ここに至ってエリザベートは俄然反撃に出る。政務に追われて心身共に疲れ果てた皇帝が皇后の居室のドアを叩く。

エリザベート 開けておくれ
君が恋しい 側にいたい
君の優しさで 僕を包んでほしい
安らかに眠りたい
せめて今宵だけは
--最後のフレーズは原作では「0hne wunsch für eine nacht(一夜何も望まずに)」。

エリザベートはドアの隙間から皇帝に書類を渡して、彼の入室を拒む。

それは正式な最後通告です。私を失いたくないなら、その条件を呑んで下さい。子供の教育を任せてほしいの。自分の子供に何をして、何をさせるか、たった今から私が決めます。よく読んでご決断下さい。お母様か私か。それでは独りにして下さい。

第1幕の幕切れに皇帝はこの最後通告に全面降伏する。

君の手紙なんども読んだよ。君の愛が僕には必要。君なしの人生は耐えられない。息子の教育君に任せる。ほかの希望もすべて通そう。君が望むものは君のものだ。

皇帝はこれを皇后の持ち歌「私だけに」の旋律で歌う。歌詞だけでなく旋律も全面降伏している。同じ旋律の思いがけない反復の効果のなかでも、これは最も皮肉な例である。

4. ルイジ・ルキーニ「キッチュ」

 皇后は夫を屈服させることによって、皇太后ゾフィーとの闘いを制した。姑の権力は息子によって初めて成立していた。しかし皇后は宮廷内闘争に勝利すると、そこで権力を振るうことには興味を示さなかった。彼女はルドルフ出産の2年後、肺の疾患を疑われて、大西洋に浮かぶポルトガル領マデイラ島に転地療養したのをきっかけに、ヨーロッパ中を旅するようになった。この時23歳である。病は神経症的色彩が濃く、ウィーンに戻ると体調を崩し、旅に出ると回復した。旅に明け暮れている間に、皇太子ルドルフはハンガリーの革命家と組んで父皇帝に対して反乱を企てるが、失敗に終わり、トートに抱かれてピストル自殺を遂げる。
 皇太子の反乱は宝塚版で初めて詳しく語られることになった。ひとつには日本では馴染みの薄い挿話だからであり、またトートを主演者として際立たせるためである。トートはまず息子の命を奪うことで、ヒロインを自分の愛へ、つまり死へ引き入れようとする。エリザベートは息子を救えなかったことを強く後悔しつつ、その後も喪服を着て旅を続け、スイス・ジュネーブのレマン湖のほとりでイタリア人テロリスト、ルイジ・ルキーニに暗殺され、61歳の生涯を閉じた。
 ルキーニは幕開きから登場して、エリザベートの生涯を再現するドラマの狂言回しを演じていた。皇后の姿はルキーニの目を通して語られ、それはヒロインに対して批判的なまなざしである。ルキーニのナンバー「キッチュ」は原作ではこう主張している。

私は君たちに打ち明けよう
シシーは本当は
悪意に満ちたエゴイストだった
彼女は息子を巡って闘った
自分の方が強いことを
ゾフィーに証明するために
だがその後は息子を追い出した
彼女に大切だったのは
自分を解放すること
彼女は君主制のお陰で生活していた
そしてスイスに
隠し口座を開いていた

ルキーニの批判にウィーン市民の意識が投影されている。原作者のクンツェによると、一般市民は今でも皇帝フランツ・ヨーゼフびいきで、エリザベートの自由を求める精神を理解しながらも、彼女が宮廷をよそに暮らした生き方には好感を持っていない(『VISA』 コミニケ出版 1996年1+2号)。一方、宝塚版はエリザベートに同情的である。健気に生きる姿が強調され、生涯を通じて少女漫画的ヒロインでありつづける。宝塚版でもルキーニは「キッチュ」を歌うが、別の穏当な歌詞に差し換えられている。

5. トート+エリザベート「愛のテーマ」

 エリザベートの自殺願望と彼女の暗殺による死はどう結びつくのか。暗殺者ルキーニはエリザベートとトートの「大いなる愛」を成就させるために、トートから凶器の細長い三角ヤスリを与えられて、彼女を襲った。トートは原作ではエリザベートの心中の存在なので、死は彼女自身の願望の成就にほかならない。宝塚版ではエリザベートの新婚初夜の明け方にトートが彼女の手から持ち去ったナイフがルキーニに手渡され、このナイフが45年後に改めて彼女の胸を刺す。
 レマン湖のほとりでエリザベートは女官と2人で船に乗ろうとしていた時、凶刃に襲われた。彼女は上着を脱ぎ、新婚初夜の場と同じ姿(リアルな下着ではなく、ギリシャ風の白く長いローブ)になる。そこにやはりそれまでの黒の衣装を白装に改めたトートが現われる。彼らのデュエット「愛のテーマ」の旋律は前半が皇帝の持ち歌「エリザベート。開けておくれ」で、間奏の後はエリザベートの「私だけに」になる。

トート 今こそお前を
黄泉の世界へ
迎えよう

エリザベート 連れて行って 闇の彼方遠く
自由な魂 安らげる場所へ

(間奏)

エリザベート 涙 笑い 悲しみ 苦しみ
長い旅路の果てに掴んだ

2人 決して終わる時などこない

エリザベート あなたの

トート お前の

2人 愛

歌い終わると、2人は舞台中央のセットに取り付けられたステップに乗り、手を取り合って天空へ去って行く。原作の展開はこれとはまったく違う。間奏の後の歌詞は次のようになる。

エリザベート 私は泣いた 笑った
勇気がなかった
新しいものを望んだ
だが何をしても
私は常に自分自身に忠実だった

2人 世人は空しく訊ねる

エリザベート 私の

トート お前の

2人 人生の意味を

それから宝塚版にはない決定的な末尾の3行を歌って幕になる。

エリザベート DENN ICH GEHÖR
(なぜなら私は属する)

トート DU GEHÖRST
(お前は属する)

2人 NUR MIR!
(私だけに) 

なんと見事なレトリック! エリザベートとトートは同一人物である。だから2人にとってそれぞれ「NUR MIR」(私だけに)という言葉が成立する。歌い終わると、エリザベートは倒れ、死の天使たちが現われて、彼女の亡き骸を片付ける。
 原作のエリザベートは自滅していく。そのことにどういう意味があるのか。彼女はこの時、第一次世界大戦に向かって終焉を迎えつつあるヨーロッパ世界そのものの象徴になった。原作の主題はそこにあり、美貌と悲劇の皇后エリザベートの孤独な生涯が、滅び行く世紀末のウィーンの残照と重なり合う。