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 子供を連れて夫の元を飛び出した妻を探して、男が訪ねてくる。DV の可能性が示唆される。さらには何か相談したいことがあるようなのだがなかなかその内容を明らかにしたがらない女性も訪れる。描かれるのはあくまで生活支援NPOの日常だ。

構築された「日常」

 ただ、一見日常を淡々と描いているだけのように見えても平田が紡ぎだすのは単なる現実ではない。緻密に構築された創作物なのである。そこにはいくつかの仕掛けが組み込まれている。この芝居での仕掛けのひとつは舞台の後方の壁のところにカラオケボックスの扉のように密閉された3つの扉があり、それがこの組織に相談に来る相談者が担当者と相談するためのスペースとなっているという設定だ。
 平田の舞台では多くの場合、上手、下手に通路状の出入り口があり、ロビーや集会スペースのようなセミパブリック空間から登場人物がそちらに出ていってしまうとフレームアウトした後の登場人物の行動は想像するしかないように作られている。同様にこの芝居ではさらに3つの扉があって、相談などでそこに入ってしまえばそこで何をしているか、何が話し合われているのかは分らないということになっている。ところがその空間で行われていることは基本的には舞台のフレームの外側での出来事なのだが、面白いのは人が出入りするために扉を開けるとその時だけは中の音が漏れて声が聞こえてくることで、平田はそれをうまく使うことで観客の空想力を刺激し、中で話されていることを想像させるような仕掛けを各所に用意している。

『男はつらいよ』主題歌がもたらす重層構造

 平田の舞台では、自作である『十六歳のオリザの冒険をしるす本』(講談社文庫)を下敷きにした『冒険王』や、立花隆著『サル学の現在』に触発された『北限のサル』など、原作とはいわずとも特定の作品が着想の源泉となっていることが多い。『ニッポン・サポート・センター』でも、クレイジー・キャッツの『ニッポン無責任時代』と山田洋次監督の『男はつらいよ』(「フーテンの寅さん」)シリーズを下敷きとし、「寅さんの世界」と「現実世界」を二重重ねにしたような重層的な構造になっている。
 作中で登場人物が口ずさむ歌として「俺がいたんじゃ お嫁にゃ行けぬ わかっちゃいるんだ 妹よ」で知られる『男はつらいよ』の主題歌が引用される。「ドブに落ちても根のある奴は、いつかは蓮(はちす)の花と咲く」という箇所に出ている「はちす」の意味をめぐってのやりとりなど、この歌は登場人物の会話のそこここに出てきて、この芝居の雰囲気そのものを決めているようなところがある。
 歌の引用にとどまらず、登場人物の造形や全体のタッチにも、人情喜劇である『男はつらいよ』は影を落としている。アフタートークなどで平田自身もそのことは明らかにしているが、芝居に登場するセンターにはサポートスタッフとして近隣の住民が参加しており、それを志賀廣太郎、山内健司、松田弘子といったベテラン俳優が演じているのだが、平田は彼らを『男はつらいよ』でいえば「とらや」の住人やその近所の人のようないわゆる「おせっかい」な存在だとしている。さらにいえば島田曜蔵が演じている見習い職員は堀夏子演じる女性職員に片思いをしており、これは寅さんとその思われ人であるマドンナの関係になぞらえることができる。
 一方でここで描かれるのは「寅さんの世界」ではなく、あくまで現代日本の地方都市である。男女のやりとりや夫婦間の不和、夫の浮気などの問題が例え起こったとしても、それが「寅さんの世界」であるならばよくも悪くも近所の人がおせっかいで相談に乗ってやるところだろうが、地方とはいえ現代ではそういうわけにはいかない。