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ウィーン・ミュージカルの日本初演20周年。美貌と悲劇のオーストリア皇后エリザベートの生涯を宝塚は少女漫画の文脈で読み直した。

宝塚歌劇宙組「エリザベート―愛と死の輪舞(ロンド)――」 朝夏まなと(右前) ?宝塚歌劇団
宝塚歌劇宙組「エリザベート―愛と死の輪舞(ロンド)――」 朝夏まなと(右前) ©宝塚歌劇団 禁複写・無断転載

 古い文化を持つオーストリアのミュージカルが日本の観客を捉えた。それは宝塚歌劇がこの作品を日本の古い文化から生み出された少女漫画の文脈に置いたからである。
 むろん原作の魅力も大きい。ヨーロッパのオペラの伝統を受け継いで、全編ほぼ歌でつづられていく。歌詞は哲学的で、旋律は逆に麻薬のように理性を麻痺させる。旋律のパターンはヴォーカルで約20、インストゥルメンタルで約30。これらがさまざまに組み合わされ、思いがけないところで反復され、70曲余のナンバーを形作っている。この数は公演によって増減がある。フィナーレナンバーは計算に加えない。私が最も気に入っているのは、エリザベートの結婚式の場の参列者たちによる四部合唱――なかでも貴婦人たちの次の一節である。

馬車を降りる時に足を踏み外し王冠を落とした

しかし今はこれらの曲の中から、数珠を繰る時の大きな玉のような重要なナンバーを取り出して、宝塚版の性格を明らかにしたい。

1.エリザベート「私だけに」

 エリザベートは、16歳でオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフと結婚して皇后になった。現代ならば女子高生の年齢である。実家の父マクシミリアン公爵は狩猟に明け暮れる自由人で、シシーの愛称で呼ばれる娘は父の生き方に憧れていた。しかし姉が皇帝とお見合いする場にたまたま同席して、皇帝に求婚され、旧弊なハプスブルク家の一員に加えられてしまう。
 その劇的な生涯が舞台の上によみがえる。脚本・歌詞ミヒャエル・クンツェ、音楽シルヴェスター・リーヴァイ。1992年にアン・デア・ウィーン劇場で初日の幕を開けた。日本初演は1996年。宝塚歌劇団雪組の古澤真プロデューサーが、ウィーン在住の小熊節子のコーディネートにより、他のプロダクションを抑えて、上演権を勝ち取った。潤色・演出小池修一郎。翻訳黒崎勇。音楽監督吉田優子。日本初演20周年に当たる今年2016年、宙組による9回目の公演が7~8月の宝塚大劇場に続き、9~10月の東京宝塚劇場でおこなわれている。
 宝塚が原作を少女漫画の文脈に置いたといっても、ヒロインの少女時代はまたたく間に過ぎ去り、シシーは姑に当たる皇太后ゾフィーとの息詰まるような闘いに直面する。新婚初夜が明けた早朝5時、姑は女官たちを引き連れて、シシーの寝室に乗り込んでくる。

「毎朝5時きっかりにすべて始めるのよ。」
「陛下が言われた。ゆっくりお休みと。」
「昨夜のあなたはぐっすり寝こんだそうね。」
「陛下が言うはずない。」
「聞いたのよ。」

ゾフィーは皇帝を呼んでこさせる。エリザベートは夫の胸にすがって助けを求めるが、彼はこう答えるだけである。

僕は君の味方だ。でも母の意見は君のためになるはずさ.

ゾフィーは息子の言葉を聞き、勝利の笑みを浮かべて悠然と去って行く。嫁と姑の闘いは少女漫画の題材にふさわしくないかも知れない。だが16歳のシシーは少女の心のままである。人びとが去った後で彼女は朝の光を宿す寝室の窓を背に独りたたずみ、サイドテーブルに置かれていた本からペーパーナイフを抜き取り、胸を刺そうとする。
 彼女は死への傾斜――自殺願望を持っていた。その衝動を辛うじて抑え、渾身の力を込めて2オクターブにわたるソロナンバー「ICH GEHÖR NUR MIR」(私は私だけに属する。宝塚版のタイトル「私だけに」)を歌う。これが作品全体のキーワードである。

たとえ王家に嫁いだ身でも
命だけは預けはしない
私が命ゆだねる それは
私だけに
私に 

歌い終わってシシーは気を失って倒れる。するとトートが回転する盆の迫りに乗って奈落から姿を現す。彼は「愛と死の輪舞(ロンド)」を歌い、シシーの手からナイフを取り上げる。

返してやろう、その命を。その時お前は俺を忘れ去る。お前の愛を勝ち得るまで追い詰めよう。

トートとはドイツ語でDER TOD。「死」を意味する男性名詞である。人間ではないが仮に男優(宝塚では男役)によって演じられる。

2. トート「愛と死の輪舞(ロンド)」

宝塚歌劇宙組「エリザベート―愛と死の輪舞(ロンド)――」 トート:朝夏まなと  ⓒ宝塚歌劇団
宝塚歌劇宙組「エリザベート―愛と死の輪舞(ロンド)――」 トート:朝夏まなと  ©宝塚歌劇団 禁複写・無断転載

 トートが歌うこのナンバーは宝塚版の潤色・演出の要請によって、原作者により新しく加えられた。しかしそれは単なる増補ではなく、トートという役の性格を一変させ、回転扉の軸になって宝塚版と原作を反転させることになった。このため宝塚版のタイトルには原作にないサブタイトル「愛と死の輪舞(ロンド)」が付けられている。
 原作ではトートはエリザベートの内面の死への傾斜だったが、宝塚版ではこのナンバーによって、あたかもヒロインに先立って存在し、彼女を愛へ誘惑するかのような者になる。トートの愛とは死にほかならない。原作ではすべてはヒロイン独りの心の内部のドラマなので、彼女が失神した後にトートが現われて、「返してやろう。その命を」と歌うことはない。
 トートの性格の変化は元をただせば、宝塚の「男役中心主義」から始まった。女性のエリザベートを主役にするミュージカルを翻訳上演するに際して、宝塚側は原作者にこのことを説き、原作者も受け入れ、男役トートを立てるために台本を改訂し、ナンバーを追加した。その時回転扉が回って、少女漫画の世界が目の前に現われる。