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筆者撮影
Theater der Welt 2023 – Frankfurt-Offenbach.
筆者撮影

 3年に1度、国際演劇協会(ITI)ドイツセンターが共催となってドイツ国内で開催される国際舞台芸術祭「テアター・デア・ヴェルト(世界演劇祭)2023」が6月29日から7月16日の期間、フランクフルトとオッフェンバッハというマイン川沿いに隣り合う2都市で開催された。今回の主催はフランクフルトのムーゾントゥルム劇場、フランクフルト応用美術館、フランクフルト劇場とアーツカウンシル・オッフェンバッハである。主催者はプログラム・ディレクターを欧州の外からの視点を取り入れたいと世界中に公募を告知し、35カ国より合計200件以上の応募から日本のアートプロデューサー相馬千秋と演劇・パフォーマンス学研究者の岩城京子のチームが選出された。相馬は欧州以外の国の人間としては世界演劇祭史上初めてのプログラム・ディレクターとなった1)岩城京子はその後チーフ・ドラマトゥルクを退任し、プログラム・アドバイザーとして関わる。「マティアス・ペース ベルリン芸術祭新総裁に聞く」聞き手:山口真樹子、国際交流基金「プレゼンターインタビュー」2023年3月27日。

 相馬たちのチームが評価されたのは「孵化主義」2)相馬千秋「プログラム・ディレクターズ・ノート」芸術公社、2022年10月。と言うコンセプトである。コロナ禍での経験を「インキュベーション(孵化/潜伏)」の時間として肯定的に捉え、新たな創造性を発揮する態度をいう。2023年5月に、新型コロナウイルスの感染症法上の分類が5類へと変更され、やっと日常が戻ってきたと感じていた筆者にはタイムリーなテーマであった。しかし、開催地ドイツではマスクを着用する人の姿もなく、コロナ禍などまるでなかったかのように見えた。相馬が掲げる5つのコンセプトの1つに「世界を複数化する」があるが、コロナ禍での経験は様々な形で世界の複数化を促進したように感じられた。

 相馬の提案する「世界を複数化する」はニーチェのパースペクティブ主義に根ざす考えである。以下、「プログラム・ディレクターズ・ノート」から引用する。

 世界演劇祭では、世界が複数であること、そこから複層的に聞こえてくる声を、歴史を、視座を、複数性を保ったまま提示します。同時に、西洋―東洋、男性―女性、人間―非人間といった二元論で世界を捉えるのではなく、すべてのものがグラデーションないし複層的に交差しながら存在することを再確認しながら、複数性を生きる主体を尊重します。またその「世界」は決して人間だけが中心的に存在する世界ではなく、人間以外の生命や非生命も含んだ世界であることも忘れず、そうした視座を持ち込む新しい想像力を歓迎します3)同上。

 相⾺がここで⾔うのは作り⼿の提⽰する「世界」だが、本稿ではこれを観客が受け取る「世界」として考えてみたい。国際フェスティバルで上演される世界は作品ごとに異なり、そのせめぎ合いによる新しい価値創造が期待される。その際、観客はディレクターズ・ノートなどのコンセプトだけでなく、開催地の文化にあるローカルな世界観や演劇祭の歴史など様々な文脈の影響を受ける。とはいえ、筆者が訪れることができたのはオープニングの週末だけであり、演劇祭の全体像を俯瞰して論じることはとうていできない。そこで本稿では、会期前半に上演された女性をめぐるテーマで作品作りを続けている3人の女性アーティスト、スザンネ・ケネディ、ゴーシャ・ヴォドヴィック、市原佐都子の作品から、ここでいう複層的な視座による新しい想像力について考えてみたい。

 

スザンネ・ケネディ&マルクス・ゼルク『アンゲラ〜奇妙なループ(ANGELA – a strange loop)』(フランクフルト劇場、7月1日観劇)

ANGELA (a strange loop)
Susanne Kennedy & Markus Selg
©Markus Selg / shutterstock

 演出家スザンネ・ケネディはベルリンやミュンヘンを拠点に活躍する演劇批評誌常連のアーティストの一人である。2013年にマリールイーズ・フライサー作『インゴールシュットの煉獄』(2013)によって演劇批評誌『テアターホイテ』で将来を期待される演出家に選ばれ、2014年にはベルリン芸術祭で3Sat賞を、2017年にはヨーロッパ演劇賞を受賞している。ケネディはポストヒューマン的世界観から「女性」を描くことで知られ、2020年よりヴィジュアルアーティストのマルクス・ゼルクとコンビを組み、ベルリンのフォルクスビューネ劇場で活動している。

 最新作『アンゲラ』は、前作『ジェシカ〜顕現 (JESSICA – An incarnation)』(2022)に連なるシリーズである。オーストリアのウィーン週間、ベルギーのクンステン・フェスティバル・デザール、フランスのフェスティバル・ドートンヌやアヴィニョン演劇祭ほかオランダ、ポーランド、ポルトガル、イタリアの国際演劇祭など、名だたる欧州の国際舞台芸術祭が共同制作に名を連ねている。本作ではゼルクとの共作『ウルトラワールド(ULTRAWORLD)』(2020)や『神託(ORACLE)』(2020)で示されたゲーム的仮想空間を駆使し、録音音声を自動再生する音声に同調させて口を動かす独特の手法が採られている。今回もこの自動再生が用いられ、コロナ禍を経た発話への配慮かと思ったが、2019年の『三人姉妹』からすでに用いられているという。

 舞台は蛍光色で彩られたリビングキッチン。中央には食卓があり、背後に調理設備や出入り口がある。舞台が進行していくと、これらがプロジェクションで投影されていることがわかってくる。舞台にはいつも「アンゲラ」(Ixchel Mendoza Hernández)がいて、彼女の誕生から死までがループしながら再生される。冒頭でこれから起こる出来事は実話からのエピソードであるとの説明がある。そのためコロナ禍でのロックダウンの状況を再現したものかと思ったが、どうもそれだけではないらしい。無機質な部屋のテーブルの上にある作り物のリンゴは、次の瞬間には本物になる。テレビ画面に映るぬいぐるみの犬のようなキャラクターが語りかけ、外から「神」の声のように聞こえてくる人工音声もある。目の前で会話が交わされているように見えて、ふとした瞬間に動きと会話がずれる。虚実が入り混じった空間というよりはむしろ、様々なバーチャルリアリティの場が舞台となっていて「今、ここ」を混乱させる作りになっている。「出口」と大きく書かれた先には監視カメラのようなカメラと設定時間を示すタイムコードが投影され、舞台上の場面が再現シーンだったかのように見せる。劇の進行につれ平凡なリビングキッチンの隣に重力がない部屋が現れ、部屋の奥が別な建物につながり、さらに洞窟のような場所へと移り変わっていく。プロジェクションマッピングは舞台上に現れるのだが、その効果は劇場空間全体に及び、観客の意識にも作用していく。

 ゲームマスターのように画面から語りかけるキャラクターの存在、ハンバーガーを片手に訪れ彼女を気遣う男性、派手な格好で捲し立てる女性は友人だろうか。一挙一動が主人公を苛立たせるように見える年配の女性は母親にも見えるが、既知の関係性に落とし込んで筆者が見ているだけかもしれない。アンゲラの元を訪れる人間は少なく、彼らでは彼女の孤独を癒せていないことが伝わってくる。そうかと思うと、唐突に出産シーンが始まり、あたかも自分で自分を産んだかのように、アンゲラが一人で抽象的な背景の中に佇む。終盤、彼女の傍に寄り添うのは、髪を剃った頭に透けた銀色のドレスでバイオリンを演奏する天使のような少女(Diamanda La Berge Dramm)である。この天使は音楽でしか語らない。室内がいつの間にか野外になり、焚き火を囲む二人。アンゲラが手にしたスマホの画面が彼女の人生そのものに侵食していくようにも見える。

 ケネディの過去の作品でもあった「タイムループ」は本作でも健在である。仮想現実を生み出す装置として演劇の可能性を考えるケネディにとって、メタファーとしてのゲームとループ性はドラマトゥルギーにおいて最重視している事柄だという4)Saki Hideno「舞台、それはバーチャルリアリティを生み出した最初の装置」『WIRED』CULTURE, 2023年1月15日。。そうした情報を知ると、舞台にあるのは自己免疫疾患を患っているアンゲラという女性の誕生から死までの内面的葛藤と日常のループであり、天使とのみ対話する彼女の姿にその孤独を読み取りたくなるが、舞台から見て取れる印象はそれより遥かにスケールが大きい。ここで生み出されているのは現在の社会規範を逸脱する可能性を持った、自分を守るはずの免疫システムに自分を攻撃されてもなお再生するような、新しい個のあり方なのかもしれない。ここで描かれる女性「アンゲラ」は出産シーンこそあれ、もはや女性であることに縛られてはいない。

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1. 岩城京子はその後チーフ・ドラマトゥルクを退任し、プログラム・アドバイザーとして関わる。「マティアス・ペース ベルリン芸術祭新総裁に聞く」聞き手:山口真樹子、国際交流基金「プレゼンターインタビュー」2023年3月27日。
2. 相馬千秋「プログラム・ディレクターズ・ノート」芸術公社、2022年10月。
3. 同上。
4. Saki Hideno「舞台、それはバーチャルリアリティを生み出した最初の装置」『WIRED』CULTURE, 2023年1月15日。