シアター・クリティック・ナウ 2022――太田省吾を未来形で受け継ぐ
■「ゆっくり」から立ち現れてくる世界
【笠井】わたしは2回生までしか太田さんの授業を受ける機会がなかったため、近畿大学で当時、太田さんの授業を受け、卒業公演を担当してもらった方に話を聞いたら、どうやら普段もゆっくりだったらしいんですね。それから授業の中で沈黙もあった、と。当時、卒業公演の反省会の時に、太田さんが「あれがさぁ……」と言った後に沈黙が続いて、そのまま別の話題に移ったらしいんです。そういうことがよくあったそうです。その他にも、座学の授業の中で、ある時、存在の話になり、リンゴを例に話をはじめた。太田さんは「ここにリンゴがある」と言い、黒板にリンゴを書いた。ところがその後で、太田さんは「リンゴがあるのか……」と言って――そのまま授業は終わったそうです(笑)
とってもユニークな話ですが、太田さんにとって、時間をゆっくりにしたり、沈黙したりすることで考える時間をつくっていたのではないかと思います。それは自分もそうだし、相手もそうだったんだと思います。学生にとっては、太田さんのこのような行動は哲学的な問いかけに感じたかもしれません。もちろん、そこから何らかの解を得たという学生はそう多くはなかったかもしれません。けれど、考える機会につくるというのは非常に重要なことで、『小町風伝』や『水の駅』といった作品とは一緒には出来ないかもしれませんが、時間をゆっくりにすることで考える機会をつくるという点で、太田さんの行動と作品は通じていると思います。
西堂さんの本の中で、速度や成果が求められる世の中で、ゆっくりするという視線・方法というのが、太田さんなりのそれに対する一つの対抗策である、ということが書かれていたと思います。改めて、この本に書かれている「ゆっくり」ということについて伺いたいと思います。
【西堂】太田さんと対話をしている時に、太田さんが突然、頭を搔きむしって黙り込んでしまうことがしばしばあったんです。その沈黙の時間というのは、太田さんももちろん考えているんだけど、ここで自分の方が何かを話さなくてはいけないんじゃないか、とバトンを渡された感じがしたんですね。太田さんの沈黙を埋めるがために、何かいろいろ引き出しながらしゃべっていく。そういう「対話」だった。だから対話といっても、「ぽっ」「ぽっ」と話が弾むものではなく、「ぼっ」のあとでぐーっと間が空いて、ようやくこちらがしゃべって、また受け止められて、ゆっくりしながら返ってくる。だから僕は対話をしていて、たぶん太田さんの倍か三倍はしゃべっている。それは実は、僕が太田さんによって言葉を引き出されて、導き出されていたのではないかと思います。
太田さんは「聞く人」なんですね。自分がどうであるか、すごく知りたがっていた。作者は自分がやっていることを必ずしもすべてを理解しているわけではなく、自分がやっていることはどうなんだろうかということを他人に言ってもらいたがっているところがすごくある。彼は批評というものを非常に大事にしていました。なので、その時に的確な言葉を出さなくてはいけないという…… 冷や汗ものですよ。冷や汗をかきながら、太田さんと綱渡りのような対話をしていた。
太田さんは多くの観客に向けて、舞台自体を一つの問いかけであるということを実践してきた。彼は決して自分の美学を顕現してみたり、「どうだ、これは面白いだろう」と言ってみたりするようなことは一切なく、むしろ非常に控えめに自分の、ぎりぎりの何かを見せていた。
「受動性」は太田さんのキーワードの一つですが、何かを引いて、引きまくって、かろうじて出てくる言葉だけを書きとめていく。先ほどの岡本さんの言葉で言えば、「否定性」、無化ですね。否定性で物事を語っていく中で、かろうじてポッと希望が見えてくる。それを探していたんじゃないか。
そのためにはものすごく複雑なプロセスが必要になってくる。でもこれは、今の時代ではなかなか認められない価値ということになる。それを太田さんは何とか価値として認めさせたい、ということを切望されていた気がします。逆説的な価値というものを、どこかで出したい。その姿勢自体が僕は前衛というものだったんじゃないかなと考えています。
【柴田】この本『ゆっくりの美学』の第1部第3章に、これまで話題になった「沈黙、減速、老い」という章があります。こちらの問題提起につきまして、西堂さんにお話いただけますでしょうか。
■演劇を超えた革命の視野
【西堂】実は「ゆっくりの美学」というのは、韓国で「ゆっくりの美学とアジアの芸能」というテーマで講演をしてくれないかというお誘いを受けた時に与えられたテーマだったんです。なので「ゆっくり」という言葉は僕のオリジナルというより、タイトルを訳してくれたシム・ジヨンさんの言葉なんです。その言葉から連想したのが三つあります。一つはハイナー・ミュラーの「減速化」という言葉。もう一つは太田さんの「沈黙」や「緩慢さ」、その動きが「ゆっくり」に当たるだろう、と。そして最後が、さいたまゴールド・シアターを運営していた蜷川幸雄さんが「老いの演劇」で、ゆっくりというテーマを扱っているということ。この三つを連想したことが、僕にとって発見だったんです。
最近、「ゆっくり」ということが何なのかを改めて考えてみた。僕は今の資本主義社会の象徴が「速度」や「成果」ということだと思うんです。合理主義的な考え方もそうでしょう。僕は正直に言うと、その資本主義的な価値観が嫌いなんです。そういうものからいかに外れるかということをずっと考えてきた。演劇は、そもそも資本主義的な価値観とは反りが合わない。むしろそれから外れているものが演劇ではないか。資本主義的に成立し得ないものが演劇なのではないか。
そういうふうに考えていくと、資本主義からいかに「降りる」かということが僕にとっては重要なテーマになっていく。少なくとも資本主義的価値観に積極的に加担しない。そのことが「ゆっくり」と符号してくるんです。
ハイナー・ミュラーは『人類の孤独――ドイツについて――』という本の中で、東ドイツは非常に重要な問題を提起していると言っています。つまり資本主義に対するオルタナティブが東ドイツという実験的な国家である、ということです。資本主義が前進運動をモットーとするならば、対極にあるのが減速化であると彼は提起しています。資本主義的な価値観に巻き込まれないもっとゆっくりとした時間軸の中で、文化や人間の在り方を考えていく。それを演劇を通して実践していこうとしたのではないかと思います。
僕はこの「減速化」を読み換えて、「減衰化」と言ったことがあります。何かがだんだん摩耗したり消滅したり、マイナスになっていくこと。つまり発展や成長の反対のことを演劇によって出来ないだろうかと考えたわけです。そういう減速化・減衰化が、太田省吾さんの緩慢さにも繋がっていきます。そういうスローにしていった時に、人と接することとか、風景の見え方とかが一変する。それは一見ポジティブに見えないかもしれないけれど、従来の価値観を脱臼させていくことで、新しい地平を見ていくことができる。
太田さんはよく「生命的な身体」という言い方をしたんですが、それをいま考えてみると、現在では資本主義がすべてを覆いつくしているように見えるけれども、人類史を数千年単位で見た時には資本主義の歴史なんてたかだか数百年に過ぎない。もっと大きな視点に立ってみたら、資本主義が人間の歴史を全部牛耳っているわけではない。こういう視点の転換の中に、太田さんは演劇や人間、人類というものを考えていたんじゃないか。それは一つの革命です。従来あった価値観を全部引っ繰り返してしまうような革命。
1960~1970年代を経験した人は「革命」という言葉にある種の苦みを持って体験していたと思うんですね。結局、社会主義というオルタナティブが資本主義に対抗して抬頭してきた時に、力と力の衝突になった。世界的に学生運動が盛んになりましたが、暴力による社会の転覆は、70年代にほぼ解体しました。その思想はソ連邦の解体に集約されるように壊れていくわけです。ソ連が解体した後に「革命」ということをもう一度考え直さなくてはいけない。その中で、エコロジーや社会福祉の問題、マイノリティの問題、さまざまなキーワードが出て来ている。その一環で、新しい人類の在り方、社会の在り方を通じて、太田さんもハイナー・ミュラーも、そしてある時期までの蜷川さんも考えられていたのではないか。
そういうふうに考えてみると、僕の中ではミュラーと太田さんは、どこか同じ問題を探っていた人だと思うんです。そんなことを「ゆっくり」という言葉を通じで提起してみたというのが、この本の主題です。
【岡本】西堂さんの言われた、「ゆっくり」という言葉が、社会や政治のシステムの問題や、「革命」ということをもう一度捉え直す手掛り、射程を持っているのでは、という指摘には共感があり、提起の意味も良くわかりますね。ただ、「革命」の問題は、もちろん大きな課題で、そこに的を絞ってしまうと拡散してしまう可能性もありますので、それを踏まえながらも、まずは演劇の革命について、自分の問題として具体的に少し話せればと思います。
僕は『ハムレットマシーン』を、1998年に上演しましたが、戯曲としては徹底して解体され、モノローグの断片の集積のようなテクストで、『ハムレット』の世界が解体、二重化され、東欧の現実が浮かび上り、さらには、ナチスやマルクス主義の専制の支配下を生き抜いてきたハイナー・ミュラーの個人的な記憶、そして古今の西欧の様々な文学、演劇作品の引用で構成されているんですね。一見、日本の現実、状況からは、「遠く」、「重い」テクストに見えるんですが、何度も読み込んでいくと、そこにはある奇妙な自由さと、空無化、冷えの果ての「熱」のようなものが確かにあって、それに根底の部分で激しく揺さぶられ、是非上演したいと思ったんですね。
それで、その後も読み込みを重ねる中で浮かび上ってきたのは、その「熱」の正体は、ある死者の声、視線だったんです。激動の二十世紀の戦争、暴動、革命の過程で、さらにはギリシャ悲劇の発生にも通じていくような、連綿とした非業の死者たちの声、視線。これは思い返してみますと、日本の能や歌舞伎の成立とも深く関係している御霊信仰などとも繋がってくるところがある。一見、「遠く」、「重い」テクストに見えるけれど、こちらが揺さぶられたのは、能、とくに夢幻能では、死者(亡霊)が登場し、過去の記憶を語るといった、非業の死者の声、視線が確かに存在している。そして、そこには何百年後の死の視点から生を振り返り、人生や運命を生き直す演劇的な構造、達成があるわけで、『ハムレットマシーン』の言語世界の射程は、そうした日本の非業の死者の水脈にも繋がるところがあり、だから揺さぶられたんだということも見えてきたんですね。それで能の演者にも参加してもらい、実際の上演は、現代能として能、ドイツ語朗唱、現代演劇の共同作業になりました。それはハイナー・ミュラーのテクストを、日本の文化、社会、歴史の文脈に確かに足を着け、どのようにアクチュアリティをもって上演出来るか、という問題意識から発想されたわけです。
先ほどの西堂さんの「ゆっくり」という言葉の問題提起に戻って考えてみますと、ハイナー・ミュラーの視座には、そうした「ゆっくり」、「減速化」のまなざしがあったからこそ、表層の東欧の現実、歴史を超えて、そうした深部の非業の死者たちの声も聞こえてきたのではないか。そしてさらには、同時に、反対に死者たちからの鋭い視線が、我々の現実世界、歴史の流れ、社会の問題を照らし出し、根底から揺さぶられるからこそ、ある「熱」を帯びて届いてきたんじゃないかと思います。ハイナー・ミュラーのテクスト、言葉は、そうした深さと拡がりを持っているように感じます。演劇の革命の一つのあり方を示したと思いますね。
【笠井】私も西堂さんがおっしゃる太田省吾さんとハイナー・ミュラーとの関わりを「ゆっくり」というキーワードから考えたことがあります。再び大学での話になりますが、実技のレッスンを受けた方の話を聞くと、太田さんはゆっくり動くという稽古、1メートルぐらいの距離を1分くらいかけて移動するという稽古をしていたらしいんですね。当時の学生だった方は「1分かけてここを動くのか」ということを考えながら動いたそうです。そこで、その1分間の中で今まで考えていなかったようなことを思いついたそうなんです。周囲の状況がよく見えてきて、よく観察し、ただ自分が1メートル動くだけでいろんな世界が変わっていくということを実感したらしいんです。ゆっくりにすることによって、様々なことに気づく、感じるという時間が与えられるということがあるんだと思います。
ハイナー・ミュラーは『ハムレット/マシーン』という、『ハムレット』の中に『ハムレットマシーン』を組み込んで上演をしたことがありました。西堂さんの『ハイナー・ミュラーと世界演劇』にも取り上げられていますが、ハムレットがイングランドに船で送られて、そこからデンマークに戻ってきて砂浜に打ち上げられるという、この『ハムレット』の終盤のシーンの中で、『ハムレットマシーン』が語られるというものです。ということは、浜辺にいるハムレットの視点で考えると、一瞬の間に『ハムレットマシーン』のテクストが挿入されているということになります。一瞬見た夢のような時間――引き延ばされて、引き延ばされた時間、そこに『ハムレットマシーン』というテクスト、『ハムレットマシーン』の世界が入り込んでくる。
『ハムレットマシーン』の世界というのは、ハイナー・ミュラーの個人史もありますし、当然『ハムレット』があり、ギリシア劇が入ってきたり、シェイクスピアの『リチャード三世』や『マクベス』も散りばめられている。これは一瞬で考えるには、膨大な情報量になります。しかし私たちは現実でそういう時がないかといったら、そんなことはない。危機的な状況になったら、「走馬灯」という言葉がありますけれど、短い一瞬で多くのことを思い浮かべて考える。そのように時間というものは、ゆっくりになったり、速くなったりするわけです。けれども、ここではゆっくりにすることによって多くのことに気づく。多くのことが語れるようになるということが、ハイナー・ミュラーと太田さんの共通点だと思います。
あと一つ言いたいのは、ゆっくりになることで気づく場所が増えるというのは、多面的になるということですね。速度が速い場合というのは、ある一面しか気づかないことがありますが、ゆっくりになることによって多くの面の存在に気づく。そこがわかってくるのではないかと思います。
【岡本】いま笠井さんが言った、ゆっくりにすることで新たに見えてくること、聞こえてくることがあるというのはその通りだと思います。西堂さんの資本主義的な価値観の話ではないけれども、まさにそこでは、前進運動を強いられどんどん進んでいき、止まることが出来ない。そうしたシステムに巻き込まれて生きているわけですが、そこで一度減速し、当たり前にしていたことを点検し、問い直してみる。そのような重要な仕掛けの一つとしてゆっくり動いてみるということがあるはずです。先に述べた太田さんの〈目明き〉と〈盲目〉や〈能弁〉と〈訥弁〉、そして〈わかりやすさ〉と〈わからない〉の対比の後者、〈盲目〉、〈訥弁〉、〈わからない〉は、ゆっくりや沈黙のあり方と、直接結び付いてくる。例えば、能動的にしゃべることを一度やめて、訥弁になってみる。そしてさらに沈黙にまで行ってしまうような仕掛けをすることで、世界の見え方、出会い方が変ってくるんですね。太田さんは、そういう仕掛けを演劇として発明、発見したんだと思います。
世界とどう付き合ったらいいのか。一度躓かせ、自分の存在の、身体の基盤、根底に戻って、普段当たり前にしていることを捉え直し、探ってみる。そのような世界との付き合い方の方法を、太田さんは演劇として思考し、発見したんだと思います。そしてハイナー・ミュラーも同様に、徹底した問い直しの演劇作業、試みを行なった。あの戯曲として解体され、様々な引用が錯綜し、モノローグの断片の集積のような『ハムレットマシーン』のテクストは、ハイナー・ミュラーのそうした仕掛け、発明、発見の一つだと思いますね。そんなことを通して、世界や演劇、歴史との出会い方、見え方が変ってくる。それは太田さん、ミュラーのどちらにも重要な問題意識としてあったと思います。