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■勝たないけど、負けない――持続すること

【岡本】ヴァイツゼッカーというドイツの精神医学者の「クリーゼ」という概念があります。これは「クライシス」、危機とか転機という概念なんですが、それを精神病理学の木村敏さんが「生命とかたち」の関係の問題として展開し、興味深いことを言っておられます。

 太田さんも生命的な存在、生命的な身体ということをおっしゃっているわけで、万物を生成消滅させる生命にはかたちがないんですよね。かたちの底深くに潜んで姿を見せない。しかし、その生命が姿を垣間見させてくれる一瞬がある、と木村さんは言うんです。「それは、一見安定して連続しているように見えるかたちが自己を更新する刹那、以前のかたちが壊れて新しいかたちがそれにとって代わるその瞬間である。ヴァイツゼッカーがクリーゼ(転機=危機)と呼んだ転換の一瞬である」と述べている。これは、解体が即生成になるような、根底の、生きた〈形〉のはたらきで、ある種の切断ですよね。その瞬間に生命がキラッと見える。これは興味深いですよね。だから、演劇の強固な枠組みを根底から問い直す作業の必要性、意味もそこに出てくるはずです。太田さんやハイナー・ミュラーの方法、仕掛けを、手法やアイディアとして使用するところからは、やはりクリーゼの瞬間は、なかなか出てこないでしょうね。その作業のプロセス、その発想をどのように学んでいくのか。そうすると、これは他の分野でも使えると思うんですよね。

【西堂】まさにそうだと思います。そういう危機の瞬間に本当に命が立ち現れてくるという、そこの際どさですよね。でもそれは予期しては出来ない。繋げたらもう駄目、と聞くと世阿弥のことを思い浮かべます。むしろ体は意志を持って繋いでいくんじゃなくて、体自体が繋いでしまっていくような。そういう身体がマシーン化していったときに、図らずも、という偶然性の中に顕現するかもしれない一瞬が立ち現れる――ここに賭けていたと思うんですよ、ミュラーも太田さんも。そこにおいては演劇にとってもっとも本質的な問題が掲げられているのではないかと思います。

 60年代/70年代に身体論がすごく問われましたが、そのある種の到達点を、世阿弥を通じて、もう一回再獲得されていくような現代の身体論というのがこの辺りにあるのではないかと思います。

【笠井】そういう意味で言うと西堂さんは先ほど、資本主義が嫌いとおっしゃっていましたけど、こういうプロセスを大事にするやり方って不効率ですよね。だからある意味ではこの社会に受け入れられ難い部分もある。それをどうやって引き継ぐかと考えていたときに、岡本さんの話を聞きながら気づいたのですが、今回、太田さんやミュラーが作り上げてきた方法、もしくは岡本さんの言葉で言うならば、世界と付き合うための術というものを、どういうふうに引き継いでいくのかが重要なのではないか。ただでさえ、非効率で、ひょっとしたら一面的にしか見ない社会からすると受け入れ難いものかもしれないけれども、そのような社会の中で、何とかもがいて苦しんで生み出された形があるならば、それをどうやって継承していくかということが重要なのかと思いました。

【岡本】そうですね、僕は能と50年以上関わってきましたので、型や様式、形の継承の難しさは痛感しますね。それで、実際にかなりの数の能も観てきましたけれど、型、様式の二面性と言うか、同じ定型的な型や動きも、演者によって深い感銘を与えたり、まさに「型通り」演じられ、退屈極まりないなぞりでしかない、といった事態があるわけです。無自覚に型や様式に寄りかかり、支えにすることで、なんの新鮮さもない固定化、惰性化、形骸化したなぞりの演技に陥ってしまうんですよ。

 僕が強い影響を受けた、「世阿弥の再来」と呼ばれた観世寿夫さんという能楽師がおられたんですけれど、その取り組み方は大きな手掛かりになると思いますね。寿夫さんは、第二次大戦の直後の伝統芸能にとっての存立の危機の時代を体験されて、ただ型通りの稽古をしているだけでは駄目で、能を根底から捉え直す様々な実践的な作業をし、その格闘の中から新たに能を蘇生させ、展開されたんですよ。

 その具体的な試みとしては、一つは、600年前に能を大成させた世阿弥の創造の現場に立ち返り、その初発のエネルギー、研鑽工夫の作業を身をもって捉え返すことでした。先ほど、笠井さんが、もがいて苦しんで生み出された形、と言われていた、そうした原点の現場へ、もう一度自覚的に戻ってみることですね。それで二つ目は、能が現代に対して訴えかけを持つ演劇であらねばならないと、家元制度の締め付けの厳しい当時の状況の中で、同時代の多様な現代芸術との共同作業を積極的に行ったんですね。そのような、多面的な角度からの問い直しのプロセスの作業を大事にされたんです。だから、ある瞬間、その能の演技にはクリーゼの一瞬があって、生命がキラッと見えて、僕なんかは魂を揺さぶられました。

 この寿夫さんの取り組み方は、また、能と現代演劇の関係を考える上でも参考になります。能を現代演劇に活かす試みは、いろんなやり方があっていいわけですけれど、言うまでもなく何より大事なのは、能の演技や謡曲、テクストの型や様式との徹底した格闘の作業です。それがなくて、型や様式に寄りかかり、乗っかってそのまま使用することは安易なやり方ですね。そこでは自己のあり方が根底から問われずに、いくらでも楽に作れてしまう。先にも言ったように、型や様式には二面性があって怖いんですよ。伝統演劇の能の方でも、寿夫さんのように危機意識を持って、根底からの捉え直しの作業を行っているのですから、型や様式との、原点の創造の現場に立ち返った格闘の作業が、やはり現代演劇にこそ必要とされていると思います。

 そうした問い直しのプロセスの作業を、どのように自己化し、創造の現場を作っていくのか。太田さんやハイナー・ミュラーの仕事は、その重要な実践例として提起されたもので、それをきちんと正面から受け止め、捉え直し、展開させていくことが求められているはずです。太田さんはとても真摯な人で、そこを誠実に――資本主義的な価値観からすれば「不要不急」でしょうが、そうした二項対立ではない、価値観や尺度、物差しを大事にして探求されたと思います。絶えず演劇の枠組みを根底から捉え返す、そうしたプロセスの作業こそ、何よりも大事にして継承していく必要があると思います。

【西堂】笠井さんが「不効率」だという言い方をされましたけど、今の時代の価値観が「効率化」、時間を短縮して、いかに効率を上げるかということだとすれば、こういうものに対してどうすればいいのか。先ほどは「脱臼」という言い方をしましたが、もう一つはこういう価値観に対して、これを乗り越えていくということをしなければいいんじゃないかと思うんです。こういうものに対して「負けないでいる」ことが大事なんじゃないか。勝とうとしないけど、負けない。この負けないを持続していくと、最終的に生き残るんですね。

 最近、野木萌葱さんに素晴らしい言葉を聞きました。野木さんは「こんなに客が来なくても大丈夫ですか? 続けられるんですか?」と聞かれた時に、「やめなきゃ、残るでしょ」って言ったんですね。まったく肩の力が抜けていて、単刀直入に。つまりやめなきゃ残る。それが演劇を持続していくときの心得なんです。そのときに二項対立的な思考から外れられる。二項対立というのは、ソ連の解体で一つ終わったと思うんです。そうではない革命のやり方、残り方というのは、「負けないでい続けること」ではないかと思います。

【岡本】勝とうと思ったら、二項対立で同じ土俵に乗ることになりますからね。だから違った仕掛け、思考の方法がいるんだと思います。太田さんやハイナー・ミュラーは、その点でも大きな手掛かりになるし、それは別に演劇の領域だけの話ではなく、様々な分野の人々が、どのように世界と対して、付き合っていくのかという時の、重要な手掛り、導きにもなるはずですね。

 太田さんのキーワードの一つでもある「受動性」という言葉にしても、大事なのは、それは能動性と受動性の二項対立ではないんですね。まず始めに一度、受動性で自己の存在を開いてみて、世界をちゃんと引き受けてみる。すると、同時にそこからある種の働きかけの能動の力が、自ずから出てくるんです。まさに受動的能動、能動的受動です。

 先ほど西堂さんが話されていた、世阿弥の「せぬ隙(ひま)」のあり方なんかもそうですね。当時の能の観客は目が肥えていて、「何もしない所が面白い」という批評があったんですけれど、それに対して世阿弥は、それは単に何もしていないわけじゃないって言うんです。動きと動き、言葉と言葉の間は単なる空白ではなくて、そこを繋いでいる内心の集中の持続がある。しかし意識して繋げようと思ったら、それはやってることになるので、それが自分にも見えないくらい深い集中がいる。そしてそれが匂い出て、伝わってきて面白いんだと言ってるんです。止まって見える独楽が激しく回っているように、内側で心身が動いている。ここでは、能動性と受動性、意識と無意識などが二項対立ではなく、その根底の自在な関係性のあり方が明瞭に見定められているんですね。

 そしてさらに興味深いのは、そうした深い集中の持続から、「開聞(かいもん)・開眼(かいげん)の妙所」が出てくると世阿弥は言っています。「開聞」は聴覚的、「開眼」は視覚的な、耳や眼が開かれた、深い感動を与える山場です。当然、劇作家も演出家も、そして俳優もそれを目指して、いろいろと仕掛け、工夫をするわけですが、しかし、残念ながらそれが上手くいく保証はどこにもない。でも求めざるを得ないわけで、そのような能動性と受動性、意識と無意識の対立を超えるような探求の作業、工夫の中から、ある瞬間、「開聞・開眼」の新鮮な出会いの場、時間が出現するんです。太田さんの「脱衣」や緩慢な歩行、そして「沈黙」などの工夫、仕掛けも、こうした、ある意味で根源的自由とでも言える体験と繋がっているはずです。思い返してみますと、『水の駅』のあの冒頭のシーンも、このような「開聞・開眼」の一つの出会いの時、場だったと思いますね。

 

■未来へ繋げるために

【柴田】興味深いお話をありがとうございます。最後に21世紀の革命に繋げるためのお話を一言ずつお伺いできますでしょうか。

【笠井】西堂さんのおっしゃっていた「負けない」ということは非常に大事だと思うんですね。そのための方法として、太田さんも格闘していって、そういった方法を編み出したんだと思うんです。

 とくに太田さんに関しては、活躍されていた70年代後半、そして80年代というは、同時代の演劇人たちは、速度感のある演劇を上演することが多かったかと思います。そのような中で、負けない方法論として「ゆっくり」ということに近づいていったということがあると思います。そういった方法論をいかに継承していくかということは、少しでも負けないためには重要でしょうし、それを応用して自らの方法を編み出していくというのが、私たちに課された課題かなと思いました。

【岡本】やはり、〈わかりやすさ〉ではなく、〈わからない〉という方向性が何より大事だと思いますね。〈わからない〉というところにどう飛び込んでいけるのか。もちろん「前衛」とか、「実験」とかという呼び名は関係ないんで、いつの時代でも、自明性になっている演劇の枠組みを、根底から問い直す絶えざる格闘の作業の中から、刻々、豊かで新鮮なものや、ことが生み出されてきたと思いますね。それは演劇の枠を超えて、様々な場で問い直せるはずで、今日も多くの方が集まってくださって、一緒に〈わからない〉ことを大事にして探れたのは、有意義な時間だったと思います。今後も、それぞれの現場で持続的に、こうした試みをやっていければと思っていますね。

【西堂】今日は、この本を一つの題材にして、お二人からいろいろ話を聞きたいという思いが一番あり、随分いろいろなことを読んでくれて、語ってくれたので、僕には大変ありがたかったし、参考になりました。太田さんの仕事を演劇の枠の中だけに収めず、生活や世界、革命についての思考にまで広げられたことは、とても刺激になりました。それをまた違った形で活かせばいいかなと思っています。どうもありがとうございました。

【柴田】皆さん、本日はありがとうございました。