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テレーサ・ルドヴィコ  Photo by 梁丞佑

あしたの劇場 「劇場へいこう!」

新作『小さな王子さま』の脚本・演出 テレーサ・ルドヴィコさんに聞く

――子どものまなざし、大人のまなざし――

 

【日時】2022年8月31日(水)
【会場】座・高円寺 2F けいこ場1(地下3階)


《トークゲスト》
テレーサ・ルドヴィコ(劇作家・演出家)
髙田恵篤(演劇実験室◉万有引力
通訳:石川若枝


 本日は、2022年9月26日より始まる(一般公演は10月)、座・高円寺 あしたの劇場「劇場へいこう!」シリーズの新作『小さな王子さま』脚本・演出のテレーサ・ルドヴィコさんと、出演される髙田恵篤さんに、これまでの作品づくり、また新作についてのお話をうかがいます。

 座・高円寺の「劇場へいこう!」は、区内の公立小学校4年生全員が、劇場で演劇を観るという演劇体験のためのプログラムです。その第一作にして、座・高円寺の開館記念作品が、テレーサ・ルドヴィコさんが創った『旅とあいつとお姫さま』でした(美術=ルカ・ルッツァ/2009~2015年、計136公演、観客のべ26,266人/平成23年度児童福祉文化賞受賞)。近年、さまざまな劇場で子ども向けのプログラムが創られていますが、この作品は、その潮流の始まりの作品といえるでしょう。

 しかも特筆すべきは、この作品は学校公演だけではなく、一般公演で多くの大人からも高い評価を受けたことにあります。つまり『旅とあいつとお姫さま』は、「子ども」という枠にとどまらず、「大人」にも開かれた作品――テレーサ・ルドヴィコさんは、老若男女・国籍を問わない作品を生み出し続けています。(司会・まとめ=塚本知佳)

 

■子どものための演劇とは?

――最初の質問は、「子どものための演劇とは?」ということです。サン=テグジュペリの『小さな王子さま(星の王子さま)』の冒頭に、「大人は誰もが、はじめは子どもだった」という意味の一文があります。逆から考えると、「子どもは誰もが、いずれ大人になる」、つまり子どもの時間の向こう側には必ず「大人」がある。だとしたら『旅とあいつとお姫さま』のように、子どもだけではなく、大人にとっても面白い作品こそが、真の意味での子どものための演劇といえるのではないでしょうか。テレーサさんが、子どもが観る作品を創るうえで考えていること、大事にされていることを教えていただけますか?

【テレーサ(・ルドヴィコ)】皆さん、お越しいただきありがとうございます。本日は女性の方が多いのでとても嬉しいです。が、その中に男性の方も何名か混じって…… 楽しく聴いてくださるのだと思います(笑)。

 私が演劇に携わるようになってから、約40年が過ぎました。当初は、大人向けの現代演劇を創り、古典をリライトした作品なども手がけていました。しかし22年前に、演劇というのはすべての年齢に向けて発信できる機能を持っているのではないか、年齢を分けることなく、全年齢の観客向けの作品を創れたら素晴らしいのではないか、と考え始めました。

 通常の演劇は、大人向け、子供向け、伝統的、喜劇、悲劇など、ジャンルごとに分かれています。そしてこうした分類は、しばしば観客も分けてしまいます。まして子ども向けの演劇はマイナーなジャンルになりがちです。なぜなら、通常、子どもたちを劇場に連れていくのは、子どもを楽しませるためであるからです。そこで私たちがしばしば忘れてしまうのは、子どもというのは、大人と同じように情報を受け止める力を持っているということです。

 子どもたちには想像する力があります。感情も持っているし、怖いと思う能力、知性もある。唯一彼らが持っていないものがあるとすれば、それは人生経験です。ですから私は子どもというのはリスペクトされるべき、尊敬に値する存在だと思っています。劣った存在と考えるのは間違えだと思うのです。

 単に楽しむということを超えた子ども向けの演劇というものを考えたときに、演劇を通じて彼らにイニシエーション(通過儀礼)の旅を経験させるということができるのではないかと思います。すなわち、彼らの成長を助けるようなお話を届けるということです。ですから、お話の中に出てくるヒーロー(英雄)と自己同一できるような演劇。物語の中ではヒーローは困難に直面しますが、子どもたちもヒーローと一緒に困難を乗り越えていく、そういう演劇を考えています。

 現代という時代は、あらゆるスピードが速く、両親は働かなくてはならないし、子どもたちのための時間はあまりない。人と人との距離も広がっていて、子どもたちは常に孤独な状態に置かれています。子どもだけでいる、あるいは、一人でいる間、彼らはビデオゲームや携帯電話を前に過ごし、他の子どもや大人たちと関係を結ぶ機会を失っているのではないでしょうか。

 成長する中で生まれる恐れというのがあると思います。子ども時代から思春期への成長過程で、体も変わるし、感情も変わっていく。子どもたちにとって、それらはまだ知らないことなので、その変化の中で恐れを抱くということがあると思う。こうした恐れにどう立ち向かえばいいのか、あるいは誰に話せばいいのか、共有できるのか、ということを、彼らはわからないでいるわけです。そしてビデオゲームはその助けにはなりません。

 そこで誰がその役割を果たすことができるのだろうか、と考えたときに、特に今の時代において、それは演劇の役割だと思います。

『小さな王子さま』 Photo by 梁丞佑

 まず演劇は一人で観ることはできません。誰かと一緒に観る、学校公演では先生もいるし、他の子どもたちも一緒にいる。一般公演では、祖父母や親などと一緒に観るという状況になる。これが本当の意味での劇場、演劇の機能ではないかと思います。つまり、子どもたちを劇場まで連れて行き観せてあげるという機能です。これは成長の過程に同伴する、一緒に見守るということなのです。

 そこで私は一つの挑戦をしようと考えました。それがすべての年齢層向け、全員のための演劇作品を創るということです。でも、それはどのようなことなのでしょうか? 

 親が子どもと演劇を観にいくということを考えると、その問題点がわかります。親が子どもを劇場に連れていき一緒に観ることはもちろんできますが、それだけではなく、大人もその演劇を一緒に観て楽しむということができるということなのです。

 その素材としてどのような話がよいかと考え、昔から言い伝えられているたくさんの素晴らしい話を思い浮かべました。『ピノッキオ』、『雪の女王』、アンデルセンの『旅の道づれ』(『旅とあいつとお姫さま』の原作の一つ)などの「おとぎ話」をまず素材に選び、こういった物語の中からアーキタイプ(原型)を見つけ出すということを行いました。

 大人でも子どもでも、また、イタリア人や日本人といった国籍も関係なく、どんな人にも訴える、そのようなアーキタイプです。だからこの時点で、国、国境を超えるような演劇を考えていたわけです。ですので私の演劇というのは非常に重層的な作り方になっています。

 まず子どもたちに語りかける層――お話を明確にシンプルに語るという側面が一つあります。また、同じストーリーを大人に向けても語りかけることができるというレベルの層も創っています。更に、これらの話を語るにあたり、演劇的な言語・表現方法というのは、極めてレベルの高いものでなくてはならないと考えています。それには質の高い演者が必要です。ですので、これまでも現在も、私の演劇に参加してくれた俳優の皆さんは、若い方も経験のある方も、非常にポテンシャルの高い方ばかりです。舞台美術・音響・照明も、常にハイレベルのものを創り出していると思います。

 そのポリシーは「美」にあり、美しいということをいつも念頭に置いています。先ほど言ったように、子どもとは尊敬に値する存在なので、そうした質の高いものを受け取るべきだと思うんです。だから「子どものための演劇」という枠を超えて、すべての人たちが、美しい、素晴らしいと感じてくれる演劇を目指しています。

 ただし、この全観客向けの演劇を創るときは、大人向けの作品、あるいは現代演劇を創るときよりも、クリエーションやアイディア、事前にテキストを書く過程などに、より時間をかけています。なぜなら、私はそれに対して大変な責任があり、より責任が重いことだと考えているからです。期待をして劇場へ来る子どもたちを裏切りたくありません。彼らの初めての演劇体験が私たちの創った芝居になる。ここがスタートだと思うと大きな責任感を感じています。

 大人は演劇を観に来て、満足して帰るときもあれば、逆に、この俳優の出ているのはもう見なくていいか、などと思う。つまり自分で決められるんです。ですが子どもは、自分で劇場に来るということはしません。先生や親など、誰かに連れられて来る。連れて来られて、全神経を尖らせて、どんな素晴らしいことが待っているのかと期待をする。だからその期待を裏切ってはいけないと考えています。全観客向けの芝居というのはそういうことです。

 この全観客向けの作品を持って、私は初めて日本に来ることができました。それが『美女と野獣』(2001年)という作品で、これは日本のみならず、イタリアをはじめヨーロッパで、子ども向けの演劇というイメージを一新した作品と自負しています。この作品がきっかけとなり、日本の劇場から、日本の俳優を使い全観客向けの演劇を創ってほしいという依頼をもらったという経緯があります。

――全観客向けの演劇が生み出される背景には、テレーサさんの子どもへの尊敬と想像力への信頼、それを引き受けるアーティストとしての責任意識の強さがあったのですね。

『旅とあいつとお姫さま』 Photo by Jason Arney
手前=魔物(髙田恵篤)、奥=お姫さま(辻田暁)

――髙田さんは、サイモン・マクバーニーの作品をはじめ、さまざまな作品に出演され、「万有引力」では演出もされています。このようなキャリアを持つ髙田さんにとって、子どもが観る作品とそうではない作品において、何か表現されるときの違いなどがあれば教えていただきたいと思います。

【髙田(恵篤)】そもそも「子ども向けの作品」「大人向けの作品」という言い方もおかしい気がしますが、演じる上ではまったく関係ありません。

 「劇場へいこう!」シリーズは、小学校4年生が一番の中心になります。が、そもそも小学校4年生がどれだけのことを学校で学んでいるのかも知らないですし、作品の中では結構難しい言葉を使ったりしているので、本当にわかるのかな? というのは気にはなります。けれど、その言葉をわかりやすく変えるということはしないので、そんなに変わらないですね。

 演じる方としては、よほど子ども相手に見せたほうが怖い。子どもってつらまないとすぐ飽きるんですね。ちょっとザワザワするのがわかるんですよ。つまらないんじゃないかと思うと早口で言ってみたりしますけど(笑)。台詞を間違えたり、噛んだりすると、すぐに声が来るんですね、「あ! 噛んだ!!」。これはかなりキツイです。大人は我慢して聴いてくれますからね。

 『旅とあいつとお姫さま』を始めてから14年くらい経っています。14年って、小学校4年生――9歳か10歳のその人たちが、23~24歳になっている。その人たちに、「観たことを覚えているのか? それとも完全に忘れ去ってしまっているのか? 覚えている人は、何か残った部分があるのだろうか?」というようなアンケートを、ぜひ座・高円寺のほうでとってもらいたいと思うんです。

 舞台を観た小学生は、みんな感想文を書いてくれる。でもそれは、その年に観たものだから。はたしてそれが残っているのかどうか。こういう演劇はその子たちに何か影響を与えているのかということは、非常に興味があるところです。特に『旅とあいつとお姫さま』は、子どもに見せていいのだろうかというぐらいの、すごいものがあった作品なので、そういうアンケートがあったら、少し楽しみかなという気がします。

《追記》この講座終了後に、小学生時代に『旅とあいつとお姫さま』を観たという大学生が参加していたことがわかり、テレーサと高田さんお二人に直接、話しかけてくれました。

――髙田さんは今回の『小さな王子さま』を含め、テレーサさんの「劇場へいこう!」作品にすべて出演されています。長年、一緒に作品づくりをするなかでのテレーサさんの印象とはどのようなものでしょうか?

【髙田】テレーサは、日本語がわからないので、あまり言葉を大事にしないんです。自分で台本を書いてきているのに、稽古の始まりとしては言葉は大事にせずに、まず身体表現の方から、言葉がなくても伝わるようなものはどのように創れるのかというアイディアを出し合っていく。

 僕は寺山修司と一緒にやっていた当時、よく海外公演に行きましたが、今のように字幕スーパーは出ないんですよ。だから、言葉を頼りにしちゃ駄目なんですね。なるべく言葉を減らして、他の表現で何とかできないかということをまず考える。ここはテレーサやサイモンと一緒にやってみて、共通するところです。テレーサの場合は、そこが面白いと思います。

――テレーサさんの舞台は、コミュニケーションというものが言葉だけではないということを感じさせてくれます。つい、話すこと=相手に何かを伝えること、と考えてしまいますが、人間の身体の存在というのはそういうものではない、ということを考えさせてくれる舞台ですよね。