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【本橋】ありがとうございます。世界水準の演劇と言ったときには、言葉を変えれば要するに普遍性ということですよね。どんな世界にも、つまり文化とか歴史とか、そうしたものを超えた何か普遍的な水準があるべきだということだと思うのですが。例えば音楽とかバレエとか、思想を考えれば明らかですよね。つまり、例えば小澤征爾さんの音楽を、誰も日本の音楽だなんて言いませんね。最初から音楽は、そういう意味では国境を越えているし、ある普遍的な水準に達したものだけが、世界水準だとみなされる。ところが、演劇だけはどういうわけか、もちろんこれは言葉の問題もあるし、身体を基にする芸術ですから生活様式の問題もあるのでしょうが。先ほどの竹森(陽一)さんの院長の台詞ではないですが、「白人崇拝と奴隷根性」がいまだにあるのかな、と。

 イギリスで日本の劇団がシェイクスピアを上演すれば、「本場で」などと言われる。演劇や芸術に「本場」なんてあるわけないですよね。もちろんシェイクスピアはある特定の、16世紀17世紀のイギリスに生まれた作家ですけど、演劇というのは当然どこでもが「本場」になるわけですから、普遍性を持っていれば。それなのに、西ヨーロッパに出ていったものだけが「普遍的」だとか、「世界の何とか」とか言われる。みなされる。しかし今度は逆に、アジアで例えば隣の韓国とか、南アメリカとか、そういう今度はヨーロッパではない場所。ヨーロッパのウエストに対してレストとも言われますけど、ヨーロッパ以外の場所でやられる方が、今度はいいんだみたいなことにもなってきています。

 おそらく鈴木さんとSCOTがやってきたことは、そういうウエストとレストの二分法ですね、西と東、この二分法にとらわれないのがやっぱり普遍的なものじゃないか、そのことを菅さんの本も言っている。

 さて今回のシンポジウムの目的は、利賀の思想ということを問うことにあります。利賀村は伝統的な山村共同体としては成立していないのが現実ですね。利賀村という行政区はもうないわけですから。鈴木さんは東京で、早稲田小劇場を拠点として、しかも岩波ホールの芸術監督で、もう押しも押されもせぬ演劇界のリーダーだった。それを捨てて、1976年に利賀村に行った。そして利賀村で一緒に生活をして、初期は二枚のパンをマーガリンとジャムで分け合って、牛乳一本みたいな生活だったとのことです。そういう時代からこのSCOTというのは利賀村で、集団性ですね。一緒に生活して一緒に食べて、今は利賀村に行くと利賀村産の農産物がたくさんあります。食事とか農耕といった日常的な営みを通した、共同性によって支えられているということですよね。

 演劇という最も純粋な芸術と、最も地に結びついた土着的なものとが結びついて、集団性ができている。それをおそらく同志と言ってもいいと思います。長年おそらくその利賀村に、もう何度も行かれた優れた訪問者のうちで、最も優れたお二人である、菅さんと内野さんにとって、単なる演劇ファンとか鈴木忠志の舞台が素晴らしいといったことを超えて、同志としてきた要因はなんでしょうか?

【菅】いや、「同志」だとは自己規定できないし、しても鈴木さんは、お前なんか同志じゃねえよって言うだろうなと思うし、そもそもそれはちょっと待ってくださいという感じです。もう少し違った関係です。その話は後でします。

 その前に、アウト・オブ・コンテクストですみませんが、本橋さんが非常に正確にきめ細かく書いていると評価して下さったので、それに反した点を一つ訂正させて下さい。SCOTの『北国の春』という歌謡演劇がありますが、あれには鈴木さんがつくられた『家庭の医学』という、1979年に早稲田小劇場で上演されたご自身の原作があって、それの更なる原作が、ユダヤ系ロシア人で、フランスで活動したローラン・トポールという人の『ジョコ、記念日を祝う』という作品です。その『家庭の医学』のなかでホルスト・ヴェッセルの歌という、ナチスの党歌のような曲が流れるというト書きがあります。ナチスと冷戦が人々を飲みこむ、という20世紀的危機意識ですね。それについて私はローラン・トポールの世界に対する危機意識は、ホルスト・ヴェッセルの歌によって表現されたと書いたんですが、ホルスト・ヴェッセルの歌を使ったのは鈴木忠志と早稲田小劇場なので、これは1979年の鈴木さんの危機意識というべきでした。訂正しておきます。それが、超高度情報社会になった21世紀には「デジタル・ファシズム」にとって替わられるということになります。

 で、本題の「同志」か否かの話に戻りますが、鈴木さんと私の間には軋轢がいろいろあったわけですよ。ひとつはまあ言ってしまえばイデオロギーの違いです。それは突き詰めれば、当時の〈真っ赤っ赤〉の世界に拘る私と、それに冷淡な鈴木忠志という、それだけの話だと思います。それでも、とにかく執拗に早稲田小劇場のお芝居は見ていました。上演のたびに必ず知らせをくれる鈴木忠志も鈴木忠志なら、知らせが来れば必ず見に行く私も私という、そういう関係です。だけど、私には早稲田小劇場が利賀に行くということに関しては、凄く抵抗感があったんですね。

 内野さんが触れてくださったことを、もうちょっと踏み込んで言うと―『鈴木忠志論』に書いたことですが―東京の60年代演劇の観客はほぼみんな貧乏人でした。その中で、早稲田小劇場の客は、軽薄なノリの状況劇場や天井桟敷の客と比べると、かなり本気で創り手と向き合う知的な客が多い。いいお客、いい支え手です。移転すれば貧乏人は金も暇もないし、利賀にはゆけない。つまり移転は観客を捨てることだ。おい、これをみんな捨てるのかという、苛立ちというか怒りというか、そういうものがありました。泊りがけで利賀までは金と暇がないと行けない。行けるのはジャーナリストと学者とスノッブだけだろう、これはムカツクと、78年の岩波ホールは見ていますけど、1976年から十数年間利賀には見に行ってないんです。水戸に行った方が先です。

 『イワーノフ』のことも内野さんが話してくれましたが、当事者の側から言います。『イワーノフ』という作品の主人公は、ロシアの地主出身の革命派インテリで、農奴制に反対してツァーと闘って無残に挫折した男です。反差別の理念に忠実たらんとしてアンナというユダヤ人女性と結婚しますが、口さがない隣人は、イワーノフがアンナの実家の金目当てに結婚したのに、アンナが勘当されて目論見が外れたんだと噂します。サーシャという女の子が、アンナとの仲も壊れてズタズタになってしまったイワーノフに恋して近づいてくる。アンナは結核で死が近づいています。そういう状況で、アンナは嫉妬もあって隣人の噂を信じてしまいます。イワーノフとアンナの間では毎日凄まじい口論が続きます。その言い争いの中で、死にかけの女房に向かって、イワーノフは「黙れ、ユダヤ人」と言ってしまうんですね。反差別を掲げた日本のインテリが、黙れ「チャンコロ」とか黙れ「エタ」とかいうのと相似形です。アンナは死に、自己嫌悪からイワーノフはピストル自殺する、というのが結末です。

 水戸芸術館の舞台を見て、嫌なものを見た、と思いました。ロシア・インテリゲンツィアを日本の左翼インテリと重ねて批判した、と読み取ったからです。初演の舞台ではイワーノフの書斎には『改造』だの『中央公論』だのが置いてあるんですから、そう見るのが順当です。

 「これは俺のことかよ? 左翼はこういうふうに批判されるわけ?」というふうに、むちゃくちゃムカツクと同時に、刺さるものがあったんですよ。こういう挑発をする人とはお付き合いしないといけないかなって、あらためて思ったんですね。それから利賀に通うようになりました。そうすると『世界の果てからこんにちは』(初演から三回目ぐらいだったかと思います)と『帰ってきた日本』という、今の日本人シリーズの第一作目と出会います。

 『世界の果てからこんにちはI』は、ニッポンに拘泥する偏執的な精神の男の心象風景に形を与えた舞台です。ご覧になった方が多いと思いますが、ずっと野外劇場の舞台の真ん中に座っている男です。いんちきなナショナリストで、何だか戦争中は神がかりになって、戦後になると老人ホームを経営して、私腹を肥やして、いわゆる土着日本人が近代化されたみたいな人間です。そういう精神のありように対するシニカルで非常にシャープな批判がなされています。『帰ってきた日本』も相似形のテーマでしたが、その年一回の上演で、十数年寝かされます。

 この二つを見て、鈴木忠志の眼力がただの左翼批判ではなくて、戦後日本精神史全体に届いた劇的表現になっていると思いました。で、1994年から後の観客としては、確かに私が一番いい観客、かどうか分かりませんけど、しつこく見ている観客になった次第です。だから、執拗に同伴・併走していることは間違いありませんけど、「同志」かどうかは鈴木さんとSCOTのみなさんが判断してくれるべき事柄だと思います。

【本橋】いま菅さんがおっしゃってくださったところ、153ページですが、素晴らしいので引用します。『イワーノフ』についてです。「鈴木の演出意図には日本の左派・革新派インテリ批判が重ねられている。ACM(水戸芸術館)の舞台では、イワーノフの書斎に『改造』『中央公論』など、いかにも戦前インテリの読みそうな雑誌が置かれていた。私が見た舞台は1993年、1年後の再演だった。ソ連崩壊のあと、左派の根底的再審が不可避となっていた時代である。私はイワーノフの世界を「必要とする者」として客席にいた。限りなく〈嫌なもの〉を見たと思った。舞台から〈お前はイワーノフの同類だ〉というメッセージを受け取ったからだ。私ごときが「新旧左翼」を代表する必要はないのだが、左派のはしくれとして、イワーノフの造形には胸苦しさを覚えた。同時に、世界を変える志が直面する難関に介入できる演劇があると知ったのは、この上なく貴重な経験だった。私はこの年から、利賀とACMに足を運ぶようになった」。

 こういう文章は自分の批評のスタンスというものを、常に何か対象とともに測る姿勢の反映です。芸術とか、我々が考えるものに対する距離の取り方として学ばなきゃいけないな、と思います。では内野さん、「同志」について。