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【本橋】はい、ありがとうございます。さて今日の本題として、菅さんの赤い本『演劇で〈世界〉を変える――鈴木忠志論』に入っていきたいと思います。来週土曜日に渡辺保さんをお招きして鈴木忠志さんと対談していただくのですが、渡辺さんも『演出家 鈴木忠志 その思想と作品』(岩波書店)というご本を2019年に出されています。こちらの本には僭越ながら私たち国際演劇評論家協会(AICT)日本センターでAICT演劇評論賞という、その年の一番優れた日本語で書かれた演劇書に与える賞を差し上げました。こちらについてもまた来週の土曜日に話し合いたいと思うんですけど、今日は菅さんの本を主題にして、お二人に話し合っていただきたいと思います。

 とにかくこの本は情報量がすさまじいですね。よくこれだけ覚えているなというか、鈴木さんに借金したのをまだ返してないとか、そんなことまで書かれている(笑)。それから注ですね、1ページを超えているものさえある。この歴史とディテールに対するこだわりがすごい。ディテールというのはそれぞれの舞台のディテールよりも、鈴木忠志という人間とSCOTという劇団の軌跡に対するこだわりです。

 対照的に渡辺さんの『演出家 鈴木忠志』の方は、注はないし、鈴木さんの舞台を著者の感性でもって、見事に流麗に表現している本ですね。ですから、まず菅さんがこういう本を書かれた動機からうかがえますか。

【菅】渡辺保さんの鈴木忠志論が出ていましたので、これとは違ったスタイルでやらないといけないという意識はたしかにありました。私の書いたものを読み通したある人から、鈴木忠志絶賛論ですね、といわれました。60年間の鈴木忠志と劇団の事績を追っていますから、結果として、高い評価が書かれているのは事実です。しかし、必ずしもそれが執筆意図ではありません。

 批評家にはそれぞれの批評の基準というか物差しがあって、お互いに違っています。違った基準を擦り合わせることによって、相互理解が生まれ、違いの意味が確認できる。批評家相互だけではなくて、読者とのコミュニケーションもそういうものだと思います。しかし、非常に長らくの間、読者と批評家も、批評家同士も、そういう手続きを踏むことをしなくなった。無自覚のうちに議論がサボタージュされてきた。

 他人の基準や評価を肯定するにせよ否定するにせよ、何かを基準にして物を言ったり、考えたりするメリハリが要るのではないか。そのための一つの尺度を提示したい。その物差しで鈴木忠志を測って見せよう。そうすると非常に高い評価になる。しかし、私の中にある別の物差しでは、それは相対化されている。そういうつくりの演出家論を書きたい、というのが執筆意図だったと言えると思います。

 鈴木忠志論という演出家論の手前、あるいは向こうに、私なりのその議論を載せている場を設定しています。鶴見俊輔さんの『限界芸術論』を下敷きにしています。鶴見さんは美的経験・芸術経験を純粋芸術、大衆芸術、限界芸術というふうに区分しています。先ず私もそれを借ります。

 一つ目の純粋芸術というのは、「ファインアート」ですから、これにはユニバーサルな基準があります。つくる人はそのつもりでつくるし、批評家も鑑賞者もそう思って見たり、読んだり、聞いたりする。二つ目の大衆芸術は、娯楽です。その面白がらせ方、楽しませ方には、独自の普遍的な基準があるだろう。ただこの基準は、市場原理で測れます。そこが、センシティブな一つ目や三つ目とは違うところです。三つ目の限界芸術は、鶴見俊輔をお読みになった方には余計な説明ですけど、これは一つ目も二つ目も専門家がつくるものであるのに対して、それ以外のさまざまなる美的経験をすべて含みます。作り手と受け手の間で必需な芸術の経験であることが必要十分条件です。

 鶴見さんは一番プリミティブな限界芸術は、赤ちゃんのガラガラだと言うんです。赤ちゃんのガラガラ、振る母親、見る赤ちゃん、そこに成立する経験もまた美的経験なのだからそれを芸術だと呼ぶとすると、これは第一とも第二とも違うものだ。そこまで芸術概念を広げてみる。別にうまくなくたって構わない、どんな作品であっても、それがあることを必要とする人がいる。それ以上でも以下でもないが、そこには当事者にとってのかけがえのない値打ちがあるわけです。かつての労働組合の文化活動としての職場演劇、私たちが学生時代に経験した学生演劇、その後の時代からどんどん盛んになった高校演劇、コミュニティの繋がりの媒介として機能する地域の演劇、身体障害者のQOL(Quality of Life)を支えるものとしての演劇、心身の傷つきを癒すトゥールとしての演劇などなどです。

 ここから先は、「限界芸術論」ではなくて私の考えです。一にも二にも三にも入らず、あってもなくてもいい四番目の芸術というのがある。無用の演劇、というふうに取りあえず分類しようと思います。それが多すぎるんじゃないかというのが、日本演劇界に対する私の基本的な認識でもあります。それで、私が読者に求めたいのは、私の提示した基準や私の書いた内容に賛成でも反対でもいい。ただ、私のいうことを認めないのなら、どういう基準で自分は演劇を考えるのか、立場を決めて演劇と関わってほしい、ということです。

 ユニバーサルかどうかという前に、まず日本語圏演劇での演出家の器が問題です。ひとつは身体造形の独自な方法を持ち、訓練法を持ち訓練機関を持っているかどうか。演劇は集団の表出行為だから、それをなしうる固有の劇団を持っているか。演劇における固有の身体の言語は、それと見合った固有の空間が必要だから、それを保証できる劇場を持っているか。基準はその三つです。それを満たすのは私の見立てとしては千田是也、浅利慶太、鈴木忠志の三人だけです。『戦う演劇人─戦後演劇の思想─』(而立書房、2007年)という本にそのことを書きましたが、これを書いたときも、60年代演劇派の菅が何故新劇の千田是也を評価するのかとか、左翼の菅が右派の浅利を評価するとは何事かと言われたりしましたが、ここではそういうことはどうでもいいんです。しかし、なかなか通じませんでした。

 その上で『鈴木忠志論』では、演出家の作った舞台が、どこまで世界に通じたか、ということを考えると、千田さんは新劇の人で、歴史的宿命として輸入の文化という制約を超えられなかった。浅利慶太さんの舞台のモデルはブロードウェイ・ミュージカルです。模倣の域を突破できない。日本近現代演劇史の中では鈴木忠志しかいないのではないか、ということを書きました。

 鈴木忠志のというか、SCOTの演劇がどうしても受け入れられないという人は、私の知人にもいます。芸術は万人に受け入れられるものではないですから、そういう人はいくらもいるだろうと思います。それはそれで結構です。ただ、そういうのであれば、あなたは作り手としてどういう物差しをもつのか、何を相手にしているのか、それは問われますよといいたいんですね。あなたの嫌いな鈴木忠志はこれだけのことをやったんだから、それと勝負してくれないと困りますよということを書いたつもりです。批評家が、鈴木忠志はそんなことはやっていないというのであれば、その根拠を提示することが求められます。陰でこそこそ、鈴木忠志とSCOTをいないことにしてヌクヌクと業界で演劇や演劇批評を続けるのはやめにして下さいという呼びかけなんです。

 また、世界水準なんて相手にしないでやるということならば、先ほど私が申し上げたような三つの物差しもあるわけですから、別の物差しでおやりになればそれはそれで結構ということです。ただ、自分の演劇はどういう性格で、どういう立ち位置で、誰と共にある演劇なのかということが必ず問われるんだから、それだけははっきり肝に銘じて下さいねという、そういう意味では、大げさに言えば脅迫状みたいなつもりで書いたともいえると思います。

【本橋】ありがとうございます。だいぶ最初から話が過激ですが、四番目の演劇はいらないということですね。この本は単に鈴木忠志さんとSCOTの舞台の歴史を詳述しただけじゃなくて、それを社会的経済的文化的な文脈の中で批評しています。ですから、歴史へのこだわりとか、記述がものすごく誠実なんです。私はあのときは間違えていたけど、こういうふうに考え直したとか。自分の批評姿勢に対する反省を菅さんなりに述べているし。それから、先ほども申し上げたように、その文献とか発言の引用の多さがもう並じゃない。注がとにかく圧倒的な量だというだけでも、何というか物量と熱量で圧倒される。私なんかは、批評というのはこうあるべきだなと感じてしまうんですけど。内野さん、お読みになって、まず率直なご感想をお聞きしたいんですが。

【内野】『週刊読書人』に書評を書いたんですけど。600字程度の量だったので、論じ尽くしてはいません。ただまあ、そこで書いたことでもあるんですが、今本橋さんがおっしゃったようなことはあります。基準を出しているということが、やはりこの本の特徴であるということだと思います。それから、先ほど誠実ということをおっしゃっていましたけど、この本の中にたくさん書いてありますが、もともと鈴木忠志さんと菅孝行さんは論敵だったわけですね。その中で、論敵だから見ないじゃなくて、だから見るということがある。利賀村に拠点を移したときにそれまでの成果、菅さんが考えるある種の達成と言わざるを得ないもの、論敵としては。それを全部投げ捨てて利賀村に行くということ。そうすると、お客さんが結局のところは、そういう今でいう格差社会の持てる者というか、「スノッブ」と書いていらっしゃいましたけど、お金がないとそんな遠いところまでは行けないと。

 私は今では新幹線で行きますけど、もうちょっと若かったらバスで行くかもしれませんが。その当時はもちろん新幹線もない。それにしても無料ではないわけです。そういうことに対して、しばらく見なくなったということが書いてあって。それで、鈴木さんが静岡の芸術総監督になられた後に、また見るようになったんでしたか。『イワーノフ』は静岡で最初にご覧になったんですかね。

【菅】水戸です。

【内野】そうだ、水戸でしたね。水戸芸術館の芸術総監督を鈴木さんがやられたときの『イワーノフ』をご覧になって、これはやはりきちっと評価をすべきだし。評価をすべきと言うとまた上から目線ですけど、そうじゃなくて付き合わなきゃいけない対象だと思った、というようなことが書いてあって。そこからはずっと、ほとんどの作品をご覧になっているということです。全体として私はこの本は全部で何ページありましたかね。年表を入れると300ページぐらいですね。私の名前は注以外では登場しないんですけど、だいたい128ページぐらいからが私自身がかかわった時代になります。1981年に学生のバイトで利賀村に行ったのが最初でした。

 それ以前はどうだったかというと、私は地方から東京の大学に出てきているので、アングラのアの字も知らなかった。たまたま自分が通っているキャンパスで野田秀樹が活動していて、野田秀樹がすごいというのが、私が大学に入学した1977年段階での東京における、ちょっとイケてる若者の態度だという感じだった。ですごいと取りあえず言ってみた、みたいな感じですかね。後で、野田秀樹がきっかけで演劇を見始めたというようなことがあって、批評活動をやっていくときに、いろいろとそれがもめる原因になるんですが。野田秀樹がすごいというようなやつとは口も利きたくないと言う人が、当時、私よりも上の世代にはたくさんいました。野田が活躍し始めたので、演劇を見るのをやめたという人さえいた。そういう時代から鈴木さんの芝居とも付き合ってきたので、そのあたりの時代以降については、結構リアルタイムな感じで、菅さんの本と付き合うことができました。

 例えばチェーホフのアイロニーということに、鈴木さんはかなり初期の段階から興味を持っていらっしゃるというようなことがあって、それは中村雄二郎の本が一つのネタというか源泉になっているんじゃないかと、菅さんは書いている。それで、『桜の園』と『三人姉妹』は多様な作品で、様々な水準で回帰してくるけど、『ワーニャ伯父さん』に関してはまだそのレベルにいってない。この本の中では、だから『ワーニャ伯父さん』をちゃんとやるべきだ、と書いてあります。鈴木さんが菅さんの言うことを聞いて、実際にやられるかどうか分かりませんけど。例えばそういう、つまり、『ワーニャ伯父さん』については鈴木忠志たる者としては、まだ足りないところがある作品にまでしかいってないみたいなこととか、そういう限界ももちろんちゃんと指摘をされているということです。

 だから、当たり前なんですけど、芸術家には達成と限界というのが両方当然ある。ただ、どうもSNSの時代になって特にそうなんですが、絶賛するか切るかどっちかみたいになっていて。あるいは研究と称してただ事実だけを並べて、やたらと注を付けて、意見は言わないという。その三つぐらいしかなくなっている中で、きちっと意見を言う、評価すべきところはする。自分が見てない時期の舞台については、もちろん相当映像を取り寄せてご覧になったようですけど、ライブで見ていないということが前提の記述になっている。そういう意味でも、非常に良心的な、私なんかではとてもまねができない、そういう本になっています。

 だからこの本は、鈴木忠志さんのことをある程度ご存じの方も、あるいはまだ知らない若者、別に若者じゃなくてもいいですが、入門書として、あるいは、「再」入門書として、この本はずっと読み継がれることになるだろう、というようなくくりで書評を終えました。これを出発点として、何か文句がある人は言うべきだし、ない人は、まあ、ない人は別にいいんですけど。文句がある人は何か論争を仕掛けるべきだというような形の、しっかりとした本であるということですね。菅さんのご著書の褒め殺しみたいになっていますが、皆さんもぜひ手に取ってお読みいただければ、という感じです。