Print Friendly, PDF & Email

【本橋】いま内野さんが言及された『週刊読書人』、これは11月19日ですからごく最近なんですけど、そこには今おっしゃったように鈴木忠志「再」入門。知っている人も知らない人も読む。ですから、やっと鈴木忠志とSCOTの軌跡について、基本的なことをこれぐらいは知らなくちゃなという、きちっとそこに向かい合ってほしいという本だと思います。ちょっとその内野さんの書評から引用します。「アングラ演劇の旗手としての鈴木の仕事はその出発点にあるだけで、その後の展開について、鈴木演劇の進化と深化について、本書は多方面から広く、浅く、狭く、深く、語っていくのである」。うまいこと言われてますね。次もなるほどなと思ったんですけど、「著者の強みはなにより、鈴木に寄り添うのではなく、時に対立する立場に立った場合を含め、自在にその距離を変化させつつも、鈴木と向き合いつづけたことにある」。これはやっぱり批評ですよね。やっぱり距離を自在に変化させつつも、しかし向き合うことをやめない。向き合うというのはもちろん他者と向き合うんですけど、その他者と向き合うことによって自分と向き合うということですよね。

 それで、内野さんは書評の中でも引かれているところに、こういう、これは菅さんの285ページにある言葉なのですが、そこも引用します。「つねに卓越したテクスト解釈と舞台の造形を提示し続けてきたこと、俳優の造形に不可欠のトレーニング・メソッドを作りあげたこと、集団としての身体表象に不可欠の劇団専用の劇場を自らの手で保証し続けてきたこと、公共劇場のシステムのプロトタイプを作り出し、自ら運営することに成功したこと、それらすべてをなし遂げたことによって、世界演劇の最先端の水準にあること」というふうに菅さんは整理されています。つまり、先ほど菅さんも演出家の器を決める指標として三つを挙げておられます。

 一つは、テクスト解釈がいかに説得的で深いか。二番目は、俳優の訓練方法です。世界中で教えられている訓練方法として、スズキ・トレーニング・メソッドというものをつくり、かつ実践している。それを学ぶために未だに毎年利賀に、世界中から若者が集まって来るし、しかもこのタリア賞シンポジウム、これが今年オンラインで、こういう状況ですからオンラインでしかできなくて、そこでは内野さんも参加されたわけですが、そこでは鈴木さんの舞台を見たことがないインドとかアルゼンチンとかの若者たちが、しかしトレーニング・メソッドは人づてに教えられてきた。そのことによって演劇の何たるかが分かったという人たちが、次々と発言してくれました。

 だから、そういうメソッドをつくるということのすごさ。つまり、単にあの舞台を見たぞ、あれは面白かったぞというんじゃなくて、やはりそのトレーニング・メソッドが、その人の人生を変えるだけのものを持っているということに、正直言って私は驚きました。ですから、演出家の器を決める要素として菅さんは、テクスト解釈と俳優訓練方法と、それからそれを生かす劇場空間の創生ですね。その三点を挙げて、日本の中だけでなく、国際的に実現した鈴木忠志演劇を、「世界水準の演劇を達成した日本演劇」と評価されているんですね。

 ここでちょっと内野さんにお聞きしたいのですが、内野さんも先ほどおっしゃったように、最初は通訳ですよね。学生のときに通訳として利賀に行かれて、それ以来ずっと鈴木さんの活動に随伴されているわけで、そういうかなり内側におられた内野さんがご覧になられて、この三点によって世界水準を達成した日本演劇という評価を、どういうふうにお考えになるのかをお聞きしたいです。また現代日本の演劇で、世界水準に達しているものが鈴木さん以外にあるとすれば、誰の演劇かということもお聞きしたいんですけど。

【内野】はい。それは結構ハードル高過ぎではないか、ということはありますね。日本の中じゃなくて、例えば世界にほかにいるのかという話になるわけですよね。だから、歴史的に見ればブレヒトとかスタニスラフスキーという人が挙がってくると思います。近年でということで思い浮かべてみようとしたんですけど、日本にその今の三つを満たしている人がいないのは自明なので、近年海外でどうかなと。鈴木さんの盟友でもあるロバート・ウィルソンがいますね。それから鈴木さんよりもちょっと上ですがピーター・ブルック。あるいは、2019年でしたか、京都賞を受賞した、太陽劇団という劇団をやっているアリアーヌ・ムヌーシュキン。鈴木さんと、だいたい同じ世代の方々だと思うんですけど。

 ケンブリッジ大学から出た「二〇世紀を代表する演出家」のシリーズの本にも、こうした人たちが選ばれていると思います。ただ、この人たちも鈴木さんのレベルでの、はっきりとした俳優訓練法を開発してはいない。ムヌーシュキンの太陽劇団の場合は、集団創造的な形でつくるのでちょっと違うということもあります。まず第一に、その背景として、ヨーロッパには、演劇創造に制度的な保証があります。制度的な保証というのはどういうことかというと、俳優というのは例えばドイツであれば大学ではなくて、俳優の専門の教育機関で学んできている人間なわけです。それが、プロとして公共劇場のアンサンブル、つまり、所属劇団員、俳優の劇団員のことですね。そのアンサンブルを形成していくという方式がメインストリームの伝統を形成しているので、それを壊して新しく何かをつくるという発想がなかなか出てきません。

 鈴木さんよりもだいぶ下で、私よりは上ですけど、ドイツのフランク・カストロフという演出家がいて、相当すごい過激派なわけです。それでも、自分の周囲に俳優たちのアンサンブルがあるんですね。フォルクスビューネというベルリンの、もともとは東ドイツ側にあった劇場の芸術監督だったわけですけど、カストロフの場合、俳優をゼロから訓練しなくてもいいわけです。ある程度訓練してきているから、それがいい悪いは別として、ドイツなりの訓練法があって、例えばそれを壊す方向でいける。そのこと自体がフランク・カストロフの大きな演出的な特徴になっている側面がある。今日の観客のなかにドイツ演劇の専門の方がいらっしゃったら、何をでたらめ言っているんだと思われるかもしれません。事実、結構でたらめかもしれないんですけど、私の見えている範囲では例えばそういう感じになっています。

 今ヨーロッパで名前が出てきている人だと、ロメオ・カステルッチは1960年生まれですが、この人たちは、そういう仕事を委嘱されるから目につくことが多いのかもしれませんが、発想がそもそも劇場演劇に向いているように思います。それほど多くの作品を見たわけじゃないですが、カステルッチもやはりプロフェッショナルの、きちっとした演技ができる人を前提にしているのではないか。きちっとしたというのは、繰り返しになりますが、ヨーロッパ基準ですよ。ミロ・ラウの場合は、ドキュメンタリー性を強調する作品が多くあるので、ゼロからつくるという発想というか思想があります。その場合、強い方法意識はあるんだけど方法化はしない、制度にはしない、というふうに見えます。ドキュメンタリー演劇の場合、その都度都度、作り方を現場的に考えていかなければならないからです。もう一度言うと、伝統的に見ていくと、ヨーロッパは制度があるので、そもそも制度にしようと思わないのではないか。制度にしない方が過激になるんです。

 日本は制度がないので、制度にしていく方が過激に見えます。制度を広げる方が難しいからそうなります。ただ、今名前が出てきたのはみんなヨーロッパで、しかも西ヨーロッパで、東欧とかは全然入ってないですよね。それから、やっぱりスズキ・トレーニング・メソッドはロシア、モスクワ芸術座でも使われた。だから、世界の、と言ったときにスズキ・トレーニング・メソッドが、先ほど本橋さんが触れられたシンポジウムでの話なんか聞いていると、たとえば、アルゼンチンとかまで広がっている。なかにはそんなこと言われても人生相談じゃないんだと思うようなこともあったんですけど、スズキ・トレーニング・メソッドに私は救われたなどと、シンポジウムに登壇したアーティストが言うわけです。

 救われたというのは、だから、私の人生が変わったという意味ですね。そこまでの広がりの中でやっているわけなので、鈴木さんについて言及する場合の世界というのは、西ヨーロッパに限られた、つまり西洋近代に限られた話じゃなくて、広大な地理的広がりがある。つい先頃、11月にも、インドネシアの俳優の人たちと『エレクトラ』をやられましたが。世界と言うときの世界というのが、圧倒的に広い。まあ、アフリカ大陸に関しては、まだまだ誰にもなかなか難しいところがあるのは事実であるけれども。そういう意味で、実質的に世界的にという意味でのスズキ・トレーニング・メソッドがあります。

 だいたい、私は最近直されたんだけど、私が無知だったのかもしれませんが、スズキ・メソッドってバイオリンのメソッドがあるじゃないですか。それと違うからスズキ・トレーニング・メソッドって言わなきゃ、それが正式名称だと、わたしが書いた文章に赤を入れられたんですけど、私はもうすでに逆転していると思っていました。つまり、スズキ・メソッドと言えばスズキ・トレーニング・メソッドだろうと思っていたので、そういうふうに書いちゃったんですが。もちろん単なる俳優の訓練法だけじゃないということがやっぱり重要で、メソッドと密接につながる作品があるということですよね。そこが切れてないというところも、本当はもっと言わなきゃいけないところだと思います。ただもちろん、世界中いつでもどこでも鈴木さんに演出してもらえるわけじゃないので、限られたところでしか演出作品をライブでは見せられないということはありますが。

 ちょっとあっちこっちふらふらしていますが、まず最初はそういうところですかね。菅さんの本とのからみもありますが、世界基準といった場合の世界というのは。鈴木さんの場合はそういう地理的広がりもある。「世界の蜷川」と言っているときの「世界」、あ、いや、故人にそれを言ってはいけないんですかね。

【本橋】いや、どうぞ(笑)。

【内野】そういう「世界」とは違う話ですね。日本語圏のドメスティックな意味で世界とよく言われているのは、西ヨーロッパに受け入れられたということでしかない。実はその西ヨーロッパというのもまたいろいろで、ドイツとフランスはまったく違う。さらに英国もある。蜷川さんの場合はフランスはかなりキャリアのあとになってからで、英語圏が先でしたね。フランスはかなりあとで、ドイツは全然だめだったと思います。

 ですから、キャッチフレーズとして「世界の蜷川」というのはあったと思うんだけど、ただ、「世界」と言ったときに気をつけないといけないのは、バブルの時代を経験した世代が、言説空間の中心をになっているときの問題性があって。つまり、あのころの例えばパソコンならPC-9800シリーズ、携帯電話はⅰモードとかいう、つまり非常にドメスティックで閉じたシステムの中で、つまりジャパン・アズ・ナンバーワンという形で、高度成長の結果として1990年までにバブル経済を迎えたという強い自負がある。その記憶がやっぱりちょっといろいろなところで、特にいわゆる演劇界には悪しき影響を与え続けているのかな、と思います。

 鈴木さんはそういう演劇界からはきっぱり距離を取った。業界の外に出たと菅さんは本の中で言っていますけど、外に出る勇気があったし、もちろん外に出ればよいということではなく、そこで、確固たる思想の下に、演劇にかかわる重要なものを次々と構築できたということです。話がだいぶ広がってしまったんですけど、そういうふうに私は世界というものを、鈴木演劇を世界的と呼ぶ場合の世界というのは、そういう世界だということを理解する必要があります。