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左から 金子大地、門脇麦 / 撮影:引地信彦

■カラー作品からモノクロ作品へ

嶋田:今回の熊林弘高の演出では、鐘の音は、野田秀樹の実際の声が、ナレーションとして流されるという形で演出されていました。野田秀樹の肉声で鐘の音を表現するところは、私も驚きました。私は初演を見ています。その記憶から言いますと、NODA・MAP初演時は舞台上に「グォーン、グォーン」というよう、低い鐘の音が実際に響いていました。このあたり、初演を見た今井さんはどう考えますか?

今井:この鐘の音は、今回の演出でも印象的な部分だったと思います。鐘は鳴るということになっているけれども、音が実際に聞こえないということで想像力に任せる演出方法だったと思います。この鐘の音の代わりにト書きを読む野田秀樹の肉声を使ったことは、私は少々ずるいと思っています。東京芸術劇場主催公演だから、芸術監督(野田秀樹)に頼めば、それは肉声で出演してくれると思いますし、また、この作品を見に来ているのは、野田秀樹ファンも多いだろうから、「野田秀樹の声、聴きたいでしょ」といったような、観客への受けをねらったとも考えられます。とはいえ、ここから「鐘の音は、他ならぬ作者野田秀樹の声である」というメッセージとしても解釈可能で、ずるいけれどもうまい演出だと思いました。
 初演は長崎の原爆であるファットマンを象った巨大な舞台装置でした。知っている人が見ればすぐに原爆だと連想できました。ビジュアル的に、作品のテーマをすぐに連想することができました。しかし、今回の熊林演出では、鐘そのものの形象も一切出てきません。先ほど小田さんが指摘した神殿の廃虚のような舞台装置は、原爆投下で崩れ去った浦上天主堂の残骸のように私には思えました。それと同時に、残骸らしき装置の中にアルファベットの「U」を象った部分もあり、そこに光が当たることで、鐘が浮かび上がるようにも見えました。
 実際に「パンドラの鐘」が戦利品として運ばれてきて、置かれている場所は、舞台から見ると客席側にある想定でした。つまり、見せない、聞こえさせない演出だったと、私は考えています。
 初演は野田秀樹演劇の真骨頂ともいえる身体性を前面に出した、役者の運動量の多い作品でした。また冒頭で、舞台上を覆う大きな紙をぐしゃぐしゃにして、その中から役者が登場する設定だったので、毎公演、たくさん紙ごみが出てしまう、エコではない公演としても話題になった記憶があります。
 今回の熊林演出では、逆に、そういう派手な装置や、身体性というものを一切廃した印象がありました。このことによって、身体性と言葉遊びが廃されて、さらにNODA・MAP作品では比較的多く取り入れられるギャグ的な要素も抑えられていたような気がします。まるでカラー作品がモノクロ作品になった印象がありました。身体性やギャグがなくなったことで、何となく説明セリフ的に聞こえてしまうところがありましたね。野田のセリフというのは体を動かしながら言って、そこではじめてバランスが取れて、威力を発揮するものなのかもしれません。