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名取事務所主催公演『東京ブギウギと鈴木大拙』

作=堤春恵
演出=扇田拓也
2021年3月12日~3月20日@下北沢小劇場B1

出席者=嶋田直哉(司会・シアターアーツ編集長)、野田学(シアターアーツ編集部)、今井克佳(国際演劇評論家協会日本センター会員)/発言順

左より 鷲巣照織、西山聖了 撮影=坂内太

■父大拙と息子アラン

嶋田(司会) 名取事務所公演『東京ブギウギと鈴木大拙』は、タイトルが非常に印象的です。戦後の流行歌と、禅の研究者である鈴木大拙を並べたシンプルなタイトルです。一見するとちぐはぐな組み合わせですね。しかし、鈴木大拙の息子(養子)アランが、実は「東京ブギウギ」(1948)の作詞を担当していたとは、知る人ぞ知る意外な事実です。ちなみに「東京ブギウギ」は作曲=服部良一、歌=笠置シズ子です。その後、多くのカバーが録音されています。当日配布のパンフレットには、この公演の参考資料として山田奨治『東京ブギウギと鈴木大拙』(人文書院、2015年4月)がクレジットされています。堤春恵の脚本と扇田拓也の演出、会場が下北沢小劇場B1という小空間だったこともあって、濃密な作品に仕上がっていたと思います。

野田 禅の国際的啓蒙活動を英語でおこなった鈴木大拙(鷲巣照織)の息子・鈴木アラン勝のことはあまり知られていませんが、『東京ブギウギと鈴木大拙』は、複雑な親子関係と、放蕩息子となりはてたアランの顛末を記しています。舞台は、親子の確執というよくある物語に載せて、大拙への新たな視点を提供するだけではなく、「国際化」に対する世代間・個人間の見方の違いを、安易な価値判断を交えずにあぶり出していました。ともに「主客未分にして主客一体」の境地を目指しながら、相容れない方向へと進む父と子の物語をアランの死後から振り返るという構図は、大拙や「東京ブギウギ」を知らない世代、ましてや大拙のビート詩人への影響など分からない世代にも訴える力があったのではないでしょうか。
 狭い演技空間を客席が二方から囲む劇場の中、演出の扇田拓也と俳優陣は、控えめながら輪郭の効いた人物描写で物語を進めていきました。簡素なセットの使い方、場面転換も上手かった。原作はノンフィクションであるとはいえ、特に家庭環境にまで立ち入る内容の場合には著者の想像が入り込むのは当然のことで、堤の戯曲はこの想像に劇作家としての想像を交えて確信を与え、その確信に対して観客が働かせうる想像力の余地を演出・演技が回復していたと思います。

今井 私もこの鈴木大拙の息子アランの話というのは全く知らなくて、新鮮な驚きがありました。私がTwitterでこの作品の感想をつぶやいたら、山田奨治さんご本人からリプが返ってきました。それでやりとりをしたのですけれども、氏の著書を元にはしているものの「脚本は堤さんがほとんどオリジナルとして書かれました」ということでした。
 下北沢小劇場B1という劇場もまたよかったです。劇場が小さいので、私の座席の位置もありますが、非常に近くから舞台を見ることができました。舞台上の空間に、私自身が入り込んでいる感覚がありました。
 ノンフィクションに入り込む劇作家の「想像」についての指摘も理解できます。アランが女性に対して乱暴を犯してしまう事件が、作品の最後で語られます。ここは確か、その女性がアランの父である大拙を「骨董品」とバカにする発言をして、それに対してかっとなったというように語られていたと思います。このあたりが劇作家の想像だろうと思いました。ところで、「想像力の余地を演出・演技が回復していた」のあたりについてもう少し説明してもらえませんか。