Print Friendly, PDF & Email
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)
ヨーゼフ・カール・シュティーラー作(1820)

■胡蝶が聴く西洋音楽

 『fff フォルティッシッシモ――歓喜に歌え!』は2021年正月の宝塚大劇場で初演され、2~4月の東京宝塚劇場に引き継がれた。西洋のクラシック音楽に初めて接した時、明治の人びとはそれまで親しんできた邦楽との違いに驚きながら、積極的に受け入れ、さらに自分たちでも演奏し、新しく作曲しようとした。宝塚歌劇もこうした大きな流れの中から生まれ出たのだから、これは言わば自分のルーツを問う作品である。
 邦楽は聴く者の情緒に訴えかけてくる。昭和の名人、清元志津太夫の無拍節的にどこまでも伸びていく美声を聴いていると、荘子の「胡蝶の夢」に似て、自他の区別があいまいになってゆく。荘子は夢で胡蝶になり、百年花上に遊び、目覚めて訝しんだ。自分が夢で胡蝶になったのか、胡蝶がいま荘子になった夢を見ているのか。
 西洋のクラシック音楽は、これとはまったく対照的な音楽である。或る一定の音の形(動機)を厳密に論理的に展開させて作り上げていく。それはどこまでも伸びてゆく美しさに身をゆだねるのではなく、立ち止まって見事な建造物を見る喜びに似ている。ことにバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンら18世紀から19世紀にかけてのドイツ・オーストリア音楽に、そうした傾向が強く、しかも多くの日本人はこの系統の音楽を好む。中でもベートーヴェンは特別の存在で、年末の『第九』の演奏は日本文化に欠かせない要素にまでなっている。
 これはどういう訳であろうか。

■『エリザベート』の引用

 『fff』はオーストリア・ミュージカル、クンツェ=リーヴァイの『エリザベート』を引用しつつ、周到な作劇法でこの問題に迫っていく。幕開きに3人の音楽家モーツァルト、ヘンデル、テレマンの魂が登場して、天国の門をたたくが、扉は固く閉ざされて開かれない。テレマンは業を煮やして叫ぶ。

我々は死んでからもう何年もここで足止めを食らっているんです。天国に入れていただけるのか地獄行きか、いい加減に決めて頂きとうございます。

智天使ケルブ(一樹千尋)が厳かに宣言する。

神の与え給うた音楽をお前たちの後継者がどうするか。お前たちが天国へ行けるのか、地獄へ落ちるかはそれを見定めた後で決める。

『エリザベート』の幕開きでは、ヒロインを暗殺したイタリア人テロリスト、ルイジ・ルキーニが叫んでいた。

俺はもうとっくに死んだんだ。いい加減にさっさと地獄へでも天国へでもやってくれ。

煉獄の裁判官の声が虚空に響き渡る。

駄目だ。皇后殺害の理由を述べぬ限り、この煉獄を出す訳にはいかない。

ルキーニは凶行の現場でつかまり、刑務所の独房で首吊り自殺を遂げた。その魂は煉獄で、裁判にかけられている。この設定によって、主人公の生涯はルキーニの視点から描かれることになる。
 『fff』の3人の音楽家も同じ役割を担っている。彼らはドラマを動かすわけではないが、狂言回しとして、また歴史の証言者として、主人公を時代の流れの中に置くために登場する。モーツァルトの時代まで、西洋音楽は主に王侯貴族のために作られていた。ベートーヴェンの時代に至って、市民のために公共ホールで音楽が演奏されるようになり、近代の聴衆が誕生する。歴史の証言者である3人の音楽家とベートーヴェンの間には、フランス革命がある。
 『fff』に登場する「謎の女」もまた、人間ならざる存在という点で、『エリザベート』の「トート」(死)と対応しつつ、しかもその「謎」は遥かに深い。ベートーヴェン役のトップ望海風斗、「謎の女」役の娘役トップ真彩希帆は、共に陰影の深い名演技を見せ、この作品と生田大和作・演出のショー『シルクロード~盗賊と宝石~』の東京公演の千秋楽で、そろって退団した。2020年10月に予定されていた千秋楽が、コロナ禍で半年遅れになっていた。
 トートはエリザベートの自殺願望を擬人化したキャラクターで、彼女につきまとい死へ誘う。「謎の女」もまたベートーヴェンの胸中深く存在するアニマである。このアニマ故に主人公は、心休まる時もなく、苦難の道を歩み続けなければならない。しかし、エリザベートが遂にトートと相擁して黄泉の国へ去るのに対して、ベートーヴェンは「謎の女」と息詰まる対決の後、相擁して「第九」シンフォニー「歓喜の歌」を書きあげる。

■主人公の魅力

 『エリザベート』の場合は、オーストリア皇帝フランツ=ヨーゼフ一世の妃になりながら、旧弊なハプスブルク家の重圧に屈服することなく、「私の命はただ私だけのもの」と主張するヒロインの姿が観客の心を捉えた。
 『fff』のベートーヴェンは二面性を持っている。生涯を懸けて追い求める音楽においては、妥協することがない。ナポレオン(彩風咲奈)がフランス革命の精神をヨーロッパ全土に広げるべく戦い続ける姿を見ながら、彼は音楽において同じことをしようとした。しかし、この一本気な性格は愛において深く主人公を傷つける。彼はジュリエッタ(夢白あや)を愛し、自分が愛する以上、この愛は完全であり、相手も同意すると信じ込んでいる。その愛は決して成就しない。ジュリエッタは彼の元を去り、初恋の人ロールヘン(朝月希和)は彼の身を案じつつ死ぬ。強面の顔の裏側に潜む繊細な感受性。その二面性が『fff』の主人公の魅力に他ならない。