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■個人的苦悩を社会の目で

 ベートーヴェンの苦悩に満ちた生涯はよく知られている。幼い頃はアル中の父に悩まされ、長じては失恋に苦しみ、最も深刻だったのが難聴である。31歳の時に、2人の弟に宛てる書簡の形で書かれた「ハイリゲンシュタットの遺書」では、自殺を考えたと書かれている。

私が自分の人生を終わらせるまでほんの少しの所であった。芸術だけが私を引き留めてくれた。

このよく知られたベートーヴェンの生涯が、ただの個人史としてではなく、国際政治史のなかに置いて描かれている。そのとき演出家が『エリザベート』を下敷きにした理由もはっきりと見えてくる。エリザベートの悩みもまた個人的であると共に歴史的なものであった。彼女が持病の結核の転地療養のため、ウィーンの宮廷に皇帝を置き去りにして、ヨーロッパ中を放浪する時、その病める魂は時代の暗喩に他ならなかった。
 ベートーヴェンは雪原の夢から覚める。銀橋に「謎の女」が銃を手にして現れる。それはナポレオンが持っていた銃である。このことは2人がベートーヴェンの胸に住む2つのアニマ、2つの動機だということを語っている。正の記号の動機と負の記号の動機。
 正の記号を持つ動機はナポレオンの姿となって主人公を励まし、負の記号を持つ「謎の女」はあたかも死神にように彼を絶望に誘っていた。彼女は銃口をベートーヴェンに向ける。

■苦悩から歓喜へ

 「ハイリゲンシュタットの遺書」がこの場の下敷きになっている。死の淵にまで立たされたベートーヴェンを芸術が救い出した。「謎の女」は芸術=ミューズである。彼女だけがベートーヴェンを自殺から引き戻す力を持っている。

「お前だけがいつもそばにいた。強くて綺麗な、人類の不幸。お前の名前がやっと分かった」
「私の名前」
「運命。生きることが苦しみでも、俺はお前という運命を愛するよ」

負の記号だった「謎の女」は、このとき燦然と光り輝く正の記号に転じ、2人は固く抱き合う。ベートーヴェンは運命から逃げることなく、正面から立ち向かうことで、危機を脱したのである。
 カントによれば、人間の精神には2つの原則が潜んでいる。第1に「真実を求める原則」。第2に「自分の幸福を求める原則」。理性ある人間は第1の原則を守らなくてはならない。自殺は自分の幸福に従うことに他ならない。運命が辛いからといって自殺をすれば、それは第1の原則を放棄して第2の原則に屈服することになる。
 ベートーヴェンはこの問題を解いた。智天使ケルブの声が響く。

「ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。この世界に別れを告げる時間だ」
「わかった。だが最後にもう一つだけ、シンフォニーを書かかせてくれ」

『エリザベート』の対応場面では、煉獄の裁判官の声がこう告げていた。

「時間だ。ルキーニ。間もなく閉廷するぞ」
「待ってくれ。まだ終わっちゃいない」

ルキーニは皇后暗殺へ突き進んでいき、刑務所で首吊り自殺を遂げ、今も煉獄の裁判官の前で、弁明を繰り返している。

毎晩毎晩同じ質問ばかり。俺がここにいる間にハプスブルク家はとっくに滅んじまったぜ。

時間は円環し、ルキーニはその輪の中で、二十日鼠のようにぐるぐると回り続けている。
 『fff』はここで『エリザベート』の軌道を脱して、独自の終幕へ向かう。ベートーヴェンは光り輝く存在に変わった「謎の女」と手を携えて『第九』の合唱の旋律を作り出す。そこに天上の天使たちも、地上で敵味方に分かれて戦っていた陣営も、あらゆる人びとが加わって、『第九』の大合唱になる。

歌え!音楽は俺たちのものだ「フォルテ!」「フォルティッシモ」「フォルティッシッシモ」

 ベートーヴェンの、カントの、ルドルフ皇太子の、ナポレオンの夢見ていた世界が実現している。モーツアルト、テレマン、ヘンデルは煉獄を抜け出し、天国へ向かうことができた。それは彼らの後継者が作り出した音楽がこれほど深く人々に愛されるに至ったからである。モーツァルトは狂言回しの役を振られただけだが、日本人のベートーヴェン好きと、モーツァルト好きとは相半ばしている。なぜベートーヴェンが主人公に選ばれたか。
 それはドラマが日本近代の夜明けに狙いを定めているからだ。明治の人びとが、ヨーロッパの近代文明に接し、司馬遼太郎の言葉を借りれば「坂の上の雲」を目指して歩き始めた時、上空に輝く白雲としては、ベートーヴェンこそがふさわしい。その堅忍不抜の精神。最後に約束されている「歓喜の歌」。
 ヨーロッパの近代文明とは、フランス革命の思想を集約する「人権宣言」であり、その価値観を共有することで日本は西側諸国の仲間入りを果たした。坂道は紆余曲折を経て長く険しかったが、先の大戦以降の復興により、今では米、英、仏、独、伊、加と共にG7のテーブルに座って、世界の政治情勢について語り合うまでに至った。
 しかし2021年の東京オリ・パラを巡る国際政治の荒波に出会うと、ほとんどなす術を知らない。市民が抱く絶望感(とまでは言はなくても焦慮感)が、深ければ深いほど「坂の上の雲」はますます光り輝く存在になる。

■トップスターの退団公演

 宝塚の知性派上田久美子がこの作品をトップスターの退団劇として書いた時、演出家は、ベートーヴェンに託してそこにもう一つのドラマを重ね合わせている。
 タカラジェンヌは若さと美貌の限りを尽くし、青春の10年を歌劇団に捧げて退団していく。トップになれる人はほんの一握りに過ぎない。『fff』の舞台でモーツァルトが狂言回しの役しか振られていないもう一つの意味はそこにある。生徒それぞれにかけがえのない物語があり、もし別の世界で働いていたら、そこでは彼女を主役にする別のドラマが生まれていたかも知れない。退団する生徒が好んでトップの退団に合わせて去って行く姿に、彼女たちの見果てぬ夢の名残を見る思いがする。だから最後にスターもアンサンブルも、すべての人びとが合唱する場面がひとしお胸を打つ。人々の絶望感(というのが言い過ぎならば焦慮感)の大きさが「歓喜の歌」をいよいよ輝かせる。