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4 日本の規制緩和と欧州の感染再拡大(9〜11月)

フェスティバルへ出発

 フェスティバルに参加するため、私は2020年9月20日、成田空港からプラハに向けて出発した。9月16日に安倍首相が慌ただしく退陣し、新たに菅政権が誕生したばかりだった。パンケーキ朝食会やら支持率74%やらのニュースに押されて、コロナ関連の報道はやや後景へと退いた。同時に、日本の緊張感はずいぶんと和らいだようであった。日本国内の劇場では、9月19日をもって定員の100%の入場が可能になった。ただし9月時点では、まだ国内のほとんどの人形劇団が縮小上演、あるいはオンライン上演を余儀なくされていた。
 チェコに着いてすぐ、9月25日に行われたチェコ国内映画祭(Finále Plzeň Film Festival)のオープニング・セレモニーに出席した。劇場内の座席に、間隔もあけずギュウギュウと人々が座っている様子を見るのは久しぶりで、若干の恐れも感じたが、うれしさの方が勝っていた。フェスティバル・バッグには、記念品としてロゴ入りの消毒用ジェルが入っていた。この様子ならば二週間後に控えた人形劇フェスティバルも問題なく開催されるだろうと思い、私は期待に心をはずませた。(図8)

(図8): チェコ国内映画祭に出席する筆者(撮影筆者友人)

 ただ、チェコの感染状況の雲行きは急激にあやしくなってきていた。10月に入ってから新規感染者数の記録が日に日に更新され、「第二波」が生じたらしいことがニュースのトップにあがるようになった。この頃を境に、日本とヨーロッパのムードはほとんど反転した。日本の制限緩和と、ヨーロッパの感染急拡大が同時に進行する事態となったのである。日本では、10月1日から全国でGo Toキャンペーンがスタートしていた。10月7日には、あれほどフェスティバルに苦労をもたらした入国・帰国時の「二週間隔離」を近く終了することを政府が検討中、との報が伝えられた。フェスティバル参加予定の日本人アーティストからは、最終リハーサルを終えて準備万端、との明るい連絡が届いていた。
 チェコでは、フェスティバルチームがプログラム冊子作成に焦っていた。フェスティバル二週間前を切っても、まだプログラムの一部が確定できないのだ。隣国のスロヴァキアから招聘予定だった全4劇団のうち3劇団から、渡航できないと連絡が入っていた。スペインの劇団も、いつまた国境閉鎖が行われて入国できなくなるか分からない状況であった。
 10月2日の入校日、フェスティバル・ディレクターによるプログラム巻頭言には次のように書かれていた。

準備期間中、2020年スクポヴァ・プルゼニュのプログラムは、この文章を書いている時点までに46回変更されました。ですから、観客の皆さんが実際にこのフェスティバルで何を見ることになるのかは分かりません。

劇場再閉鎖の予告

 フェスティバルを一週間前に控えた、10月7日のことだった。フェスティバル・ディレクターから一通のSMSが届いた。チェコ文化省の知人からの内々の話として、数日中にチェコ政府が劇場閉鎖を決定するかもしれない、という衝撃的な内容であった。
 フェスティバル事務局は混乱した。すでに一度、延期されたフェスティバルである。体力的にも資金的にも、再度の延期はできない。もう町にはポスターが張り出され、プログラム冊子の印刷も終わっている。航空券の手配も、ホテルの手配も済んでいる。あと数日で、アーティストが各国から到着しようかという段階である。会議に会議を重ねた。(図9)

(図9):アルファ劇場内会議室にて、悩ましい話し合いの様子(撮影筆者)

 プラハ街中のカフェでは、給仕もマスクをつけずに談笑していた。ショッピングや散歩にいそしむ市民たちで、街中は夜遅くまで混雑していた。同日の夜、わたしはプラハのシュペイブル+フルヴィーネク人形劇場へ、新作の初日を見に行った。劇場内は満員で、笑い声に満ちており、まさか来週から劇場が閉鎖されるなどということは、冗談のように思えた。(図10)

(図10):プラハ市内、シュペイブル+フルヴィーネク劇場、劇場閉鎖前夜の様子(撮影筆者)

 10月8日の現地時間夕方、チェコ政府が公式声明を出した。週明け10月12日からの、文化・スポーツ施設の閉鎖が決定したのである。レストランやカフェも同日から閉鎖することになった。10月14日午前0時以降、演劇活動は次のような条件でのみ行われなければならないということが発表された1)チェコ保健省ウェブサイト内の頁を参照(最終閲覧日:11/1711/26現在は閲覧不可)。シアター・インスティテュートによる次の頁にも、この措置の摘要が掲載されている。Institut umění – Divadelní ústav, “Culture in Quarantine Again” (閲覧日:2020/11/26)。

・屋外・屋内共に、6人までの集会は許可するが、コンサートやミュージカル、演劇、映画、サーカスやバラエティーショーなどの上映・上演は禁止。

・5人以上が建物内部で一緒に歌う行為は、作品上演やビジネス目的であっても禁止。

・リハーサルは、同一の劇団の団員のみによって行われるもの、あるいは共同して同一の興行を行う個人間のものであれば可能。

・上記の条件を満たした上で、演奏や上演(観客なし)のストリーミング配信は可能。

 ここに含まれる「演劇の上演は禁止」という文言によって、10月14日から始まる予定だったフェスティバルの中止は、ついに不可避となった。

フェスティバル中止

 政府の発表後、フェスティバル事務局は、ひたすらキャンセル処理に追われることとなった。まず、アーティストに中止を伝えなければならない。リハーサルを終え、上演具のパッキングも済んでいるような段階のアーティストに伝えるのである。上演の一週間前に中止になったのだから、補償も問題となる。アーティストとの契約書には「コロナ禍による計画変更の場合には補償金は支払わない」旨が記載されていたが、個別に交渉して補償するケースもあった。次に、フェスティバルのウェブサイトに「中止」の文言を大きく記載し、来場者へチケットの払い戻しについて案内する。さらに、会場スタッフ、航空券やホテル、ケータリング、テント、全てのキャンセル処理を進めていく。「無」へと向かう仕事には、どうしようもない徒労感が伴う。
 その後のチェコ国内の感染状況を鑑みれば、フェスティバル中止はやむを得ない選択であった。フェスティバル初日が行われるはずだった10月14日、チェコ国内の1日の新規感染者数は9545人を記録していた。この日なぜか日本は、外務省「海外安全情報」危険度を、全世界を対象に引き下げることを検討すると発表した。 そのさらに一週間後の21日には、チェコ国内過去最多となる1万5000人近い新規感染者数が報告された。人口1000万人のチェコは、10万人あたりの新規感染者数で他のあらゆる主要国を上回った。バビシュ首相は10月23日、「対応を誤った」として、一回の会見中に5回謝罪した。

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1. チェコ保健省ウェブサイト内の頁を参照(最終閲覧日:11/1711/26現在は閲覧不可)。シアター・インスティテュートによる次の頁にも、この措置の摘要が掲載されている。Institut umění – Divadelní ústav, “Culture in Quarantine Again” (閲覧日:2020/11/26)。