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オンライン展示について語る後藤隆基さん=早稲田大学演劇博物館で

 

新型コロナウイルスの感染拡大によって、演劇界は未曾有の危機に立たされている。劇場や演劇人は何を思い、悩み、そして、どう立ち向かおうとしているのか。時々刻々と移り変わる「今」を記録し、後世への糧とするために、演劇界のさまざまな動向、演劇人たちの思いを発信していきたい。今回は、中止・延期に追い込まれた公演資料を収集し、それらの公演が存在した証を刻もうという、早稲田大学演劇博物館のオンライン展示「失われた公演―コロナ禍と演劇の記録/記憶」をご紹介する。資料収集だけにとどまらず、10月7日からいち早くオンラインでの公開に踏み切ったのはなぜか。企画した演劇博物館助教・後藤隆基(りゅうき)さんに話を聞いた。

(2020年10月8日、早稲田大学演劇博物館にて取材。聞き手、構成・鳩羽風子)

オンライン展示「失われた公演」のwebサイトのトップページ。椅子の上にあるのは提供されたチラシやポスターの一部

「なかったこと」にしたくない

--中止・延期公演の資料収集やオンライン展示の狙いを教えてください。

「舞台芸術は、上演されないと表現されたことになりません。たとえ企画があったとしても、それが存在した証はなくなってしまいます。時間や労力を費やした作り手はもちろん、チケット代を支払い、その日、その時間に劇場へ行くのを楽しみにしていたのに、観劇の機会を奪われてしまった観客の思いも含めて、全部を『なかったこと』にしたくなかったのです。4月7日の緊急事態宣言発出により、全国的に劇場は閉鎖され、数ヶ月もの間、日本演劇の上演史に空白ができてしまいました。私は近現代の演劇や文学を専門としていますが、これは、歴史を振り返ってもかつてなかったことです。この事態をきちんと後世に残す必要がある。演劇に関する研究機関であり、博物館として、演劇博物館がやらなければいけないことだと思いました」

――6月18日にチラシやポスターなどの資料提供を、演劇博物館のウェブサイトやSNSを通じて呼び掛けた経緯を教えてください。

「政府が大規模イベントの自粛を要請した2月26日以降、中止や延期を決断する公演が増えていきました。当館には、告知用のチラシやポスターが日々届くのですが、それらが次々に中止、あるいは延期されていく。3月下旬には、日本国内の舞台公演がほぼ休止しました。チラシの束を見て、これだけ多くの公演の上演が叶わなかったのかと悄然としました」

「4月7日に政府から緊急事態宣言が発出され、早稲田大学は8日からキャンパスが立入禁止となり、在宅勤務の体制になりました。その中で、まずはインターネットで得られる情報を基に、中止・延期公演の調査を、手探りのまま始めました。5月25日に首都圏でも緊急事態宣言が解除されると、早稲田大学も6月に入ってから構内封鎖が段階的に緩和され、少しずつ出校できる日が出てきました。その頃、チラシやポスターを既に廃棄した、あるいは廃棄の準備をしているといった話が耳に入ってきました。対応に忙殺されている現場の方に負担を強いてはいけないと思ったのですが、このままでは、この時代を伝える演劇資料が失われてしまうという危機感があり、6月18日に演劇博物館のウェブサイトで、劇団や劇場、関係団体の方々に資料の提供、保存のお願いを呼び掛けました。その後、各団体への個別依頼を行っています」

--新型コロナウイルスの影響で、中止・延期になった公演数はいくつありましたか。

「私たちが調査した限りでも、10月末現在、いわゆる現代演劇や伝統芸能、バレエ、ダンスなども含めて1000以上に上ります。当館では、1回ごとのステージ数ではなく、ひとつの作品(公演)の日程すべてを『1公演』と数えています。実際には、もっと多いことは間違いありません」

--どれくらいの資料が集まりましたか。

「10月末現在、約100団体から約200公演、約500点以上の資料をご提供いただいています。その中から、チラシ画像等を用い、各団体から権利関係の許諾を得た上で、緊急事態宣言からちょうど半年に当たる10月7日からオンライン展示を始めました。この後も順次公開しています」

現在進行形の「今」を刻む言葉

オンライン展示「失われた公演」のチラシ閲覧ページ

--オンライン展示では、チラシのほかに、主催団体や劇場関係者からのコメント、舞台関係者からのメッセージも掲載されています。

「モノだけでなく、そこに関わる『言葉』がほしかったのです。それぞれのコメントには、お送りいただいた日付を必ず入れています。それは、時々刻々と動いている現在進行形の『今』の、どの時点で書かれた言葉なのかを明確に記録しておきたかったからです。後になってみれば当たり前になっているかもしれないことでも、その瞬間その瞬間、誰もが先の見えない中で時間と対峙し、動いているということをきちんと伝えたかった。対応に追われ、次に向かっている方々に、辛かった時間を振り返って、言語化していただくのは難しいかもしれないと思っていましたが、多くの方からコメントを寄せていただきました。本当に、皆さんには感謝しかありません」

--コメントには、演劇人たちのさまざまな思いがつづられています。「大きな夢が叩き壊されたような痛みと悲しみ」(加藤健一事務所・加藤健一さん、2020年10月16日付)、「まさに断腸の思い」(B機関・点滅さん、2020年10月22日付)といった無念の思い。「9月に1日だけのリーディング公演『距離と人間』を行い、初めてweb配信も試みた」(ラッパ屋・鈴木聡さん、2020年10月2日付)と、オンライン演劇で活路を見出した話。それから、苦境の演劇界の人材流出を憂い、「いつか、2020年が思い出話になる日まで、我々は生き延びなければなりません」(温泉ドラゴン・シライケイタさん、2020年9月24日付)という悲痛な訴えも寄せられています。コメントや関係者とのやりとりの中で、特に印象に残っていることは何ですか。

「あらゆる言葉が心に刻まれています。高校演劇など、私たちが当初、目を配れていなかったことについても、メッセージをいただけたことは非常にありがたかったです。また、大人向けの演劇と異なり、なかなかメディア等に取り上げられる機会が少ない児童演劇や人形劇へのダメージが大きいと教えられました。活動の根幹である幼稚園、保育園、学校などでの公演が軒並みストップし、ある劇団からは被害額が数千万円規模に上っているという実態も伺いました」

--日本児童・青少年演劇劇団協同組合(児演協)が加盟団体に対し7月初めに実施したアンケートでは、総損失額12億7000万円、キャンセルなどになった公演数は3,000ステージに及んでいると、児演協代表理事の吉田明子さんが、今回のオンライン展示にもメッセージを寄せていますね。

「児童青少年演劇全体が危機に瀕しているという痛切な声も伺っています。昨年度、児童演劇と人形劇をとりあげた展示を行ったばかりの当館として、それらのジャンルにもきちんと寄り添う必要がある。とはいえ、当館だけでは力が及ばないことが多々ありますので、児演協の吉田さんにご協力を仰ぎ、さらなる調査と資料収集を進めています」

--資料提供の呼び掛けから、オンライン展示まで早かったですね。

「コロナ禍の下では、事態が時々刻々と動いていく中、時代に即応して、表に出していく意義を重要視しました。今記録したものを、いかにきちんと発信していくのか。渦中で動く意味が大きいと思っています」

心の連帯感を生むプラットホームに

--「失われた公演」を可視化することにもつながりますね。オンライン展示への反響はどんなものがありましたか。

「NHKの『首都圏ネットワーク』やウェブ版『美術手帖』など各メディアで取り上げていただき、社会的にも関心の高い問題なのだと感じました。日経新聞では『「コロナで影響を受けた」とひとくくりにされがちな公演の一つ一つを具体的に伝えている』とご紹介いただきました。多くの方が、それぞれに意義を見いだしてくださっていることが、何よりありがたい。また、協力してくれた皆さんから共通して頂くのは、『自分たちの心の中にしか記憶に残せないと思っていた作品、思いを込めて作ったチラシが、公の記録としてアーカイブで残してもらえるのはありがたい』という声です。『苦しいのは自分たちだけじゃないと分かった』『他の劇団や団体の人たちの思いを知ることができた』などの感想も寄せてもらっています。孤軍奮闘している現場の人たちのエールになればと思います」

--最後にメッセージをお願いします。

「チラシの公開、コメントやメッセージを通じ、舞台芸術に関わる人たちの声を広く届けたいです。この取り組みによって、作り手はもちろん、観客も含めた、演劇をめぐる心の連帯感が生まれるのかもしれません。演劇博物館は、そのためのプラットホームでありたい。オンライン展示は、いつまで公開するかといった期限は決めておらず、随時更新しています。これ自体が、ひとつの演劇のデジタルアーカイブになればいいのですが。来春には現物展示の企画も検討しています。それから、中止・延期公演の資料収集も継続しています。私たちの手が届かない、目配りしきれていない公演も、まだたくさんありますので、皆さんのお力添えをいただきながら、調査や資料収集を続けていきたいと思っています」

【後藤隆基さんプロフィール】

早稲田大学坪内博士記念演劇博物館助教。立教大学大学院文学研究科博士後期課程日本文学専攻修了。博士(文学)。専門は近現代日本演劇・文学・文化。著書に『高安月郊研究――明治期京阪演劇の革新者』(晃洋書房、2018)。共著に『演劇とメディアの20世紀』(森話社、2020)、『新聞小説を考える――昭和戦前・戦中期を中心に』(パブリック・ブレイン、2020)他。

【インタビューを終えて】

オンライン展示を見ると、チラシ1枚1枚が無言のまま語りかけてくる。中止・延期になった公演にどれほどの思いが込められていたのか。関係者のコメントにも目を通すと、胸が締めつけられる。人々の記憶に刻まれるのは、データではなく、こうした生の資料や言葉だ。中止・延期になった舞台作品をアーカイブ化するのは、大変貴重で有意義な取り組みだと思う。今回のコロナ禍では、「演劇とは何か」という根底が問い直され、様々な問題があぶり出されている。本稿を執筆している2020年11月現在、感染者が再び急増し、「第三波」の様相を呈している。その中で先を見通すのは難しいが、いつかコロナ禍と演劇も「歴史」になる。この最悪の状況から得た経験を生かすためにも、広い視野で演劇の足元を直視し、その動向に目を配っていきたい。(鳩)