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香港 ── 未曽有の二つの脅威に演劇はどう応えるか

張秉權(チュン・ピンキュン)

 香港演劇界はこの数か月、かつてない困難に直面してきた。新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、香港の劇場は世界の他地域と同様、長期間にわたる閉鎖による痛手を被っている。さらに悪いことに、民主化運動を引き起こし、香港社会に深刻な打撃を与えた根本原因は、いまだ適切に処理されていない。前例のない二つの新しい脅威が、演劇人たちに新しい道を探せと迫っている。どう生き延びるか、いかに創るか……。

感染流行への応答

 他の都市と同様、香港でも多様なオンラインパフォーマンスの形が生まれている。初期にはまず、高い評価を受けた過去作品の映像をウェブ上で公開するカンパニーが現れ、やがてオンライン上でライブパフォーマンスを発信するカンパニーが出てきた。最小限のしつらえのシンプルなリーディング公演から、演技や動きに演出のついたリーディング公演、さらに、稽古を積み重ねた本格的な公演――モンタージュ手法やオンラインならではの視聴者参加型まで、さまざまな取り組みが行われた。カメラワークや映像編集によって、映画に近く、また映像作品としての魅力を備えた演劇作品が現れたのである。これらの作品は視聴者の参加を首尾よく実現、演劇上演における語り(ナラティブ)を進化ないし変化させた感すらある。どの作品を観ても、アーティストたちがこの困難の渦中にありながら、実験精神をかかげて全力で新しい可能性を探求していることがわかる。
 オンラインパフォーマンスの進化は、評論家たちへ「映画と演劇の違いはなにか」という問いを突き付けることにもなった。同時性あるいは「いま、ここにいること」という演劇の原則は、はたして揺るがぬものであろうか。オンラインパフォーマンスの形態を、単にポストモダンにおける脱中心化の次のフェイズと捉えるべきであろうか。つまり、創造の場で中核を担う演劇的職能がいっそう弱まり、代わりに映像業界のカメラマンや助監督への依存が強まって、観客/視聴者も、注意散漫でだらだらとスクリーンに向かうようになると考えるべきなのか。それとも、オンラインパフォーマンスの持ついわば「癒し」の効果を、舞台芸術の発展形として受けとめ、精神的ダメージを受けがちなロックダウン(都市封鎖)下に必要なものとして受け入れるのか。
 言うまでもなく、オンラインパフォーマンスの革新について論じるならば、評論家は第一線のアーティストたちと足並みをそろえて時宜を得た美学の手法を開発するべきである。
 数多のオンライン作品中、特筆したいのは香港演芸学院(HKAPA-Hong Kong Academy for Performing Arts)応用演劇科が手がけた参加型ミニ・エスノシアター(*1)『See You Zoom』だ。視聴者からの反響も大きかった。これは、応用演劇の若手プラクティショナー4人のコロナ禍のありのままの日常を見せる作品だ。視聴者は作品の途中で任意に2人の登場人物を選び、彼らがソーシャル・ディスタンシング(社会的距離)を保ちながら、どのように生活しているのかを目撃する。隔離を余儀なくされた彼らの日々の不安にも相対することになる。視聴者は、意見や感想のみならず、アーティストへのアドバイスを送ることで作品に文字通り「参加」する。このようなフィードバックは、アーティストの心境に、確実に影響を与えていた。人間味あふれるあたたかな雰囲気の作品。アーティストたちには今後も、オンラインならではのさまざまな実験的参加型演劇に挑んでほしい。

社会問題

 演劇人は現実社会に対してたいてい鋭敏に反応する。直接的な手法であれ、暗喩的であれ、演劇で社会問題にアプローチするアーティストは少なくない。香港に政治的分断が生じて、市民が簡単に(正確には、あまりに単純に)「黄色(反政府)か青(親政府)か」に分類されたとき、ソーシャルメディアでは多くの人が「自分と同じ色に属する意見」ばかりをフォローして、いわゆる「エコーチェンバー現象」(*2)が広く浸透した。明確な社会的メッセージを打ち出す演劇に参加するのは、多かれ少なかれこれに似ている。いずれも「私は孤立していない」と表明する行為である。上演空間において時間を共有することで、集団の中に発生する感情は、ソーシャルメディア以上に強力なエコーチェンバー現象を生む。カーテンコールの際、客席から政治的なスローガンが飛ぶ公演もあった。このような感情の共有はまさに演劇の機能であり、この機能があるからこそ、演劇は見る人を勇気づけるし、傷つき、弱った心を慰められるのだ。この機能をさらに深め、メッセージが観る者の思考をより強く喚起するよう探求する作品、より繊細にメッセージを扱おうとする作品も登場した。

六四舞台『May 35th』オンラインバージョン 写真提供:六四舞台

 そのなかで最も重要な作品が、六四舞台(Stage 64)の『May 35th(5月35日)』だ。このタイトルは、1989年に天安門事件が起こった日付「6月4日」の婉曲的な表現で、悲劇から30年の節目にあたる昨年(2019年)初演され、その後一度再演された。そして今年(2020年)はコロナ下で新たにオンラインバージョンが制作された。クラウドファンディングにより一定期間、ウェブ配信が可能となり、世界中から膨大なアクセス数を獲得した。
 本作は、天安門事件で息子を亡くし、30年の間沈黙を強いられてきた老夫婦を描く。二人はせめて一生に一度、この特別な年に、勇気を奮い起こして行動しようと決心する。30年の節目だからというだけではない。二人はともに重い病を患う身で、残された時間がもうないと考えていたのだ。若くして逝った最愛の息子に弔意を示すため、二人は天安門広場へ行く計画を立てる。しかし、政治的に体制順応的な親戚の一人が、この微妙な時期に権力に挑戦的とみられるようなことはすべきでないと言って邪魔に入る。ラストでは、公安が二人の家のドアを叩き、二人の計画が潰えることが示される。
 ところが、昨年舞台で上演されたものでは、老夫婦のうち夫だけは広場にたどり着く。彼の追悼の意に応えて、何十人もの学生たちが亡霊として姿を現し、複雑な感情や叶わぬ願望を口々に叫ぶ。今年のオンラインバージョンでは、老夫婦が二人とも、息子の追悼のため広場に足を踏み入れる。ラストシーンは天安門の映像を投影した白い簡易テントの中で演じられた。装置を見れば、そこが稽古場であり、作品世界と現実が別物ではないことがすぐわかる。群衆の叫び声のノイズと、ガスマスクを装着して走る人々の映像の混淆は、群衆を散らす警察権力の到来を暗示する。その映像がぼやけることで、過去の北京と、過去の北京と同じことの起きている現在の香港のモンタージュが立ち現れる。

六四舞台『May 35th』撮影:Cheung Chi Wai

社会的公正を求めて

 前項で記した社会問題に応える作品とは別に、より広いテーマを慎重に選んだ作品もあった。観る者を深い思考へと促すこういった作品から、ここでは、『The Path Together(路、一起走)』と『Testimony(山下的證詞)』の2作を紹介したい。
 香港展能芸術会(ADA-Arts for the Disabled Association of Hong Kong)の『The Path Together』は、身体障がい者によるパフォーマンスで、演劇的所作による同時通訳者たちが舞台上にいるのが特徴だ。彼らは作品に溶け込み、障がいを持つ俳優と協働し、通訳機能を兼ねたサブ俳優的な役割を果たす。観客は、その通訳者の所作の美しさに魅了され、すべてが融和する場の美的価値に気づかされる。

香港展能芸術会『The Path Together』 撮影:Jack Li

 『Testimony』は、香港のマイノリティ、南アジア系住民の抱える問題を見すえたドキュメンタリー演劇で、製作は社会包摂的な演劇を手がけるRooftop Productions(天台製作)。南アジア系の人々は何世代にもわたって香港に住んでおり、すでに香港市民と認められているが、民族的マイノリティである彼らはいまだ本来の社会的平等を享受できていない。充分な稽古がなされ、美術も演技もすばらしい。真の完成というにふさわしい、入念かつ力強く練り上げられた作品だ。
 事実、私たちの町には、人種的あるいは身体的なマイノリティが存在し、社会的に軽んじられている。民主的な社会というものは、すべての市民が対等に扱われる土壌にうちたてられねばならず、「他者」の声は公正に聴き届けられなければならない。それゆえ、このような作品は社会、文化両面に本質的に意義があり、しかるべく評価されるべきである。実際、『Testimony』は2019年、国際演劇評論家協会(AICT/IATC)香港センターの「今年の作品賞」と「最優秀舞台美術賞」を受賞した。

天台製作『Testimony』 写真提供:天台製作

 大館(タイクン)(2018年に旧セントラル警察署内の警察署と刑務所を改装して誕生した文化施設)製作の『The ÉLAN Lost Child Project(動戲‧童迷香港藝術計劃)』についても触れておきたい。芸術監督のオリヴィア・ヤン(Olivia Yan、甄詠蓓)が、フィジカルシアターの巨匠デイヴィッド・グラス(David Glass)とともに、この不確実性と恐怖の時代をさまよう人々、とりわけ若者や子どもに心を痛めて企画したものである。当プロジェクトのモットーは「アートをするとき、私たちは問題を解決するのではない、問題を扱う(プレイ)のだ」。ぜひここに記しておきたい。
 香港演芸学院は、演技、演出、劇作に加え、ドラマトゥルク、ミュージカル、アプライドシアターの3つの専攻コースを2022/23年度までに順次開設予定である。卒業生たちは、演劇界の良いポストを得るだけではなく、バランス感覚と教養と知性をもって演劇の環境づくりに貢献してくれるだろうか。たとえばドラマトゥルク科の出身者は、文化的に意義深い作品を創るのに貢献できるだろうか。
 将来、彼らが卒業するころになってもなお、この暗雲は垂れ込めたままであろうか。学生たちにはぜひとも、どのような逆境のさなかにあっても輝く光を創る力を手に入れてほしい。私の想像はふくらむ。

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(*1) エスノシアター(ethnotheatre):応用演劇(アプライドシアター)の一つ。フィールドワークやインタビューなどで収集した個人の実際の体験を演劇という形で提示し、社会の抱える課題に向き合うもの。
(*2) エコーチェンバー現象:同質の興味や関心、社会的立場、意見や思想を持つ者たちがソーシャルメディア等を通じて共感しあい、同質の情報ばかりを収集して共感の度合いを強め、多様な考え方を受け入れられなくなる現象。

(翻訳:後藤絢子)