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▼演劇的で巧妙な仕掛け

iaku公演『あつい胸さわぎ』 作・演出=横山拓也 撮影=木村洋一

藤原:iakuを観ていなかった間にも、評判が高い作品を創っていることは聞いていました。以前の記憶では、詩的に何かを匂わせる度合いが強く、それでいて作品の核が掴み難かったので散漫な印象でした。ですので久しぶりに今回観て、作品内で思い切り良く描ききっています。それにずいぶんと笑いの要素も増えて、これまでと違った感触でした。
 重要なのは、それは単なる良い話や悲しい話ではない。繰り返しになりますが「胸さわぎ」をフックに作品に背骨を通し、同時に演劇的な比喩になっているために、これはテレビドラマではなく演劇ならではの作品になっています。

嶋田:今藤原さんのお話に挙がった、この作品を演劇的に成立させている点について考えてみたいと思います。先ほど、藤原さんのお話に舞台装置のことがありました。段差を積み上げて、パネルが組み合わさっていて、柱の上部には人間関係を象徴するように、赤い糸が幾重にもピンと張られている舞台装置です。このような非常に抽象的な空間を作って、役者を上手に配置していました。
 これが一番、効果的に決まっていた場面は、この登場人物5人全員でサーカスを見に行く場面です。その帰りに、木村に仕事が入ってしまって抜け出て、そののち木村・昭子の場面、千夏・光輝の場面、そして光輝・透子の場面が連続します。この3つの男女の組み合わせの場面を、短時間でシャッフルするように積み上げて、話を紡いでいきます。このような場面は演劇でなければできない手法です。ここ部分はリズム感があって、見応えがありました。

柴田:あの場面は、私も印象的だと思いました。畳み掛けるように、サーカスの場面から、クライマックスといいますか、だんだん転がり落ちるように変わっていくのです。それまでは割と、お笑い風の場面だったのが、です。
 階段状に高低差をつけた舞台を活かし、上奥で大学生の光輝君が電話をして、手前下で透子が受けてといった恋愛の場面と、舞台中段中央での千夏と昭子のシリアスな場面が交差する。舞台空間を上手に分割して用いることで、場面が入れ替わり、畳み掛けるように事態が進行し、関係性も変わってくる。サーカスの場面あたりから、どうなるのか、ハラハラ、ドキドキのような感じが出てきます。客席に座っている私も、広いアゴラの劇場空間ではなくて、舞台上の狭い彼らの人間関係に、ぐっとフォーカスするように集中しました。スポットライトが当たるごとに、光が当たるごとに、そこの場面が見えてくるような没入感が強くなったのが、あの場面からです。

嶋田:もう一つ印象的な場面は、千夏が創作した自分の小説作品のノートを手にして朗読する場面です。ワニの話と、自身の胸の動悸、恋の痛みを重ねた創作ですね。上手の手前のところで朗読していました。

柴田:ノートを読むという行為ではありますが、ある意味、独白の場面です。自作小説に寄せて彼女の心情が吐露される。観客の関心が彼女の心情にフォーカスすればするほど、彼女が前に飛び出てくる。あたかも飛び出す絵本のように感じられたのは、パネルで段を作った抽象的な舞台で、段差が生み出す錯覚の力を利用した場面なのかと、少し良い風にとらえました。

嶋田:千夏の創作自体は、正直言って、かなり稚拙な内容です。しかし、ワニに例えて話をしていく小説の稚拙さが、逆にリアルで、そこがまた乳がんという病を受け止めようとする千夏のリアルな心情を裏付ける言葉として、たいへん効果的でした。

今村:千夏が、すごくいじらしい。

嶋田:泣けてしまいますね。あと、ここまで恋愛関係を描写しながら、最終的には、誰も幸せにならない。ハッピーエンドにならずに終わっています。敢えて言えば、昭子と千夏の母娘関係のつながりが、より強い結びつきとして、いま一度見直されているところで話は終わっています。千夏の乳がんの話は何も解決しませんが、作品の落としどころとしては、見事という気がしました。

柴田:家族もですけれど、透子との関係も見どころでした。千夏が乳がんであることを知って、光輝君と関係をもつのをやめますよね。

嶋田:確か透子と光輝は年齢が、一回り離れていますね。干支が言えるかどうか、といった場面がありました。

柴田:干支が言えない彼と文学好きの透子では、先行きの不安はありますけれど、面白い関係であって別にやめなくてもよさそうなものですよね。けれど、千夏ちゃんのことを思って、千夏ちゃんの気持ちを少しでも傷付けたくないという、彼女の優しさが「大人の女」を演じて別れの場面につながります。
 「良い話を見た」と言うと、嫌な言い方になってしまいますけれども、ああいう優しい関係は、日常に生きていると、今はあまり見えないのです。母親の昭子の優しさもそうです。「胸をもんでやろうか」などとあんなふうにスキンシップをとる母親は、私の知る限り、周りにはあまりいないのです。千夏ちゃんはがんになってしまったけれども、あれほど密で、優しい人たちに囲まれて良かったねと、もちろん病気になったことは良くないのですけれども、そんなふうに言いたくなるような人間の温かさを感じられたのが、あのラストです。
 誰も幸せにならない、4つの失恋に主人公の少女が病魔を得、誰にとっても良い話はなかったのにもかかわらず、こういう温かい人間関係は良いと思わせられてしまった。うるうると落涙したくなるようなラストは、私たち観客が望みつつ得られない関係だったのかもしれません。

藤原:言われてみれば確かに、皆が千夏のために善意で動きます。それが今はない理想的な世界なのだとすれば、それは観客が欲しているものだったのでしょうか。

柴田:私はそう感じました。