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▼あるある的な展開を突き抜ける力

iaku公演『あつい胸さわぎ』 作・演出=横山拓也 撮影=木村洋一

嶋田:今皆さんの感想を伺って、やはりこの作品は物語の展開として千夏に乳がんが発見される点が大きいと思います。先ほどの、今村さんのお言葉を借りれば、「既視感」ということになるかと思います。言い換えれば「あるある」的な設定で、すごくありきたりです。病気の発見によって物語が急展開していくというパターンは、舞台に限らず、映画、テレビドラマ、小説などでも、昔から繰り返されている典型的なストーリーです。『あつい胸さわぎ』の観客の多くは「健康診断」の言葉が出た瞬間に、千夏が病気になるだろうと瞬間的に分かったに違いありません。

藤原:分かりました。

嶋田:このように物語展開について容易に推測がたちながらも、寄り切られてしまうところが、多分、この作品の一番、肝の部分かと思います。ありきたりの物語でありながらも、寄り切られてしまう。多分、これが「よくできている」と言われている、大きな理由になってくるかと思うのです。

藤原:先ほど言ったように、「胸さわぎ」が演劇的な比喩に落とし込んでいるからだと僕は思います。

今村:僕もやはり、その病気をきっかけに出てくる言葉の一つ、一つに、感性、感情の裏打ちがあると。作家がその言葉を大切にしながら、登場人物に寄り添いながら、その感情が、決して作り物だとか、既視感がありながらも、うそくさくない風に、言葉を意識的に使っている、その寄り添い方の丁寧さに、僕らは共感させられるのではないかと思います。
 例えば、病気とは少し離れるのですけれども、母親が木村にときめいている、それを見る千夏のアンビバレンツな思いです。話としては、これも一種ありきたりな話なのですけれども、それが、生活感豊かな大阪弁の言葉に乗せて、親子の間で戦わされることによって、そこに、すごく確かな手触りが生まれてきます。

柴田:千夏が、自分ががんだと分かったときに、不安な気持ちを誰かに相談したいけれども、それが母親ではないところにリアルさを感じました。乳がんと分かったときの千夏と透子のやりとりに、いや、いまどきこういう反応をするかなと、本当はちらっと疑念も頭をよぎりました。私たちは標準治療など色々なことを知っていてもっと科学的に落とし込んだ話をするので、こういう情緒的な話は嘘くさいと見るのは簡単なのですけれども、場面からは、ただ母親ではない誰かに相談したいという切実な千夏の気持ちが伝わってきます。
 感情的に優しく、言って欲しい言葉を口にする登場人物たち。それは本当かと思う部分はあるのですけれども、大阪弁のきつさと柔らかさが混然となって響くせりふ自体には嘘くさくなく、言いよどんだり、黙ったりすることも含めて、リアルに伝わってくる。登場人物の誰しもがうまくいかない展開にあって、それでも優しい人間関係があるのが嬉しいと思うがゆえに、余計にあれをリアルに感じてしまうのではないかとも思いました。

▼枝元萌の確かな力量

藤原:今村さんが先ほどおっしゃった、登場人物の感情を裏打ちする台詞。それを表現する俳優の力がなによりも良い。昭子と千夏を中心に、テンポの良いしゃべくり漫才のようなやり取りが、舞台の前半部分を占めます。出身地の大阪が懐かしくなるほど、当意即妙なやり取りによる日常が延々と続きます。そういった何でもないシーンを生き生きと表現することは意外に難しい。それを演じる俳優たち自身も楽しげに演じて、笑いを生んでいました。
 それが後半部分で一転、千夏に乳がんが発覚したり、千夏の初恋相手である光輝と透子が寝てしまうなどの出来事が連続する。舞台のコントラストがすごくはっきりしている点も、胸の高鳴りと不安が一体となった作品の核と上手くつながっています。楽しげに演じていた俳優も、涙を流して熱の入った演技を見せます。シンプルな舞台空間でそういった演技をされると、簡素なだけに役者の存在だけが妙に浮き立ちます。それは単に日常的なリアリズムではない。抽象空間の中に、具象的な人間が異物に感じられるくらい屹立するような感じ。そういう意味でも、俳優の演技が劇を駆動するべく、いらないものを削いでいます。

嶋田:昭子役の枝元さんの力量はすごいですね。

藤原:すごい。

柴田:目をひきましたね。

嶋田:枝元さんは、ご自身が所属しているハイリンド公演はもちろん、二兎社の公演にもよく出演していらっしゃいます。こういう庶民的な、おばちゃん役がとても上手です。このおばちゃんキャラを表現しながら、問題の核心に突っ込んでいくところがたいへん素晴らしかったです。枝元さんが表現するキャラクターで、先ほど藤原さんが言った、笑いをテーマにしたリズムが出来上がっていました。実際、この昭子にしても、シングルマザーで、経済的にはすごく大変で、「娘を大学に行かせるのが、経済的には大変だ」と、最初のほうでは口にしていて、生活感もまたしっかりと表現しています。
 そして、木村に対してほのかな愛情を持っていて、その感情をおかずをつくって渡すといった非常に生活感あふれる行為で示そうとします。そのことを理解できない木村に最終的には「女として見ていない」と言われてしまって、この場面は悲しかったですね。冒頭の笑いと、このような悲しみのコントラストがとてもよく表現されていました。

今村:当初は、木村に対して、子どもが好きな女の子にいじわるをするように、わざと、いじったりするわけです。そのあたりのキャラの立て方も、うまいと思います。