【思考の種まき講座】綺想を紡ぐ――野木萌葱トーク
■ミニ商業化に潰されなかった奇跡
西堂 前半で野木さんのお人柄もよくお分かりになったと思うので、後半はそこを継ぎながら、どのような体験をしてきたのかというところも含めて少し話を広げてみたいと思います。それから、野木さんの作品についての考え方もいろいろ聞いてみたいと思います。
野木 はい。
西堂 野木さんは相当なヘビースモーカーみたいなので、今煙を吸いながら一息ついていただきました。皆さんも、今日話を聞いていた中で感じたと思うんですけど、2000年代、野木さんはほとんど商業として成り立たないような作品創りをされてきました。かといって、かつての運動意識でやっているのとはまた違うし、何なんだろう。これは個性としか言いようがないのか。好きでやっているというのとはちょっと違うんですよね? 演劇が好きで好きでしょうがなくて、やらざるを得ないからやっているのとは……。
野木 それはないです。ああ、でも(演劇を)やっているんですよねぇ。
西堂 (笑)。
野木 「やっているんだから好きなんだろう」と言われて、「いやぁ……」と答えるのも恥ずかしい気持ちがあるんですよね。矛盾しているのが申し訳ないというか。
西堂 前半で言われた、俳優やスタッフに対するリスペクトが、一つの集団の行為として(演劇を)成り立たせていくんでしょうか?
野木 こうい? 好き(という意味の好意)ですか?
西堂 いや「行為」、営みですね。演劇をやるっていうのは、ある意味他人に対するリスペクトでもあるので、そのことに関しては非常に誠実に向かわれていたのかと思います。
野木 そうですね。それだけは貫きたいですね。
西堂 だからそれがフッと見えなくなった時にはやめざるを得なくなる。
野木 そう……それだ!
西堂 そこで(他人へのリスペクトを見失った時に)馬が出てきたんですよね?
野木 そうですね。一番分かりやすかったのは、2011年の馬ですね。
西堂 夢の中から馬が現われてきた?
野木 夢(笑)。
西堂 ほとんど埴谷雄高(戦後の文学界を代表する作家)の世界ですね。
野木 もともとまったく別の話をやる予定だったんですけど、劇団のミーティングで「競馬の話やるよ」って言いました。劇団員からは「はぁ?」って言われましたが、「はぁ? じゃないんだ! やるんだ!」と。
西堂 その時の押しは強かったんですね。
野木 「もうそれしかない! 私の中にはそれしかない!」と。
西堂 それについて、劇団員も「野木さんが言うんだからしょうがない。連いて行こう」という風に容認したんですか。
野木 いや、劇団員からは「え、四つん這い?」って言われました(笑)。だから私も「四つん這いになりたいかー!」って言い返しました。
西堂 (笑)。四つ足で歩けと。
野木 結果的には四つ足では歩いていないんですけれども(笑)。そんなやり取りがあって、「じゃあ馬の話やるよ」という話になりました。
西堂 そこまで追い詰められても商業化しないでやってきたというパラドックス定数の在り方が、僕にはものすごく特異な例に思えるんですよ。なぜかというと、2000年代って、小劇団においてはミニ商業化していく時代だったんじゃないかなって思っているから。先程も少し言いましたけど、「商業化しなきゃ意味ない」みたいな風潮の中の学生をとくに日藝で結構見てきたので……。
野木 そうだったんですか。
西堂 でも僕の授業には商業化へのアンチの側の学生しか来なかったので、僕はやっぱり商業化の側から教師として嫌われているんだなって思いました。2000年代の演劇の中では商業化が結構大きなテーマだったんじゃないか。例えばこの頃、ホリプロがストレートプレイに参画してきたんですよ。誰の戯曲でやるかというと、実は井上ひさしなんです。ある意味で商業主義の反対側にいるはずの井上ひさしを、むしろ商業演劇のホリプロが使い始めていった。だから演劇界自体が商業化の流れを止められなかった。一方、2000年代で記憶に残っている舞台は、例えば新国立劇場の『焼肉ドラゴン』(2008年初演)だとか、(二兎社の)永井愛さんの作品だとか。彼女は新国立劇場と対立したりもしましたけど。あるいは世田谷パブリックシアターで上演されていた(MODEの)松本修のカフカの連作(『アメリカ』(2001年初演)『審判』『失踪者』(2007年初演))とか。公共劇場から良い作品が生まれてきた。これがある意味、商業主義とギリギリ対抗していたなと思いました。PARCO劇場もシアターコクーンも完全に商業化して、その大きな流れの中に実は小劇場も入っていたんじゃないか。その中でパラドックス定数が存立していたことは、本当に奇跡だと思うんですよ。
野木 はい……。
西堂 別に恐縮されなくてもいいんですけども(笑)。
■きっかけは外側
西堂 そういう中で2011年の東日本大震災というのがあって、演劇の流れが少し変わったなと思います。それまでミニ商業化に対して嫌だなと思っていた劇作家たちが一斉に評価され始めてきた。瀬戸山美咲さんとか、長田育恵さんとか、シライケイタさんとか、古川健さんとか。その中にたまたま七三一部隊を素材として使ったかもしれない野木さんもいたってことなんですね。
野木 たまたまです。
西堂 たまたまにしろ、七三一や東京裁判(のような歴史的題材)が目に入ってきた動機や理由は何かあったんですか?
野木 東京裁判はお客様のリクエストなんですよ。だから、本当に外側からいただいたもので、自分自身を掘り当てて見つけた題材とかそういうのではないんです。お客様から「東京裁判(を題材にした作品)が観たいです!」と言われて、私は「何を言ってるんだ」と思いました。でもそう言ってくださったものですから、「ありがとうございます」と。それで、挑戦してみようかと思いました。
西堂 お題拝借って感じですか?
野木 そうなりますね。
西堂 七三一は?
野木 これも(きっかけは)外側なんです。何か過去のことを書きたいと思って図書館で本を眺めていました。「日本の戦争」の書棚があるじゃないですか。そこにあった本のタイトルが明朝体で『七三一』だったんですよ。何も知らなかったものですから、最初は「なんで七三一? これは戦争に関係あるのかな?」と思いました。本当に恥ずかしい。そのタイトルをしばらく見ていました。『七三一』って数字だけなので、「広島」とか「長崎」とかと違って異様なんですよ。だから、読んでみて、こんなことがあったのか、と……。
西堂 きっと、それを呼び込んじゃった野木さんのセンスか何かがあったんでしょうね。
野木 ……はい。
西堂 (センスを認めることを)別に強要はしません。外部から来たオファーに応じながらやったと言われましたが、そのように題材をもらって取り組んでみた作品は他にもあるんですか?
野木 ちょっとずれますけど、大昔に書いた『インテレクチュアル・マスターベーション』(2009年)っていう大杉栄の話もそう(外部からの依頼)ですね。
西堂 あと太宰治の脚色もあるんですよね?
野木 ああ、ありますね。思い出しました。
西堂 それも丸腰で受けたというか……。
野木 三鷹市芸術文化センターというところに森元隆樹さんという演劇が大好きで熱意のある方がいらっしゃるんですね。ご存じの方もいらっしゃるかと思うんですけど、その森元さんが、三鷹と縁の深い太宰治をモチーフにした演劇を一年に一作品やるという企画(現在は太宰治朗読会)を、何年か前まで毎年星のホールでやられていました。前からそのお話をいただいていましたが、太宰にはまったく興味がなかったので、生意気なことに断っていたんですね。「芥川龍之介ならやる」とか言って。それでも、森元さんが(やらないかと)ずっと言ってくださっていたので、「ここまで言ってくださるなら……」と心を改め、「今まですみませんでした。やります」と言ってやりました。
西堂 今、芥川の名前が出ましたが、近代文学で興味のある作家とか、それをもじりながら改作しようとした作品は、今までありましたか?
野木 江戸川乱歩、横溝正史、そして夢野久作が出てくる、『HIDE AND SEEK』(2012年)というお祭り騒ぎみたいな突拍子もないお芝居が一本あります。
西堂 推理小説も結構お好きなんですか?
野木 好きと言うほど読んでないのが恥ずかしい……。でも興味はあります。
西堂 そのように作家を一つの典拠としながらリメイクしていくのは、劇作の王道の一つだと思います。あるいは歴史的な素材を扱うとか。もしくは馬がしゃべる『トロンプ・ルイユ』のように完全オリジナルを考えるか。そういういくつかの劇作のパターンがあるとすると、作家を典拠とするのは他にはあんまりありませんか?
野木 今お話しした『HIDE AND SEEK』も、外部から「野木さん知ってた? この三人(江戸川、横溝、夢野)って知り合いなんだよ」と言われたのがきっかけです。
西堂 アンテナを張っている人が外部にいて、そういう人が野木さんにいろいろ持ってくるということもあったんですか? あの人(野木さん)にやらせようとか。
野木 あります。あります。世間話から始まって……。
西堂 それはプロデューサーなんですか? それとも世間一般の人なんですか?
野木 俳優です。
西堂 パラドックス定数の俳優ですか?
野木 これ、ばれるな(笑)。『HIDE AND SEEK』の題材をもらった時、「ありがとう。私やってみます」って言ったら、その人が「野木さん一つ条件がある」って。「何?」って言ったら「俺を出せ」って。
西堂 「俺を主役に」とは?
野木 それはないです!
西堂 でもそういう形で結構教養ある人が周りにいたっていうことですね。
野木 そうですね。
西堂 いつの間にかそういう人材が野木さんの周りを取り囲んでいたというか。
野木 ありがたいことに。
西堂 それはすごい財産ですね。演劇において持っているといい大事な人材です。野木さんが一人で図書館に行って「七三一」という明朝体を見ただけではなく、周りに世間があったってことですね。
野木 そう言って(リクエストして)くださる方がいてありがたいと思うのと同時に、「ん? 図々しいなぁ」って(笑)。すみません。でももし何か機会があったらぜひ(リクエストしてください)。
西堂 そういうオファーというか、善意の提案みたいなものを受けることで、人へのリスペクトが働くのでしょうか。
野木 そうだと思います。もうそこまででストップなんですよ。私が「(リクエストしてくれた劇が)どうなっても知りませんよ」って言うと、「いいです」って。あとは何も言わずに公演を観に来てくれる。
西堂 「俺を出せ」ではなく?
野木 あぁ……でも(その人)役者だからなぁ。(舞台に出たい)気持ちは分かるので、「よし分かった」って言って、出演してもらいましたけど。
西堂 『東京裁判』も外部の依頼ですか?
野木 はい。
西堂 世間話から?
野木 はい、世間話ですね、お客様が来てくださって。その方は「パラドックス定数の『東京裁判』が観たいんです!」っておっしゃって。
西堂 それはどういう理由か聞きました?
野木 いや、分かんないです。まず聞かなかったですね。もしかしたら「聞いたらつまらなくなるぞ」という意識が働いたのかもしれないです。
西堂 なるほど。じゃあ、あとはお題を頼りに自分で展開していくと。
野木 そうですね、最初の取っ掛かりだけいただいて。