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「思考の種まき講座 演劇フォーラム」
綺想を紡ぐ――野木萌葱トーク

【日時】2022年5月29日(日)
【会場】座・高円寺 けいこ場1(地下3階)

トーク:野木萌葱(劇作家・演出家)
聞き手:西堂行人(演劇評論家・国際演劇評論家協会(AICT)日本センター会員)


■野木萌葱さんを招いて

西堂 演劇評論の西堂行人と申します。よろしくお願いします。今日は野木萌葱さんをお招きして、「綺想を紡ぐ」というタイトルで(トークを)やりたいと思います。どういう話になるかは五里霧中です。野木さんと会って話すのは、実は今日が初めてでしたが、僕はすでに何度もお会いしているという気がしていました。なぜかというと、(野木さんが主宰する)パラドックス定数の公演の前に、毎回プレトークのようなものがあり、注意事項を野木さんが話すんですが、これが当意即妙、ユーモアたっぷりなので、非常に楽しく毎回感心して拝聴させていただいていたんです。でも実際に野木さんと劇場で会って紹介されると、ふっと(変わる)。恥ずかしがり屋ですかね?

野木萌葱

野木 (公演の直前や直後は、)実は結構殺気立っているんですよね。

西堂 ああ、殺気立ってる! じゃあシャイなわけじゃなくて。

野木 そう……ですね……。

西堂 分かりました。そういうことで、なかなか話す手掛かりがなくて、今日に至りました。今回、座・高円寺の「思考の種まき講座」という形でトークをやらせていただきますが、実は僕は五年ぐらい前から、勤務先の明治学院大学で、毎年一人か二人ゲストを呼んでトークをやっているんです。2018年、(温泉ドラゴンの)シライケイタさんに始まり、2019年には劇団チョコレートケーキの古川健さん、同年に(ミナモザの)瀬戸山美咲さん。それから翌年2020年に(てがみ座の)長田育恵さん。そして去年(2021年)は(TRASHMASTERSの)中津留章仁さんをお呼びしました。その意味では僕にとって今回が6回目なんですが、ご縁があって、このセミナーでやることになりました。大学でやる時には、みんな若者に向けて人生を語ってくれる。今日も前半は野木さんの演劇人生について語っていただき、後半で、パラドックス定数をはじめとして、野木さんのいろんな創作の秘話みたいなものを聞かせていただくという流れで進めていきたいと思っています。

野木 分かりました。

■演劇との出会い

西堂行人

西堂 早速ですが、野木さんのプロフィールは、チラシにざっと載っているのですが、もう少し膨らませてお話していただこうと思います。

野木 分かりました。

西堂 先程、カフェで、野木さんと打ち合わせをしていたのですが、僕が今までに会ったことのないタイプの人だなと思いながら、非常に楽しい会話をさせていただきました。謙虚というか、世間にあんまり意識を持たないというか、そういうタイプの人ってなかなか珍しいという感じがしていましたので。形而下的な話になるかもしれませんが、お話していただけるかなと。

野木 すみません、今、「ケイジカ」って……。

西堂 要するに日常的な、瑣末な話、ということです。

野木 分かりました。

西堂 野木さんは横浜に生まれ、日本大学の藝術学部に進まれて、劇作コース(現在は、演劇学科舞台構想コース劇作専攻)に入られたということですが、演劇との出会いはどんなところだったんですか?

野木 出会いは中学2年生、すなわち14歳の時ですね。

西堂 演劇部ですか?

野木 違うんですよ。中学校に演劇部がなくて……。私が通っていた中学校は、一学年3クラスの本当に小さいところでしたが、学芸祭といって、一クラス約30分、全学年計9クラスが一日ぶっ続けで計9本のお芝居をやるという常軌を逸した行事がありました。高校演劇の偉い人であったという校長先生は、とにかくそれをやりたかったらしいんですね。クラス対抗戦みたいな感じでやりました。それが、自分で戯曲を書いてしまった最初の体験ですね。

西堂 その時は、俳優もやられていたんですか?

野木 いやいや、劇作だけですね。演出の女の子と二人でワーワーワーワー言いながら……。

西堂 それは女子高ですか?

野木 いや、共学です。

西堂 じゃあ、中2で台本だけを書かれたのが出発点?

野木 そうですね。中1の頃から書き始めたのかな。

西堂 ものを書こうという意欲は、もうすでに芽生えていたんですか?

野木 関係あるか分かりませんが、幼稚園の時から勝手に絵本とか作っていましたね。

西堂 ああ、そうですか。じゃあ創作は、すでに幼稚園、小学校から、いろんな形で始められていたということですね。

野木 遊びですけれど、そうなりますね。

西堂 それで、中2の時に初めて台本という形にされて、その後どういう展開を?

野木 (先程お話しした学芸祭は、)中学2年の時まではクラス対抗戦だったんですが、その翌年から校長先生が冷静になったのか、一日ぶっ続けのお芝居はどうなんだろう、みたいな感じになって、一学年1作品になったんですね。つまり(9作品だったのが)3作品になった。中学2年の時に演出をやった彼女が次は脚本を書いて。その時、あ、私、(俳優として)出てたわ! まだ(俳優を)やっていましたね。

西堂 高校の時はどうですか? 

野木 高校では、演劇部に入ってしまいました。

西堂 じゃあ本格的に演劇に目覚めたのは、高校時代ということですか?

野木 目覚めた……? どうなんでしょう?

西堂 その時は台本を書いていたんですか?

野木 書いていました。

西堂 演出なんかも?

野木 やっていましたね。

西堂 舞台には出ましたか?

野木 出てない……。あ、一回だけ出ました。

西堂 高校時代から演劇にある程度焦点を絞りながら勉強して、大学は当然のごとく劇作コースを目指した、という感じですか?

野木 そう……ですね。外側からは「目指してます!」という感じにしか見えないですけど……。自分の中で、演劇がウォーっと燃え上がるのはなかったんですよね。

西堂 まるで箸を持つようにペンを持って、ご飯をかき込むように原稿用紙に向かい始めたと。

野木 まあ素敵! って感じですけど。でもそうなりますね。何て言ったらいいのかな……。ごにょごにょしちゃってすみません。

西堂 いや、自然でいいですよ。今日打ち合わせで30分話しただけでも、野木さんはすごく自然体で生きてこられた方だなって感じました。周囲の目とかを過度に背負わず、好きなように、あるがままに生きているみたいな感じがしますね。

野木 良いのか悪いのか。

西堂 表現者としてすごく良いんじゃないかと思います。

野木 分かりました。(演劇をやろうと思ったのは)無自覚というか……。