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【Trans-Forum】

「Trans-Forum」とは、AICT/IATC日本センター主催の国際フォーラム。演劇批評とは何か、パンデミックの時代の演劇のために演劇批評に何ができるかを模索する。2、3ヵ月に1度のペースで開催され、国際演劇評論家協会の海外支部に所属するメンバーによる基調講演と、日本センター所属メンバーによるディスカッションを行う。

第2回Trans-Forumは、2022年2月23日(水)に、中国中央戯劇学院准教授の朱凝氏をお招きし、中国の演劇批評について基調公演を行っていただいた。

日本側ディスカッサントとして田中伸子氏、森山直人氏をお招きした。

 

【第2回】

1990年代における文化的断絶の後の継続性 ―中国現代演劇批評の観測

朱凝(ZHU NING)/中国中央戯劇学院准教授

朱凝(ZHU NING)

朱氏による基調講演の概要:

 21世紀に入りパンデミックが起こるまでの20年間、中国の演劇は楽観的な発展を享受し、演劇批評は思いがけず活発になった。その前の20年と比較すると、現在の演劇批評の状況にはいくつかの新しい現象が見られる。批評家たちはもはや小さなサークルには分けられておらず、演劇批評は、かつてそうであったような小さなアカデミックな世界には限定されていない。演劇批評はより一層多くの読者を惹きつけるようになっている。読者の多くは、作家でさえ、演劇の実践者ではない。演劇批評が興隆した2008年前後よりも以前、演劇批評がどん底だった1990年代にあった文化の裂け目を、我々は無視することはできない。この中国における演劇批評の新たな現象はどのように理解できるだろうか。1990年代の文化の裂け目とパンデミック以前の繁栄の関連は何だろうか。

 朱氏は、1980年代以降の中国の演劇表現とその批評のあり方を、社会的・経済的・政治的激動と関連づけて論じる。1980年代には存在していたイデオロギーや集団意識は、1990年代の市場開放と経済発展によって失われ、自由経済に対する信頼と、それに対する不信と疑惑が現れる。2000年に発表された黄紀蘇、張広天、沈林『チェ・ゲバラ』では、自由経済における抑圧と搾取が痛烈に批判され、イデオロギーの分裂論争が勃発する。しかし1990年代は、中国の文化芸術におけるポストモダニズムの時代であるとも言われる。中国における近代化とポスト近代化を、朱氏は「政治化の議論」「演劇美学をめぐる議論」「演劇批評の内輪のサークルと職業的限界の崩壊」という三つの視点から論じる。

 1990年代から2000年代にかけての急激な経済成長と社会構造の変化は、演劇批評に脱政治化の傾向を生み出したが、2010年代から再び、演劇批評は政治化への転換を経験する。それは、政治・経済の混乱を経た社会意識の変容を反映するものでもある。2000年代半ばから2010年代前半の時期には、国家的演劇機関が多数の国際演劇祭を開催し、他国の演劇作品が継続的に招聘されるようになる。この時期は中国の演劇のおける「第二の西洋的潮流」の時期と呼ばれている。それは「ポストドラマ演劇」に代表される、演劇美学についての新たな概念の流入と、ドラマ、劇場、演劇性といった多様な側面についての激しい議論が呼び起こされた時期でもある。そして2010年代以降、インターネット上で匿名の批評家による新たな批評メディアが次々と現れる。インターネット上の批評の即応性と多様性は、同質のサークルに閉じこもりがちだった従来の演劇批評メディアのあり方を大きく変化させ、国家機関に支配され得ない自由な言論の場を確保しようと試みている。

 朱氏は、近年の文化芸術の様々な分断と対立を、経済成長と社会の変化に伴う必然的なプロセスと見る。それは、道教的陰陽のシンボルのような、連続と分裂を同時に含む、中国文化の基本的な性質である。