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【Trans-Forum】

「Trans-Forum」とは、AICT/IATC日本センター主催の国際フォーラム。演劇批評とは何か、パンデミックの時代の演劇のために演劇批評に何ができるかを模索する。2、3ヶ月に1度のペースで開催され、国際演劇評論家協会の海外支部に所属するメンバーによる基調講演と、日本センター所属メンバーによるディスカッションを行う。

2021年11月23日(火)に開催した第1回では、イリノイ大学演劇学科教授のジェフリー・エリック・ジェンキンス氏をお招きし、アメリカ合衆国における演劇批評について基調公演を行っていただいた。

ディスカッサントにはエグリントンみか氏(神戸市外国語大学外国語学部教授)、日比野啓氏(成蹊大学文学部教授)。

以下は、その際に会員に配布された概要を掲載する。(内容は後日掲載予定)

 

【第1回】

パンドラの箱を燃やす――トランプ時代以降の演劇批評

ジェフリー・エリック・ジェンキンス(JEFFREY ERIC JENKINS)/イリノイ大学、演劇学科教授
ジェフリー・エリック・ジェンキンス

 古代ギリシャの伝説によれば、「神々」はパンドラに飽くなき好奇心という祝福(または呪い)として、決して開けてはいけない箱を与えたという。神々は確かに劇的な緊張を生み出すすべを知っていたと言えるだろう。箱の中にあったもの、それは後に人類を苦しめることになる、あらゆる感情的および肉体的な呪いの源だった。パンドラが好奇心を抑えきれず、箱の内部を覗いてしまうと、中に入っていた貧困、戦争、病気、暴虐といった社会悪のすべてが蓋を閉める前に氾濫してしまった。そして箱の中にただひとつ残ったもの、それが希望だ。希望をポジティブな可能性として解釈する人もいれば、永遠に閉じ込められていると悲観的に考える人もいる。私たちは困難で複雑な時期に直面し、難しい決定を必要とするときにいつでも、前に進もうとするときに自分たちを悩ませることになる苦難に満ちた「パンドラの箱」を開けてもよいのかと考えるのである。

  2016年のアメリカ合州国大統領選、それはパンドラの箱を開けてしまい、人種差別、他者への憎悪、世界を覆う疫病といった悪があふれ出しただけでなく、箱を炎上させて、灰にしてしまった。 怒りと憎しみが公共空間を埋め尽くし、それは政治的立場の違いを超えて共鳴するようになった。その結果、何十年にもわたって米国の「礼儀正しい社会」の表面下で煮えたぎっていた力によって解き放たれた混乱に直面した演劇と演劇批評は、厳しい審判にさらされている。こうした困難は、20年に亘るインターネット・メディアの爆発的な成長の余波でもある。文化や芸術をめぐる報道は、広告収入のインターネットソースへのシフトによって引き起こされた財政難と、「読者」がオンラインコンテンツの「視聴者」になったために有料の購読者が少なくなったことで、メディアが文化関係の報道から撤退し、芸術に関わる報道は大幅に縮小されることになった。その多くは「無料」だが、実のところ膨大な費用と損失をもたらす。収益の減少、スペースの縮小、読者の消失によってもたらされる課題に加えて、政治的言説のあらゆる局面において憤怒が冷静な議論を封殺してしまうようになったからである。

 2008年、アメリカ合州国史上初めて黒人としてバラク・オバマが大統領に選ばれたこと、それは、どのような理由にせよ黒人が率いる「自分たちの」国家を想像することができない白人たちの激しい欲求不満に溢れた「白人反動ホワイトラッシュ」を生み出した。 2016年、ホワイトラッシュは政治運動のなかで噴出し、ドナルド・トランプ大統領を選出する。トランプは自身の「ブランド」を構築するために、人種、宗教、民族を互いに対立させた。トランプはたしかに 2020年の選挙では敗北したけれども、私たちはいまだに「トランプ後の時代」にはいない。「トランプ後の時代」――これは私がパンドラの箱の中にあった「希望」にすがって名付けたタイトルだが、いまやパンドラの箱が燃え尽きたことで、比喩的に言って、私たちには、前進すべき明確な方向がない。しかし、私たちが創造するべき新しい世界、地球全体が人種的緊張を伴うパンデミックの真只中にありながら創り出している世界のなかで、人間の経験のすべてを探求し理解する方法を見つけた場合にのみ私たちには成功の術がある、そのことを教えてくれるのもパンドラの箱が燃え尽きたという事実である。思想家として批評家として、私たちはアーティストと観客の間に架け橋を築くために最善を尽くさなければならない。これこそが、今日の「Trans-Forum」のような優れた試みを通じて、そして私たちのグローバルな文化の交流によって行われるべきことに他ならない。私たちがもはや神話の箱に隠れている「希望」に頼ることができないのであれば、その仕事をするのは私たち自身しかいないからである。