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■転機となった『三億円事件』

西堂 それで、2007年には大体30作品くらい上演をしていて、かれこれ10年のキャリアですね。

野木 98年が最初(の公演)だったので、九年近くですね。

西堂  この頃(2007年頃)からメンバーは大体固定し始めたんですか?

野木  ……そうでもないです。でも、段々と似たようなメンバーにはなってきたかな。

西堂  実は今日、僕はカレンダーを持ってきたんですね……(手にはパラドックス定数の俳優が登場するカレンダー)。去年の年末にパラドックス定数を観に行ったら、制作の方からぜひもらって下さいと言われ、今日のためにこれ(カレンダー)もらったのかなと思います。(カレンダーに掲載されている写真が)なかなか良い写真なんですよ。

野木  写真、ものすごく良いです。

西堂  渡辺竜太さん(カメラマン)、これ見て僕気づいたんですが、男ばっかりじゃないかと。そう考えてみると、野木さんの芝居って、男の声しか記憶に残ってないなと思いました。それはもう、男芝居をやるって決めてたんですか?

野木  決めてはないです。2002年の『三億円事件』の初演から、(出演者が)ほぼ男性になりました。

西堂  そういう踏み切り方には何か理由が?

野木  そうですね……。お芝居をやめるとは思わなかったんですけど、2002年の『三億円事件』の前に、青山のシナリオセンターに行ってみようかなって考えて。

西堂  本当?

野木  資料を取り寄せるところまで行ったんですけど、「もし本当にこっちに行く決断をしたら、パラドックス定数は出来なくなるかな? いや、それは嫌だな」と思いながら、じゃあやりたいことをやろうと思ってやったのが『三億円事件』なんです。それで、(『三億円事件』は)刑事たちの話なので、当時女性は向いてなかった。

西堂  そういう事情が。

野木  はい。男性だけでガン!と……。

西堂  シナリオセンターに行くってことは、要するに脚本家を目指そうか、なんてチラッと思ったんですか。

野木  そうですね、思ったんでしょうね。

西堂  脚本って言ってもテレビの脚本を書きたいと?

野木  はい。

西堂  何でまた?

野木  何でだったのかな……。大学時代の先生が役に立たなかったわけではまったくないんですけども、「シナリオセンター」とか、そういう名前の付いたものに惹かれてしまったのかな。行ってみようかな、行かなきゃダメなんじゃないか、と一回グラッとなりましたね。

西堂  それで、『三億円事件』を2002年に(野木さんが)やられて、2016年に和田憲明さんによって、(『三億円事件』が)プロデュース公演された。それが話題になったんですね。ご存知ですか?

野木  (和田憲明氏のプロデュース公演を)見ました。

西堂  話題になったことは(ご存知ですか)?

野木  わ、話題……。ありがとうございます。

西堂  これで読売演劇大賞の優秀作品賞を受賞されたのはご存知ですよね。

野木  はい。

西堂  ですから、再演と言っていいのかリメイクと言っていいのか分からないですけど、2002年に書かれたものが十何年後にもう一回(和田憲明氏のプロデュース公演で)世に出た形で。それまでに一回くらい(ご自身で)再演はされてたんですか?

野木  劇団で2008年にやりました。

西堂  その2008年版を元にして……。

野木  そうですね、2008年版を和田憲明さんがやって下さった。(内容は)ほぼ一緒です。

西堂  どういう経緯で(和田憲明氏のプロデュース公演として)上演されることになったんですか?

野木  プロデューサーって言っていいのかな……。ウォーキングスタッフ・プロデュースの石井久美子さんから、『三億円事件』やらせてください、と言われて。なぜか分からないけど、彼女は最初2002年バージョンをやりたいと言ってくださって。ただ、2002年バージョンは若くて、もう恥ずかしくって。2008年バージョンがあるから、頼むからそっちにしてくれって頼み込んで、2008年バージョンにしてもらいました。

西堂  じゃあこの第一バージョン(2002年版)より第二バージョン(2008年版)はかなりの書き加えが?

野木  そうですね、登場人物の数も違いますし。かなり違うと思います。でも大筋は一緒。

西堂  それがこんな感じで(プロデュース公演として)世に出るって、びっくりされましたか? そうでもない?

野木  そう……。

西堂  当然だ、みたいな?

野木  わぁ、『三億円事件』だ! みたいな。

西堂  まるで他人の作品を観るかのように。

野木  (自分で)『三億円事件』の戯曲を書きましたから、他人の作品って感じはしなかったんですけど。

西堂  (『三億円事件』を)上演された劇場はどこでしたか?

野木  パラドックス定数で上演したのは、東演パラータと、下北沢OFF・OFFシアターですね。

西堂  ウォーキングスタッフが上演したのは……。

野木  シアター711。

西堂  あぁやっぱりあそこか。本当に狭いところですよね、ザ・スズナリの横にある……。

野木  そうです。

西堂  『怪人21面相』(2006年初演)も(上演したのは)確かあそこですよね?

野木  ウォーキング・スタッフさんはシアター711でやってらっしゃいました。

西堂  本当に小さなところでこの二本の作品は評判になったと思うんですけれども。この『怪人21面相』は初演から改作されているんですか?

野木  してます。

西堂  どれくらい……。

野木  大筋は同じなので。私は本当に一ページ目から書き直すんですよ。なので、全部書き直しました。って言っているんですけど、もしかしたらご覧になってくれたお客様からしたら、何も変わってないじゃん!って思われるかもしれません。そんな感じです。

西堂  なるほど。それで、2016、17、18年くらいから、世間的に野木さんのお名前がすごく知られるようになったんですよ。

野木  はぁ……。

西堂  僕もその頃に(野木さんのお名前を)聞いたんですよ。そしたら2018年にシアター風姿花伝で、プロミシングカンパニーに選ばれて、1年間で7作品を上演された。僕はそのうち、5作品くらい観たと思うんですが。

野木  ありがとうございます。

西堂  企画自体がレトロスペクティブ(回顧上演)なんで、2003年以降に書かれたものです。2003年っていうと、野木さんが25歳くらい?

野木  そうですね。

西堂  (野木さんが)20代半ばでこんなすごい作品書いてたんだと思って、びっくりしたんですよ。

野木  嬉しかったり……。でもすみません、やっぱり書き直してるのでそうとも言えないところもある……。

西堂  書き直されたにしても、原型はすでに書かれていて。

野木  はい、原型は書いてます。

西堂  逆に言うと、なんでこういう作品を書かれたにもかかわらず、(2016~18年まで)話題になってこなかったのかっていうのが、僕は非常に不思議でした。なぜ口コミで広がらなかったのかなって。

野木  必要とされてなかったんじゃないですかね。

西堂  それは……野木さんが? それとも演劇自体が?

野木  そういう演劇(私が書く演劇)が。

西堂  時代に合ってなかった?

野木  合ってないというか、必要としない人は必要としないでしょうし……。

西堂  (観劇してくれる)300人ほどの人って、まだレアな人たちなんですね。でも500人に支持されれれば演劇界ではそれなりのレゾンデートル(存在理由)があるわけです。その500人にも当たらなかったって感じだったんですか?

野木  当時下手っぴだったんだと思います。

西堂  そうですか。それは俳優とかも含めて?

野木  演出も含めて、公演として。

西堂  台本自体は残っていて、それを一から書き直されたとしても、2018年には完全にブラッシュアップされて、洗練を加えられたということですね。

野木  まぁ恥ずかしい。そうですね、過去に書いたものを読んで恥ずかしいなと思って、書き直しはしました。

 

■馬がしゃべる 

西堂  このシアター風姿花伝で上演された七作品の中でも、『トロンプ・ルイユ』(2011年初演)なんて作品は、(観劇して)すごくびっくりしました。馬がしゃべる。なんでこんなこと思いつくんだろうかと。これはだまし絵っていうタイトル(トロンプ・ルイユはフランス語でだまし絵の意)ですね?  この作品は初演当時、「なんだこれは?」って言われたんですか?

野木  『トロンプ・ルイユ』の初演は2011年で、比較的あとです。『三億円事件』や『怪人21面相』など、歴史的事実を題材にした舞台がお好きだったお客様はかんかんでしたね。

西堂  野木さんですらレッテルが貼られてたんですか?

野木  レッテル?

西堂  「歴史物や事件物の旗手」みたいな。

野木  (そういったレッテルは)貼られてはいないと思います。

西堂  でもすでに『東京裁判』(2007年初演)や『731』(2003年初演)とか、結構シビアな歴史的題材を扱っていますよね。

野木  そうですね。

西堂  これらの作品も僕はレトロスペクティブで観たんですけれども、すでにこういった作品を野木さんは2000年代初頭に書かれていた。それが2018年に再上演した時、逆にタイムリーだった気もするんですよ。そういうもの(事件物)が評価される時代がまた来た……。そんな時流と、野木さんの回顧作品が出会ってしまったんでしょうか?

野木  ごめんなさい、ぴんと来ない……。

西堂  2011年に東日本大震災があって、その後野木さんたちの世代の劇作家が、わりと社会的な素材を使って作品を書き始めた。そういう作品が評価される時代に来ていて、その中で野木さんの作品も、そういう潮流の中の一つとして評価されたんじゃないか。

野木  ほう。

西堂  七三一部隊(を題材にした作品)って野田秀樹さんもやっているし(『エッグ』)、古川健さんもやっている(『遺産』)。一緒のタイミングで『731』が再演されています。そういう流れの中で、野木さんのポジションも、社会的な演劇をやっている人なんだ、という見方がついてきた。

野木  恥ずかしい。逃げたいですね。

西堂  成功するっていうのは誤解が大事なんで、良いと思うんですよ。僕が「綺想」って言葉を思いついたのは、『トロンプ・ルイユ』だったんですけども、そういったノンセンスな設定の系譜のものと、歴史的な史実を扱ったものとが、野木さんの中に共存しているというのが非常に面白いことだなと思って。なんで両方をやれていたのかなって。

野木  ん……?

西堂  野木さんの中では同じ文脈だったんですか?

野木  はい。

西堂  ……そこら辺をもうちょっと聞いていきたいな。

野木  『トロンプ・ルイユ』ですよね。

西堂  馬と対話するとかね。

野木  あぁ! 思い出してきました。『トロンプ・ルイユ』の初演が2011年の8月だったんですね。それで、3月に震災があったじゃないですか。その震災の真っ最中に公演をやってたっていうのもあって、私がその時期、相当へばってました。震災だけが理由じゃないんですけれども。さすがに休みたいな、1年に3本(公演するのは)ちょっと無理だ、と思いました。でも休めなかったんですよ。それで本当に、お芝居、演劇、劇団、やだやだって状態になってしまって。ただ、ここまで嫌なのになんで劇場が押さえられているんだ? という気持ちもありまして……。あぁでも恥ずかしいな。私、お芝居を創る時にね、題材とか、史実を元にして書く時ももちろんそうなんですけど、俳優さん、スタッフさんへのリスペクトがあるんですよ。言葉にすると安っぽくて恥ずかしいんですけど。この人に私の表現を任せたいなとか、一緒にやりたいなとか、この人に照明を作ってほしいなとか、この題材で当時この人たちはどんなことを考えてたんだろう、知りたいなぁとか。そういうリスペクトがあったんですけど、一切それを持てなくなったんですね。で、これはさすがにまずい、どうしようってなった時に、もうすがる思いだったのが競馬。私、競馬が大好きで。今でもまだ好きなんです。

西堂 ああ、そうなんですか。

野木 はい、本当に好きで。馬に関わる人、競馬に関わっている人、走っている馬ならいける。もう本当、命綱ですよ、それが。余計なことかもしれないんですけど、役者とか人間とか(執筆中は)一切見てなかったです。もうずっと馬のことを考えていました。

西堂 それが馬と対話している劇に繋がっているわけですね。

野木 はい。

西堂 じゃあ馬に託したものって、相当大きかったんですね。

野木 託す……とか考えてなかったです。もう私がしがみついていた感じですね。

西堂 現実とか世間とか世界とか全部含めて、馬一頭に集約されてたっていう感じですか?

野木 その意識はなかったですね。自分が掴んでいた感じ。

西堂 その手綱が世間との唯一の紐帯のような感じになっていたわけですね。

野木 世間?

西堂 現実とか、自分と外のものとを繋ぎ止めるってこと。その馬っていうのが単に思いつたという以上に、もっと自分の深い根っこと繋がっていたということですか。

野木 どうなんだろう? 普通に馬が好きっていう、それだけなんですけど。

西堂 うん、でもその好きっていう時、自分の実人生みたいなものが最終的に出てきますよね。すべて信じられなくなったという心境は、2011年の震災とかと、どこか関係あるんですか?

野木 ないと思います。

西堂 では自分の個人史の中でのスランプ?

野木 そうですね。

西堂 そうやって2010年代を過ごしてこられて、ある意味、野木さんの評価自体が押しも押されもしなくなっている。

野木 それはないです。

西堂 いやそれは自分で評価するものじゃなくて他人が評価するものだから(笑)。こうやって話をしてきて、劇作家・演出家としての野木萌葱さんの個人史が、演劇の歴史の中でのいろいろなものと重なり合っているような気もしました。このあとは創作のお話をお伺いしようと思います。前半はここで終わります。