【思考の種まき講座】綺想を紡ぐ――野木萌葱トーク
■少ない客にもめげず
西堂 それで、無事に4年で大学を卒業されましたか?
野木 はい。ちゃんと4年で卒業できました。
西堂 その後、就職とかは少し考えられたんですか?
野木 まったく考えなかったです。
西堂 なぜかっていうのを聞いてもいいですか……。
野木 なぜか? なぜ考えなかったか?
西堂 野木さんの頃って、いわゆる就職氷河期ですよね。
野木 ……。今、私が黙り込んだのは、「就職氷河期ですよね」に対して「そうなんですか?」って返そうとしたけど……それ(就職氷河期)すらも分からないんです。
西堂 一般的に言うとそうなんですよ。例えば、瀬戸山美咲さんと同じ年なのだけれども、彼女も卒業した時に就職氷河期だから就職しなくていいってどうも親が言ってくれたみたいでね。それで演劇を続けられたと。(就職が候補から外れたので)演劇を続ける他に選択肢がなかったんですね。だけど、野木さんの場合はもう最初から就職という二文字がなかったんですか?
野木 なかったです。
西堂 で、ここで「何でですか?」って聞くと俗物になりますよね。
野木 西堂さんが?
西堂 はい、僕が俗物になります。
野木 (就職ではなく)次何やろうかなって考えていましたね。
西堂 うん。生活については考えない?
野木 いや、アルバイトはガンガンやって、両親にちょっとだけど……。
西堂 家にお金を入れていた?
野木 微々たるものですけど、はい。
西堂 もらっているわけじゃなく?
野木 もらいはしなかったですね。
西堂 そして仲間たちっていうのは、ある程度固定メンバーで始めていくわけですか?
野木 いや、そうでもなかった。
西堂 流動的?
野木 流動的でしたね。でも結構出てくれる人たちが現れはじめました。
西堂 そうすると、ある程度自分の言葉を託せる俳優が一応いたという感じですか?
野木 いました。
西堂 じゃあそういう人とユニットを組めた。
野木 そうです。
西堂 実際に毎回毎回メンバーが変わっていくという状況で続けていかれて、不具合はなかったですか?
野木 なかったですね。
西堂 その頃は、どこの劇場でやられていたんですか?
野木 今はない江古田ストアハウス、高田馬場のプロト・シアター、南阿佐ヶ谷のアールヴィゴ。さあ、知らないでしょう(笑)。
西堂 いや、僕はよく知ってますけど(笑)。江古田のストアハウスは日藝の旗揚げの定番ですよね。
野木 そうです。
西堂 あそこでやられたのか。僕もよく出入りしていました。プロト・シアターは、亡くなられた大橋宏さんの劇団DA・Mが拠点にしていましたね。たぶん東京で一番安い。
野木 そうです。安かったです。
西堂 阿佐ヶ谷も結構安そうだね。
野木 はい(笑)。
西堂 あとはどんなところで(やられましたか)?
野木 阿佐ヶ谷でもう一つやったんですけど、忘れちゃったな。あとは東演パラータでやりましたね。
西堂 本当に絵に描いたような小劇団として出発されているんですね。
野木 そうですね。
西堂 お客の動員はその頃ってどれくらいだったんでしょうか?
野木 100人、200人。
西堂 100人、200人? どうでしょうか。100人の客で続けるって結構……。言葉が詰まっちゃっているんですけど。なかなか大変じゃないですか? っていう風に言うと、僕が常識人になってしまいますね。小集団でも、普通にチケットを手売りで売れば、最低でも300人くらいは入るんじゃないかな。
野木 そうなんですか?
西堂 じゃないですか?
野木 うん、そうだよな(笑)。
西堂 でも、当然のことながら100人でもそんなにめげずにやってたわけですよね。
野木 はい。
西堂 百人もいれば十分と?
野木 十分……。赤字だらけでしたのでもちろんお客さんが増えたら嬉しいなとか思ってましたけど、とくに何かをすることはなかったかな……。ほかの公演を観に行ってチラシがたくさん折り込まれているのを手にすることもあると思うんですが、ああいうのに行ったりとか、劇場さんにポスター貼ったり、チラシ置かせてもらったりとかやってましたけど。特別何かお客様を増やすためにやっていたことはないので、今から思えばそんなにお客様を増やすことに躍起になってはいなかったのかもしれません……。ごめんなさいね、お客様の前で。
西堂 評判が少し出たりして客が少しずつ増えていくことが励みになって、劇団員もなんとか続けていけるんじゃないかと思うんだけども、あまりそういうことも考えずに、ただ創りたいというだけで(創っていたんですか)?
野木 そうですね。
西堂 そういう状況が何年くらい続いたんですか? ユニットから劇団に変えるのが2007年くらいですよね。
野木 そうなんです。
西堂 そこまではだいたい100人、150人~2000人くらい?
野木 そうですね。劇団になる直前の公演でやっと300人を超えて。あれはほんとに嬉しかったなあ。
西堂 ああ、やっぱり野木さんでも嬉しいんだ。
野木 嬉しい。300人いったぞ。百の位が変わった!
西堂 なるほどね。今の若手劇団だと300人入らなかったらもうやめちゃいますね。
野木 なんで?
西堂 (笑)。すみません。僕が(小劇場を)代弁してるわけじゃないんですけど。
野木 あ、そうなんだ。
西堂 うん。実は、2007年に劇団になる前に、後に大ヒットする『三億円事件』(2002年初演)を書かれているんですね。
野木 はいそうです。
西堂 すでに『三億円事件』を書かれていたのはすごいなと思いますが、それをやっていても客が入っていなかったんですね。
野木 そうですね、あれは(お客様が300人)いかなかったですね。
西堂 評判にもならなかった?
野木 評判? なっていたのかな? 分からないです。インターネットも今よりは全然(普及していません)でしたし。
西堂 でも、あそこ(の劇団)面白いぞとかね、口コミで広がっていったりするのがこういう界隈の動きだと思うんだけど。要するにそういう界隈に、そもそもいなかったってことですか。
野木 そうかもしれませんね。
西堂 独立で漂流してた?
野木 漂流してました。
西堂 じゃあ、仲の良い劇団とか、ライバル劇団も一切なし?
野木 はい。
西堂 独立独歩ですか?
野木 独立独歩するぞ、とも思っていませんでした。またこんな反応になって申し訳ないです。
西堂 いや、いいと思いますよ。あまり世間とか興味なかった?
野木 なかった……。かといって、世間なんてヘン!(と世間を馬鹿にしよう)とも思ってなかったですね(笑)。
西堂 だから、世間に対してアンチを唱えるとかじゃなくてもう否(ノン)ですね。
野木 ひどい表現ですが、目に入っていなかったというか。