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■上演テクストの改訂

嶋田 三好十郎の転向という大問題が出てきました。『斬られの仙太』の物語構造自体が、仙太が農民であることからはじまり、天狗党に加わり、そしてそこから離脱していく過程が描かれています。これは転向問題と言って差し支えないと思います。
 あと先ほど今井さんが指摘してくれた、上演台本をある程度削ってしまっているために見えない部分があるというのは、私も同意見です。場割で言うと第六場「江戸薩摩ッ原の別寮」の場面ですね。長州と薩摩、天狗党の議論が展開する場面です。私はこの場面が、作品の中で非常に浮いていると感じました。本来でしたら天狗党の同時代における位置づけが明らかにされていく場面ですが、ここがどうも足りない。見ていて理解ができませんでした。この場面など今井さんはどう感じましたか?

今井 やはり難しかったですね。作品全体を通じて、幕末維新の歴史的背景の知識が多少なりとも必要だったと思います。
 私自身は、自分が幕末維新の基本的な流れは押さえていると思っています。しかし藩と藩の関係が次々に変化していく時代なので、予備知識無くこの作品を見た場合、混乱してしまいますね。今回の上演で削除した箇所を全て上演すると、丁寧な解説も含まれていたのかもしれません。
 他に、仙太へ気持ちを寄せる芸者お蔦が出てきます。彼女の人物造形がはしょられていて、結局仙太とどういう関係で出会い、好きになって、田舎まで来たのか、仙太に協力するようになったのかがよくわかりません。この点が描かれなかったことは残念でした。

新国立劇場 2020/2021シーズン演劇公演 『斬られの仙太』2021年4月 撮影=宮川舞子、公益財団法人 新国立劇場運営財団
(右から)伊達 暁、陽月 華

小田 天狗党の問題を含んだこの作品は、1年間かけて放映するNHK大河ドラマのような、非常にスケールの大きな物語です。幕末維新の時代の変化を背景に、登場人物も多く、主人公仙太の気持ちも変化していく。様々なものがダイナミックに動くので、休憩を含む4時間20分の上演時間でも飽きることがありませんでした。天狗党のことなどもっと知りたいと思うようになりました。啓蒙的な面もありそうです。
 また先ほど1968年の民藝上演時における上演台本の問題、つまり第十場削除について野田さんの説明を聞いて、私が第九場で作品が終わったような感覚を抱いたのはある意味正しかったんだと思いました。それと同時に、この作品の現代に直結する意味を強く感じました。
 先ほどの役者のキャラの問題ですけれども、今井さんが指摘したように三好十郎の主人公は、かっと燃え上がる熱い心の人が多いですね。台本を読むと、冒頭の第一場では年貢の減免をお上に訴えた兄の助命をしようとしますが、署名運動に挫折し、その悔しさから渡世人になって荒稼ぎをする。ところが金をためて故郷に戻る途中で「ええじゃないか」の騒動に遭うと、せっかくためたお金をお妙にあげてしまい、賭場のあげ銭を奪ってしまいます。激情に駆られてつぎつぎと突発的行動を繰り返すような直情的で荒々しい人物として私は仙太をイメージしていたのです。しかし仙太を演じた伊達暁は全然そのイメージと合致しませんでした。一体これはどういう演出の意図があるのだろうと思いながら見ているうちに、もしかしたら仙太はずっと迷い続けていて、何か決めているようで、実はその場その場で流されて生きていくといった、三好十郎の多くのキャラクターとは少し違う形で造形したのかもしれないと考えるようになりました。

嶋田 伊達暁はとても声が良い役者ですよね。とつとつと語るセリフ回しに、ごく自然と内面的な感情が表現されています。この点が三好十郎の熱い登場人物とは少々異なるのかもしれません。その静かに語られる内面が、転向とつながっていくあたりが演出のねらいだったのかもしれません。
 役者、演出、三好十郎の転向と、話は多岐にわたりました。新国立劇場公演では、今後も『反応工程』(作=宮本研、演出=千葉哲也)などフルオーディション公演がつづきます。大いに期待したいと思います。

※敬称略

(2021年5月9日@Zoomにて収録)