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■能による独自の活動

岡本 先程の西堂さんの質問に少しお答えすれば、僕が演劇活動を開始した初期の頃は、能の具体的、実践的な現代化の作業に関してはアングラ・小劇場の人たちからは、ほとんど影響を受けていないと思います。僕は当時すでに観世寿夫さんの能と出会っていて、能の演技や身体性を現代に開き、活かせないかと探り始めていましたので、アングラ・小劇場の歌舞伎への視座と深部で問題意識を共有しながらも、独自に能を対象化する実践と理論の作業に取り組む必要性が出てきたんだと思います。他には観世寿夫さんを中心とした冥の会の活動がありましたけれど、現代演劇の中ではかなり独自な活動だったと思います。
 反対に1974年に上演した『須磨の女ともだちへ』は、僕の演劇界へのデビュー作となったものですが、アングラ・小劇場の世界をはじめ、いろんな人たちに刺激や影響を与えることになったようで、反響がありました。鈴木忠志さんからは岩波ホールの『トロイアの女』の前でしたけれど、刺激を受けたと直接聞きました。ほかにも観世寿夫さん、太田省吾さん、高橋康也さん、中村雄二郎さん、坂部恵さん、扇田昭彦さん、吉岡実さんなど、いろんな人たちが来られ、面白く見ていただいたようです。この作品は、詩人那珂太郎さんの詩集『音楽』の言葉を中心にして、多様な言語素材を引用しましたが、能『松風』が全体の構成の大きな枠組みとなりました。そして能の演技、身体性を捉え返すことで、冒頭では、深い意識の集中の中、沈黙の緊張感のある数分間の超スローモーションの歩行の演技が行われたり、コロス劇の新たなあり方や能と狂言の並立の試みなどが探られたりしました。当時、誰もこんな作業、試みは行っていなかったので、評判になったんだと思います。
 『須磨の女ともだちへ』の戯曲が、その時演劇雑誌の『新劇』に掲載されて、井上ひさしさんと木下順二さんから葉書が来ました。お二人とも舞台はご覧になれなかったようでしたが、面白く、興味深く読んだと書いてありまして、励みになりました。いろんな領域の人に刺激や手掛かりになったようでしたね。

西堂 アングラのちょっと上の世代たちというのは、歌舞伎を現代に活かす、あるいは歌舞伎の精神を大事にして活動していた……。

岡本 そうだったと思いますね。当時、白石加代子さんは「狂気女優」とか言われていましたが、歌舞伎研究の第一人者の郡司正勝さんは、『劇的なるものをめぐってⅡ』の白石さんの迫真の演技を、歌舞伎の原点、原初的な形態だとおっしゃっていたと思います。僕も確かにそう思い、感銘を受けました。

西堂 歌舞伎を現代に活かすっていう人たちは本当にいろいろいたと思う。

岡本 ええ、南北を中心に様々に面白い試みがあり刺激になった。でも能に関しては、アングラ・小劇場ではほとんど取り組まれてはいなかったと思います。

西堂 そういう視点が実はなかったということが、今あらためてわかりました。

岡本 だから、あまり参考になるものがなくて大変でしたけれど、同時に囚われずに思い切っていろいろと挑戦できたと思います。

西堂 岡本さんのある意味で非常にユニークなポジションは、能というところにまず足を着けて活動するところから始められた。

岡本 あとは舞踏ですよね。これも大きかったと思います。天使館にいた時に、大野一雄さんが稽古をつけに来て下さったことがあり、そのレッスンが刺激的でいろいろと手掛りをもらいましたね。その少し後に天使館の『丘の麓』という公演に大野さんが客演され、僕も参加していましたので同じ舞台に立つことがあったんですが、大野さんの即興舞踏が本当に自由で衝撃的で感銘を受けたことを覚えています。女装した大野さんが、ヴィーナスの役でしたが甕を持って華麗に踊られるんですね。そしてある瞬間その甕をわっと逆さまにする。するとそこからどじょうが一杯とび出て、舞台上をはねまわっているんですよ。そのどじょうと一緒に大野さんが楽しそうに踊っていた。大野さんであり、ヴィーナスであり、どじょうでもある不思議なものが、なんか自在な生命がそこでぴちぴちとはねていて、揺さぶられ感銘を受けたことを覚えています。
 当時、批評家や演劇ジャーナリストの人に良く聞かれたのは、僕の作業が演劇なのか、舞踏なのか、能なのかってことでしたね(笑)。いつも聞かれた。それまでになかったもので、どうも名指しづらかったんでしょうね。現在、僕はゼロ地点といっていますが、単に技芸の寄せ集めではなく、各ジャンルの枠組みを一度離れた形で、新たな表現、身体性のあり方を探りたかった。僕はその頃から、「現代の能を創りたいんだ」と批評家の人たちにいってましたけど、そういう試み、形で現代演劇の可能性を拡げ、探りたいと思っていたことは確かですね。

西堂 別に戦略でやったわけではなくて、観世寿夫さんや舞踏なんかとの出会いから一直線でそこに導かれたんですね。那珂太郎の詩もそうですが、当時の現代詩っていうのは、言葉を削り落としていくということがある。それは引き算ですね。演劇でも、引き算の問題が出てくる。グロトフスキーもそういう演劇論を掲げて、彼は東洋の演劇に非常に造詣が深かったから、いろいろな要素をそぎ落としていった。それは能にしても同じような作業をしている。案外そこの視点というのは同時代では岡本さん以外にはそれほど意識されていなかったのかなぁ。

岡本 それはどうなんでしょうかね。確かに能も引き算の演劇ですから、グロトフスキーの『実験演劇論』には共感するところがあり、興味深く読みました。あの本からは、いろんな人が刺激や影響を受けたと思いますね。
 先程学生劇団に入っていた話をしましたが、そこで70年に別役実さんの『カンガルー』を演出しました。僕にとって、能と現代演劇の関係を探る最初の試みでしたけれど、作品のテーマ、世界をより鮮明に浮かび上らせるために、戯曲を再構成し、各場面ごとに異なった演出、演技の方法を試みました。ト書き通りの場面もありましたが、ある場面で別役さんの言葉をより深く身体化するために工夫をしまして、舞台で俳優を四つん這いにしたり、正面を向いたまま動かずに語らせたりと、日常的な動きや再現をやめてもらいました。そして緊張感のある台詞の遣り取りのみで関係性のリアリティを探ってもらったんですけれど、やはり戸惑いや反発が俳優からありましたね。別に奇を衒ったわけではなく、日常的な動作、意識を封じることで、深い集中のレベル、身体に戻っていく。ここで能の型ではなく、能の演技の捉え返し、集中のエッセンスを活かしたかったんですよね。まさに引き算の演技。
 当時は、リアリズムか、激しくワーッとやるのが演劇だとみんな思っているわけだから、大変でしたね。でもあまり無理強いするのではなくて、その度に丁寧に能や演技の問題について話をしました。その頃は時代状況もあり、政治的、演劇的に立場が多様で、能といっただけで保守的に見られたりして不愉快なこともありましたけれど、そんな時は、本当に社会の変革を考えるならば、当然日本の文化の構造、芸能なども射程に入れて、きちんと対象化する必要があるんじゃないかと、僕はそう思っていましたのでよく議論しましたね。そこで結構鍛えられたと思います。