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■岡本章の共同作業

岡本 最初にもいいましたように、『「現代能楽集」の挑戦 錬肉工房1971-2017』は、僕の論考とともに、様々なジャンルの論者、表現者の方々の論考やエッセイ、シンポジウム、講演、対談、座談会などが収録されています。それらの方々に改めまして感謝の気持ちを述べさせていただきます。また、巻末の資料集の活動公演年譜、演劇批評集成などをご覧いただきますと分りますように、錬肉工房では創設以来、「現代能楽集」の連作以外にも多数の実験的、根源的な舞台上演、演劇作業を行ってきています。そうした長年の実践活動、共同作業に参加し、お力添えをいただいてきた表現者の皆さんにも御礼申したいと思います。

西堂 なかなかこういう本質的な話を演劇界で語れる人がいなくなったと今改めて思いました。こうした問題の立て方はほとんど誰もできなくなっている。そんな中にあって岡本さんの作業は非常に独自のものがあり、それがいっぱい詰まったものとしてこの本ができたのですね。今亡くなってしまった高橋康也さんや中村雄二郎さんですとか、いろいろな方とのシンポジウム、講演会とかね。

岡本 「現代能楽集」の連作を開始した1989年には、公演とともにシンポジウムを行いました。それまで交流のあった大野一雄さん、那珂太郎さん、観世銕之亟さん、高橋康也さん、渡邊守章さんが出席され、能の本質や能と現代芸術の接点について議論をしましたが、その内容はこの本に収められていて、その後もいろんなテーマで連続講演会を開きましたね。表現者だけでなく、研究者の方々ともジャンルを超えて共有できる大事な問題があったと思います。

西堂 最初に言われた閉塞状況を突き破るというのが、岡本さんはテーマ設定としてあったわけですが、演出家が稽古をするというのは、人の集まる場を設定するということでもありますね。そういった編集者的役割というのが、今、本当にいなくなってしまったと、この本を通じて感じました。

岡本 どこまでできたかわかりませんが、そうした多様なジャンルの人々が問題意識を共有し、議論や作業のできる場をつくりたいと強く思ってきましたね。最初に話にあがった四方田犬彦さんとの対談記事が週刊読書人に載りましたが、その中で四方田さんがこれに関係したことを語っておられますのでご参考までに少し紹介します。

能でも流派があり師匠から弟子に伝わる。ところがエコールのあり方と錬肉工房のあり方は違う気がします。つまりカリスマがいてその弟子がいるかといえば違う。一つの作品を作って、共同で話し合って、練り上げて次へと発展させて作品を完成に持っていくという集団のあり方です。これはもはや運動としか言いようがない。錬肉工房は一つの運動体と考えた方がいい。錬肉工房が45年の中で流派に固まらなかったこと、運動であり続けたことが素晴らしいと思います。

過分なことを言ってくださっている。型や様式化の問題とも絡んできますが、僕は多様なレヴェルで、型や様式化の方向ではない、そうしたゼロ地点での共同作業の場を持続的に作りたいと思ってきたことは確かですね。

西堂 集団性とは個ではたどり着けない共同の作業であり、演劇というのは本来そういうものですね。

岡本 ええ、僕はそう思いますね。

西堂 分業でなく、分断されるのでもなく、それを架橋していくような、そういう作業の集合体だったのではないかなと。

岡本 最初に「ただの現在」という話をしましたが、そうした閉塞状況の中に今いるんじゃないかと。そこに少しでも風穴を開けたいと思ってきました。 60年代後半のアングラの初期はまだ、そういったものがジャンルを超えて横断的にいろいろあったけれども、やはり80年代になると変わりましたよね。

西堂 その代わりその役者がもっている魅力や技芸でプロダクション(作品)を作っていく。共同性ということでいえば、似て非なるものが一つの商品化につながる。

岡本 ポストモダン状況や大衆消費社会の中で、商品化の状況が圧倒的になって、変わってしまったのでしょう。

西堂 商品化とは、わかりやすくて流通しやすいものだけが生き残っていく。そういう時代に変わってきた。そこでもう一回、商品化される手前のところで踏みとどまっている。

岡本 実は1979年頃だったと思うんですけれど、印象的に覚えているのが、渋谷のスクランブル交差点の側のビルの上にある喫茶店で、ふと外を見たら、いろんなものの手触りが、これまでと違ってツルツル、ペラペラとして感じられたんですね。あっ、これはやばいと思って、一つにはそんなこともあって、距離を取ろうと柏にアトリエをつくったんです。高度情報化社会、消費社会のはじまりのころだったんでしょう。商品化の話も来たけれど、のりませんでしたね。柏では状況と緊張関係を持ちながら、公演とともに、演技の集団作業や身体表現のメソッドの探求を一生懸命やりましたね。その積み重ねの中から、89年に「現代能楽集」の連作を始めました。急に思いついたわけではなくて、そうしたプロセスがあったんですね。今日はその一端をお話しました。