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■型と様式

西堂 当時肉体とか、肉体論っていうのが一つのキーワードでした。肉体論っていったときに、わりとエネルギー発散型、何でも人間の肉体でやれるんだというイメージが先行していたような気がするんです。だけど実際には、たとえば肉体論の原基でもある土方巽(正しい表記は「己」が「巳」、以下同様)は、舞踏を《死体》になぞらえているわけです。

岡本 舞踏を創り出した土方巽さんは、唐十郎さんにも強い影響を与えた人ですが、60年代末に、「舞踏とは命がけで突っ立った死体である」という凄い言葉を残していますね。そして70年代になって、舞踏の様式化を押し進めて、あの独特の腰を屈めた蟹股の形を生み出していきます。それ以前の60年代は、前衛美術家たちと共同作業をし、面白いラディカルな活動をしていますね。まさにアヴァンギャルドな開かれた関係の場を現出させるんですが、しかし固定化、形骸化を嫌ってそれも無化、解体して70年代に様式化の方向に舵を切る。土方さんの舞踏の様式は、東北の土俗に回帰しながらも、普遍性を持った画期的なものでしたが、同時にそこには型や様式の持つ困難な課題があると思うんですね。それは土方さんだけの問題ではなく、いろんなジャンルの芸術、表現に共通する、型、様式の二面性とでもいえる重要な課題が存在しているはずです。
 そのことに気付いたのは、やはり能と出会い、長年関わってきたからだと思います。ご存知のように、能は堅固な様式に守られ、型通り行われている印象があります。確かに様式の洗練化が極まで進んだ典型のようなところもあるんですが、同時に最初に問題意識の部分で少し触れましたように、能『道成寺』の乱拍子の段などの自在で充実した「間」などは、能の重要な本質的な構造だと思いますね。シテと囃子方との間の、息をはかりあっての緊張感のある引っ張り合い、メトロノーム的な拍ではない伸縮可能な時間性、そうしたある種の本来的な意味での即興性が常に根底にあるのが、能の大きな魅力の一つです。だからこそ、同じ決まった型や動きでも、演者によって深い感銘を与えるときもあれば、まさに「型通り」演じられ、退屈ななぞりの演技に陥ってしまうこともあるという、両極の事態が浮かび上ってきます。僕は、能の演者の長年にわたる修行とは、ある時期、徹底して型や様式をその身を持って学び、体得するとともに、いつしかその枠を破り、さらにはそこからも離脱して自在に生きるといった、格闘のプロセスがそこに必要とされていたはずだと思いますね。

西堂 型破りという言葉がありますが、ホントに無茶苦茶にやって型を破るのもあれば、いっさい何もやらないことによって型が壊れていく、そういう型破りもある。たぶん能や岡本さんは後者の方で、それが「ゼロ地点」っていうような言い方になっている気がするんですが。

岡本 僕は能の究極の姿、本質は何なのかといったら、それは自由なんだと思いますね。もちろんそれは勝手気儘な恣意的な自由ではない。能は型に縛られ、拘束されているという側面があるわけで、そうした強い規範性、法則性を背負った中での根源的な自由、格闘がそこには存在する。僕が能を観はじめた60年代後半は、観世寿夫さんだけではなく、他にもまだ明治生まれの老名人たちが何人も健在で、時々観に行きましたが、そこには本当に根源的な自由がありましたね。シテとワキと地謡と囃子方とが緊張感の中で息をはかりあって、今ここで、これしかないような自在な「間」で声を出し、動いていく。偶然性の中に必然を探っていく、まさに究極のインプロヴィゼーション。存在と存在の火花が散ってスリリングでしたね。僕は能の本質、魅力は、単に表層的な様式美なんかではなく、こうした根源的な自由だと思っています。
 このような型や様式、そして自由と不自由の根源的な関係性の問題は、この本に収録された僕の論考、「〈形〉について――現代能『水の声』の試み」の中で少し詳しく論じていますが、重要なのは、能の何代にも踏襲されてきた型や様式は、日常的な自己を超えさせて、演者を人間存在の根源の場に下降させ、運び込んでくれる通路の役割を果たしてくれるものだということでしょう。しかし同時に、無自覚に型や様式に寄りかかり、支えにしてしまうと、なんの新鮮さもない惰性化、固定化、形骸化した画一的ななぞりの演技になってしまう。そこに型や様式の問題の持つ面白味とその怖さ、難しさも見えてくるんですが、これは別に能の演者だけの課題ではなくて、他のジャンルの表現者にとってもとても重要だと思いますね。
 現代演劇や現代芸術でも作業を継続していれば、能のような強固な型とまでは行かなくても、その人なりのパターンが形成され、固定化、形骸化が起こってきます。これはある意味で普遍的、本質的な課題で、それが凝縮して能の演技に現れているわけです。幼少より稽古を始め、徹底した習得、研鑽を積むプロセスを持つ能でも形骸化の事態が起こる。だから現代演劇、現代芸術における型や様式化の方向性には、僕はかなり懐疑的なんですね。よほど注意しないと、容易に固定化、形骸化が待ち受けているはずで、そこには絶えずそれを無化していく相当の工夫が必要だと思います。
 先程の土方巽さんの舞踏の様式化の問題に戻れば、確かにあれは画期的な様式でしたが、当然そこにもこうした型、様式の問題が孕まれている。残念ながら土方さんは57歳で亡くなられましたけれど、もしも、存命ならばどのように対応、工夫されたのかと思います。僕の勝手な想像ですけれど、そのまま型や様式を掘り下げる中で工夫されたか、それとも、生涯前衛でラディカルだった土方さんのことだから、固定化、形骸化を嫌って様式性の方向そのものをもう一度無化、解体されることがあったかもしれませんね。

西堂 確かに能から見えてくる型や様式の問題は、いろんな表現、芸術領域にとっても大事な手掛かりになりますね。

岡本 現代演劇でも、例えば鈴木忠志さんの探求されてきた鈴木メソッドの型、様式の問題がありますよね。鈴木さんは、これまでの新劇などの俳優訓練法とは全く違った、下半身、足の動きを重視したユニークな訓練システムを創り出したわけで、これは画期的な試みだったと思います。しかし同時に、ここにも型や様式の二面性、困難な課題が孕まれているはずで、以前扇田昭彦さんが指摘されていたと思いますが、型、様式、訓練システムの統制、拘束が強くなりすぎると、舞台の演技が均質化、画一化してくるんですね。そうした事態が起こってくる。やはり僕なんかも、初期の『劇的なるものをめぐって・Ⅱ』の、あの一回性としての俳優の演技の課題を重視した、ラディカルで自由な舞台空間を知っていますので、よけいにそうした問題、危惧を感じるところがありますね。演技の方法論、アプローチ、展開の仕方は、当然いろいろあって良いわけですが、しかし常に、型や様式、そして自由と不自由の関係性の問題は根底にあるはずで、それは誰にとっても、またどんなジャンルでも免れることなく問われているんじゃないでしょうか。これは大事な課題だと思いますね。
 こうした型、様式の二面性の問題は、実際の能の上演に凝縮して現われていて、残念ながら現在も多くの能の舞台で、なんの新鮮さもない「型通り」の退屈ななぞりの演技が見受けられます。しかしそれでも僕がこれまで能を観続けてきたのは、本当に稀にですけれど、時間、空間が自在に往還し、人間存在の本質が浮かび上ってくる、そうした得難い根源的な自由を体験させてくれる演者、舞台と出会うことがあったからだと思います。
 今もありありと覚えているそういう出会いの一つが、この本の「あとがき」でも少し触れました観世寿夫さんの演じた能『砧』でした。それは、僕が能を観はじめた初期の頃、60年代末でしたが、世阿弥の名作の『砧』の前場で、魂を揺さぶられるような思いがけない出会いがありました。観世寿夫さんが演じた能『砧』のシテの妻は、夫が訴訟のために上京して久しく、一人九州で帰国を待ちわびているのですが、ある時孤閑の悲しみをかみしめながら、夫に恋慕の思いを伝えようと一心に砧を打ちます。そして、そのクライマックスのクセの部分が終わると、都から今年も帰らないという知らせが入るんですね。それで夫がいよいよ心変わりしたものと思って、張りつめていた心の糸が切れて、「さてははやまことに変り果て給ふぞや」と語り、シテの妻は、膝を崩し安座しながらシオリます。その場面を見ていて驚かされたんですね。奇妙なことに、膝を崩したシテ、寿夫さんの体が一瞬すっと床板の下にまで沈み込んでしまったように思われたんです。そして、その膝を崩すわずかな動きによって、直後の妻の死が、地獄での苦しみが先取りして生きられる。同時に存在の根底の虚無が露わになり、さらには森羅万象を容赦なく空無化してしまう非情な時の流れの重みがそこに浮かび上ってきたように思われたんです。これは衝撃的でした。膝を崩すわずかな動き、所作で、時空が自在に往還したり、人間存在の根底の虚無が露呈し、それがこちらに届いてきたんですね。

西堂 そこで能の演技、型や様式の持つ大きな可能性と出会われた。まさに現在の表現ですね。

岡本 ええ、そうなんです。片膝の状態から、それを崩してあぐらのような安座になっただけで、『砧』という能の深奥の世界、その本質が浮かび上ってきて、心揺さぶられました。究極の引き算の演技ですが、同じ所作、型、様式を演じていても、多くの場合「型通り」の退屈な固定化、形骸化した画一的ななぞりの演技に陥ってしまうのですが、一方でこうした根源的な自由が現出し、現在が照らし返されてくる体験が起こるのは、いったいどのような身体の仕組みがあり、また違いがあるのか。それで世阿弥の能楽論の「せぬ隙」とも繋がってくる、このような演技や型、様式のあり方、問題、その工夫、身体技法にとても興味を惹かれたんですね。
 当時、大学の能のサークルに属していましたので、もちろん普段はお稽古で謡や仕舞をやるんです。けれど、それだけではなく、このような問題を探ってみたく、同時に新作の能も創れればと思って、能のサークルの連盟で他大学の学生にも呼びかけて、そうした試みも始めました。新作能といっても、通常の古典の型、様式の枠の中だけではなく、出来れば少しでも新たなテキスト、声や身体のあり方を探りたい、と。その頃アンチ・テアトルとかありましたから、アンチ能と名付けて始めたんですが、学生の能のサークルでは、そこまでみんな問題意識がないんですね。お稽古事で謡、仕舞を習いたいという人たちが中心でしたので、これは無理だと思ってそこでは諦めました。実はそんなころに縁があって、自由舞台のメンバーから一緒にやらないかという誘いがあったので、思い切って参加したという経緯がありました。