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■同時代の表現者たち

西堂 一個一個とっても本当に厖大な問題だし、共同作業一つ取っても、他ジャンルとの共同作業なんて、なかなか出来ない状況でした。60年代70年代の劇団というのは劇団の中に立てこもっていて、他劇団に出演するなんてことも絶対あり得ないような状況にあったわけです。その意味で言うと非常に開明的というか。なんでそんなことが可能だったのでしょう。

岡本 先程も話に出たように、僕は当時から現代演劇、能、舞踏、現代音楽、現代美術、現代詩といったジャンルの垣根にあまりとらわれがなく、並列してあって、いろいろ興味を持って見てましたし、それを自分の演劇の作業の中に積極的に取り込んできました。初めから脱領域的だったと思いますね。
 しかし一方で、演技や身体性の問題を大事に考えていましたので、言葉と身体の関係性を時間をかけて丁寧に問い直しながら、集団としての独自の演技のあり方、演技の集団性の課題をかなり徹底して探求しました。これが実現するには時間がかかりますので、実際に提携公演や直接他ジャンルとの共同作業を行ったのは、80年代になってからでしたね。
 それから、70年前後、現代詩の領域は活性化していて、他ジャンルにも大きな影響を与えていました。錬肉工房の初期のメンバーも現代詩に関心があり、自分で詩を書いている者も多くいました。その時、ラディカルな言葉と身体のあり方が同時に問われ、探られていたと思います。それはうちだけだったかもしれませんけれどね。

西堂 そのころ、同世代の人たちや演劇界でも、いろいろな出会いがあったと思うんですが、そのなかでシンパシーを持った方はいらしたんですか?

岡本 演劇の領域に関して言えば、僕らより上の世代になりますけれど、アングラ・小劇場と呼ばれた人たちの仕事はやはり面白く見ましたし、刺激を受けましたね。ただ、僕はその前に能とか舞踏とかに出会い、惹きつけられていましたので、距離を持って相対化できたところはあったと思います。先程、西堂さんが紹介された平田栄一朗さんのこの本の書評で、僕の活動、仕事を、戦後から70年代にかけて行われてきた、実験工房や武智鉄二、観世寿夫、現代舞踊の刷新などの系譜に位置づけられていた。僕自身は現代演劇では一応第二世代になるんでしょうけど、そうした戦後の大きな実験芸術の歴史の流れの中で見ることもできるのかもしれませんね。

西堂 1971年に鍊肉工房を創設されて、そこからいわゆる小劇場で上演されています。

岡本 六本木の自由劇場、新宿アート・ビレッジ、池袋シアターグリーンなんかで公演しましたね。

西堂 身体性に関しては、いろいろな劇団が重点を置いていたと思うのですが、とりわけ鈴木忠志さんの早稲田小劇場とか太田省吾さんの転形劇場とか実験的あるいは前衛的という括りで言えば、そういう先達もいたと思います。その中で岡本さんのポジションの定め方はどうだったのか。ここは違う、ここはもらえるとか。特に能でいえば太田さんは『小町風伝』のような現代能的な作品を作っている。近接した領域の中でかなり類似の人がいたのではないかと思うのですが。

岡本 まず唐十郎さん。表現の方向性は異なったところもありますが、初めて紅テントを観に行った時は、非常に衝撃がありましたね。「特権的肉体論」とともに、近代劇の枠組みを根底から揺さぶる演劇のあり方が提示されていて、身体性の問題を考えてみる大きな手掛かりになりました。錬肉工房の旗揚げ公演の『聖・女郎花(セイント・おみなえし)』(1971・11)では、こちらで創作したものと、他にいろんな言語素材から引用し、構成しましたが、唐さんの処女作の『24時53分“塔の下”行は竹早町の駄菓子屋の前で待っている』に登場する二人の老人の「なんてじめじめした陽気だろう」という言葉を引用しましたね。僕は詩的演劇言語の可能性について考えていましたので、唐さんのテキストの言葉はシュールレアリスムの影響を受け、時間・空間が自由で刺激的なところがありました。
 鈴木忠志さんや太田省吾さんは、演技や身体性の課題を射程に入れて丁寧に作業が行われていて、深い共感がありました。鈴木さんの仕事では、特に『劇的なるものをめぐって・Ⅱ』がインパクトありましたね。白石加代子さんの集中力のある迫真の演技を生んだ方法論や共同作業のあり方に興味を持ちました。言葉と身体行動の間にズレを作り、また様々な言語素材を一旦解体し、再構築することで、新たな俳優と言葉の関係性を可能にして、一回性としての俳優の演技の課題の重要性が浮かび上って来て刺激的でした。
 太田省吾さんは、僕が演劇活動を始めた頃は、身体性を持った対話劇を行われていて、能舞台でやった『小町風伝』は素晴らしい仕事でしたが、上演は確か1977年だったと思います。初期の対話劇は真摯な良い仕事でしたが、あまり影響は受けていませんね。それより最初の評論集の『飛翔と懸垂』などの演技論、日常生活を深く見つめながら、そこからの飛翔として演劇行為のあり方の考察は説得力があって大きな手掛かりになりました。60年代後半のアングラ・小劇場の運動では、近代劇批判の一つの重要な視点として、「前近代を否定的媒介にして近代を捉え返す」ということが盛んに言われ、僕も共感しました。
 少し捉え返してみますとアングラ・小劇場にとっての前近代の演劇の中心は、歌舞伎だったと思いますね。鈴木さんも『劇的なるものをめぐって』の頃は、鶴屋南北のテキストを盛んに使っていましたし、太田さんも70年頃は、『桜姫東文章』をやっておられた。唐十郎さんは河原者の復権を唱え、蜷川幸雄さんも『東海道四谷怪談』を上演していますし、その後も歌舞伎のスペクタクル性の手法を現代演劇に上手く活かしてきた。