原田諒の戦略と轟悠のリアリズム――宝塚歌劇団月組公演『チェ・ゲバラ』を考える / 嶋田直哉
2 現代の政治へ――キューバ革命とその後の世界
このように第1幕では革命と恋愛がひとまずは関連付けて語られていたが、この作品の特徴は、第2幕で極端なまでに革命が焦点化されていくという点である。第2幕冒頭、首相となったフィデルと国立銀行総裁となったエルネスト、彼の秘書をしているアレイダ、それぞれの革命後の置かれた状況が描かれる。そののち、新聞記者ハーバート・マシューズ(佳城葵)によって、ソ連の核ミサイル基地建設と、それに対するアメリカのカリブ海の海上封鎖といったキューバ危機の様子がスクリーンを使って簡潔に説明されていく。このような状況説明のあと、キューバの政治にはどのような権力の介入も許さず、常に民衆の側に立つエルネストと、外交関係のバランスを重視するフィデルとの対立が克明に描かれる。この二人の対立は、結局エルネストが全ての役職を捨てキューバを去り、ボリビアへ向かうことで決着を見ることになる。
このような革命後の緊張した国政を描く中で、クライマックスとなるのは、アメリカの経済政策を批判し、キューバ国内の窮状を訴えるエルネストの国連総会での演説だ。歴史的事実をたどれば、これは1964年12月11日ニューヨークの国連総会でのことで、エルネストの演説の中でもとりわけ名演説との誉れが高い。
この場面ではエルネストが一人、舞台に登場する。舞台装置としては演台があるのみで、照明もそこに立つエルネストを当てるだけだ。やがて真の独立と平和を願う力強いナンバーが歌われたあと、演説の末尾「われらは屈しない。われらの声は消えない。祖国か、死か。」が高らかに宣言されるところで、エルネストは天に拳を振り上げる。照明は彼をさらに絞り、やがて暗転する。中低音が力強く響く轟悠の歌唱も相乗的な効果を醸し出し、舞台上ではエルネストを熱く演じる轟悠が強烈かつ圧倒的な存在感を放っている。轟悠が演じるのは情熱的な役柄が多いのだが、ここまでの熱度を放つ演技は近年の作品のなかでも群を抜いている。
そしてこの作品における革命のありかたを考える上で大切なのは、この直後にハバナ郊外ののどかなサトウキビ畑に場面が移る点である。農民たちはサトウキビの収穫をしながら、口々にエルネストの演説について感想を言い合っている。その会話の端々からエルネストは休日になると、収穫を手伝いにこの農場に来ていることがわかってくる。大臣になっても常に民衆とともにいる彼の姿が、農民の会話の中でさり気なく描かれる。この一連の場面は緊張感あふれる演説と、のどかなサトウキビ畑の緩急が絶妙で、観客もリラックスできると同時に、エルネストが国際的な舞台ばかりではなく、絶えず民衆とともにいたことが理解できるという意味においても重要である。
最終的にエルネストは外交問題をめぐってフィデルと対立するが、革命の同志としての精神的なつながりを確認したのち、新たな革命を目指してボリビアへと旅立つ。以後、アンデス山脈のチューロ渓谷での戦闘、イゲル村での収監、そしてエルネストの処刑へと舞台は一気に進んでいく。この一連の場面はかなりの速度をもって展開され、最終的にはエルネストが終生持ち合わせた革命への飽くなき執念が焦点化されていく。そのことが印象的に語られるのはエルネストの銃殺による処刑の場面以後である。
ボリビア政府軍のセルニチ大佐(光月るう、バティスタと2役を兼ねる)が率いる兵士に銃口を向けられ、エルネストは何も持たずに堂々と立つ。震えが止まらないボリビア兵を前に、エルネストは「おまえの前にいるのはただの男だ。」「よくねらえ、怯むな。」と相手を落ち着かせるような口調で、しかし力強く語りかける。轟悠の堂々とした立ち姿が印象的だ。やがて銃声が響き渡り、エルネストはゆっくりと崩れ落ちる。照明は死んだエルネストを当てている。やがて舞台にフィデルが立ち、エルネストからの手紙をキューバ国民の前で読む。その中には子どもを抱いたアレイダもいる。手紙には「祖国か死か」といった国連総会の演説の言葉が用いられ、フィデルとともに歩んだ革命への思いが綴られている。この場面はキューバ危機後、袂を分かつことになっても、二人が成し遂げた革命そのものは永遠であることを告げている。そののち、エルネストは立ち上がり、最後のナンバーを歌う。
俺の志は、果てることなく続く。永遠にいつまでも。
エルネストと背後に設置された階段に照明が当てられている。彼は階段を登り、舞台奥の扉の向こうに去って行く。扉の向こう側に未来を予感させる舞台装置(松井るみ)が秀逸だ。そして舞台上のスクリーンでは以後の世界の出来事、人々の様子が映し出されている。その中には天安門事件(1989)、ベルリンの壁崩壊(1989)の写真もあった。今年(2019年)6月になって起きた逃亡犯条例改正案に反対する香港の大規模なデモが、もしこの中に続いて映し出されても全く違和感がなかっただろう。思えばアメリカとキューバとの国交回復はオバマ政権下の2015年7月、フィデル・カストロの死は2016年11月。まだまだ最近の話である。この作品が打ち出すテーマは、それほどまでに現代の世界情勢に迫ろうとしている。
もし私たちが空想家のようだといわれるならば、
救いがたい理想主義者だといわれるならば、
できもしないことを考えているといわれるならば、
何千回でも答えよう。
「その通りだ」と。
舞台の最後にスクリーンに投影されたエルネストの名言だ。このメッセージが示すように、この作品は徹底して革命を語ってきた。そしてエルネストの民衆とともにあろうとする意識、そして革命への飽くなき執念が処刑以後の場面には凝縮されている。それゆえ、この作品はわれわれが抱くあの「チェ・ゲバラ」の英雄譚ではなく、「ただの男」が抱いた未来へと続く革命の志そのものを克明に描き出していたことがわかるのだ。