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3 宝塚歌劇団と「ゲリラもの」――『チェ・ゲバラ』成功の三つの要因

 実は『チェ・ゲバラ』以外にも、宝塚歌劇団作品でキューバ革命とキューバ危機が言及された作品がある。小池修一郎『JFK』(1995、雪組)である。『エリザベート』(1996、雪組)で一躍有名になる直前の小池修一郎が手がけた作品だ。ジョンソンとの民主党大統領予備選、ニクソンとのTV討論会を中心とした大統領選、そして大統領就任、ダラスでの暗殺までがケネディ(一路真輝)とジャックリーヌ(花總まり)の恋愛を軸に展開されている。作品中、ケネディがニュー・フロンティア政策を訴えるナンバーのなかで、キューバ革命が歌詞に登場する。そして彼の大統領就任後には、実際にフルシチョフとカストロが舞台に登場し、サトウキビをめぐりキューバがソ連へと接近する様子、さらにはキューバ危機の様子も描かれている。このような場面だけをみてみると『JFK』もかなり政治に踏み込んだ作品のように思える。しかし、この作品で最も印象に残るのはケネディがジャックリーヌにプロポーズをするときに歌う「アポロ」というナンバーである。アポロ計画をモチーフにジャックリーヌへの思いを歌うこのナンバーは作品の幕切れでもう一度ケネディによって歌われる。このことからも分るように、小池修一郎はあくまで二人の恋愛を軸にケネディの生涯を描こうとしている。
 この小池修一郎『JFK』と原田諒『チェ・ゲバラ』を比較してみると、二作品はともに歴史上の政治にまつわる人物の評伝という形式、そして恋愛と政治といった物語構造をとっており、非常に似た作品であるように思える。しかし、小池修一郎は恋愛へ、原田諒は革命へというように作品が最終的に訴えかける主題としては対照的な着地点を見出している。宝塚歌劇団作品のお約束であるトップスターとトップ娘役のロマンチックな恋愛を描くことを守っているのはもちろん小池修一郎の方である。この点から考えてみるに原田諒『チェ・ゲバラ』がエルネストとアレイダ、ルイスとレイナという恋愛の軸を二つも出しておきながら、いずれをも中心に据えることなく、最終的に作品全体を革命に焦点化していったことがいかに冒険的であったのかがわかるだろう。
 また宝塚歌劇団作品でハバナと言えば、ミュージカルの名作『ガイズ&ドールズ』(1950)を挙げることができる。近年では2015年の星組公演で、プレイボーイのスカイを北翔海莉、救世軍の娘でお堅いサラを妃海風というキャスティングで上演された。この作品ではハバナの開放的な雰囲気にお酒も手伝って、ついつい気が緩んだサラがスカイにキスをしてしまう場面があり、ストーリー展開でも重要なポイントとなる。ただ時代設定は1948年頃で、アメリカ資本がキューバを本格的に侵略する前夜のハバナであり、キューバ革命が起こる10年も前の話だ。この作品においてハバナは単に陽気で開放的な土地柄として描かれているだけだ。
 このハバナという都市に、原田諒は革命の物語を読み込む。これは『ガイズ&ドールズ』がハバナに陽気さを読み込んでいたとは真逆の方向である。さらに言えば「ゲリラもの」という作品の内容からして先述したように、宝塚歌劇団のきらびやかさとも真逆の方向であると言ってもいい。
 しかし、恋愛ではなく革命を描く冒険、そして「ゲリラもの」といったきらびやかさと真逆な方向性を打ち出した特異な『チェ・ゲバラ』が今回成功したのは、以下に述べる三つの要因が重なったからである。
 第一に原田諒が歴史もの、評伝ものを追究する劇作家であるという点である。近年、原田諒が手がけた宝塚大劇場公演作品を挙げてみても、『ベルリン、わが愛』(2017、星組)ではナチス政権下における映画と政治の関係が、『MESSIAH ―異聞・天草四郎―』(2018、花組)では天草四郎と民衆のつながりが中心に描かれていた。特に『ベルリン、わが愛』の舞台上にはハーケンクロイツが登場する場面があり、ナチス政権の圧力を直接的に印象づけていた。またバウホール公演『ロバート・キャパ 魂の記録』(2012、宙組)、別箱公演(宝塚大劇場、東京宝塚劇場以外での公演)『For the people―リンカーン 自由を求めた男―』(2016、花組)などは、今回と同じく実在する歴史上の人物を描いている。これらの作品に通底するのは主人公を単なる偉人としてではなく、民衆とのつながりにおいて表現している点である。この民衆とのつながりというのは、原田諒がことのほか重視している点だ。ボリス・パステルナーク『ドクトル・ジバゴ』(1957)を原作とする『ドクトル・ジバゴ』(2018、星組)においても、ロシア革命の混乱を、医師ユーリが関係を持った民衆の視点から描こうとしていた。これらの作品に読み取れる主人公と民衆の関係は、今回の『チェ・ゲバラ』にも見事に描かれている。
 第二に専科所属である轟悠とのコンビネーションの絶妙さである。原田諒と轟悠のコンビは『For the people―リンカーン 自由を求めた男―』(2016)、『ドクトル・ジバゴ』(2018)とそして今回『チェ・ゲバラ』(2019)で3本目になる。これら3本のそれぞれのテーマ――奴隷解放、ロシア革命、キューバ革命を轟悠は熱く演じている。そもそも轟悠の「男らしさ」は雪組時代から定評があった。特に『エリザベート』初演時(1996、雪組、トートは一路真輝)のルキーニは絶品で、観劇したウィーンのスタッフたちが「男以外に見えない」と言う感想を口にしたという逸話が残されているほどだ。雪組トップ時代(1997~2001)だけでも植田紳爾『風と共に去りぬ』(1998)のレット・バトラー、柴田侑宏『凱旋門』(2000)のラヴィックなどリアルな男を強烈に感じさせる印象的な役柄が多い。
 手許のパンフレットを確認するに、私が轟悠を初めて観たのは植田紳爾『この恋は雲の涯まで』(1992、雪組)である。亀井六郎役で、若々しく端正な姿が印象的であった。その後、強烈な印象を残したのはなんといっても先述の小池修一郎『JFK』(1995、雪組)のキング牧師である。教会の演壇で「私には夢がある」というフレーズの歌唱によって演説を表現する場面はゴスペル風の音楽もあいまって圧巻で、これは今現在に至るまで轟悠の屈指の当たり役である。『チェ・ゲバラ』のエルネスト(特に国連総会での演説の場面)は、このキング牧師にその淵源を確認することができるはずだ。この男役のリアリティは原田諒が描く「熱い」キャラクターによってさらに加速し、これまでタッグを組んだ3作品において、入団35年を迎えようとする轟悠の新たな可能性が開拓された感がある。
 第三に別箱公演であったという点である。今回は宝塚大劇場、東京宝塚劇場での本公演と違い、月組のトップである珠城りょうと美園さくらが不在の公演であった(この2人は梅田芸術劇場での月組公演『ON THE TOWN』に出演中であった)。そのために専科の轟悠を起用し、本公演では上演できないであろう「ゲリラもの」を取り上げるなど大胆な試みが可能な状況であった。宝塚歌劇団で定番とも言えるトップスターと娘役のロマンチックな場面を、この2人が不在なために可能な限りそぎ落とし、革命そのものを強力に打ち出すことができたのは、このような興業形態にも要因がある。
 以上の3点が宝塚歌劇団としては特異な『チェ・ゲバラ』を成功に導いた要因と考えられるだろう。そして何よりも今回の大きな収穫はフィデル役の風間柚乃の完成度である。昨年の『エリザベート』(2018、月組)で、月城かなとの代役としてルキーニを務めてから、ひときわ大きな存在感を放つようになった。私はこのルキーニを観て風間柚乃に大きな魅力を感じた。続く齋藤吉正『夢現無双―吉川英治「宮本武蔵」より―』(2019、月組)の又八、そして今回『チェ・ゲバラ』のフィデルも同じく月城かなとの代役であるが、そのたび毎にしっかりとした成長を見せている。いずれの代役も歌唱と演技ともに安心して観ることができた。そればかりか、今回のフィデル役では轟悠と互角の雰囲気を漂わせていた点に末恐ろしさを感じるほどだった。特に第2幕の外交問題をめぐって2人が対立する場面で、風間柚乃は轟悠と明らかに互角に渡り合っていた。轟悠(71期)と風間柚乃(100期)のあいだには実に29年のキャリアの差があるが、それをまったく感じさせない役づくりには驚嘆しかない。今後の飛躍が楽しみな逸材である。