原田諒の戦略と轟悠のリアリズム――宝塚歌劇団月組公演『チェ・ゲバラ』を考える / 嶋田直哉
はじめに
宝塚歌劇団が『チェ・ゲバラ』を上演する。このあまりにも似つかわしくない取り合わせに当初は驚き、そして作・演出が気鋭の原田諒であることを知り、妙に納得し、さらに轟悠のポスターを見て、胸を躍らせたのはなにも私一人ではあるまい。政治を語ることをことさらに遠ざけ、タブー視しているとすら思える宝塚歌劇団のなかで、稀代の男役轟悠を起用し、この不可能とも思える取り合わせを可能にしてしまう原田諒にこそ、現在の宝塚歌劇団の最前線がある。そこには単に英雄としてのチェ・ゲバラではなく、常に民衆とともにあった一人の革命家の姿が丁寧に、そして現代の世界の政治状況に踏み込まんばかりに刺激的に描かれていた。
1 革命と恋愛――エルネストとアレイダ/ルイスとレイナ
開演前、緞帳はすでに上がり、舞台中央にはキューバを中心にアメリカ、メキシコの地図が示されている。特にメキシコとキューバはこの作品の主人公であるエルネスト・ゲバラ(轟悠)とフィデル・カストロ(風間柚乃)が出会い、ともにキューバ革命(1958)を起し、そして別れる場所だ。
暗転しプロローグは2019年のキューバの首都ハバナの街角。上手の壁にはエルネスト・ゲバラのポスターが大きく貼られている。その前を観光客らしき若者が通りかかり、スマホでゲバラのポスターを撮っている。どこにでもあるのどかな観光地の風景だ。ポスターに描かれているのは★マークのベレー帽をかぶったゲバラのイラスト。日本でもTシャツにプリントされ、街中で若者が着ているのをよく見かける。原田諒の演出はこのようにファッションと化した革命家を冒頭で印象づけ、現代の観客が抱く「チェ・ゲバラ」のイメージを短時間ながら丁寧になぞってくれる。
その後、舞台は一気に1950年代初頭、フルヘンシオ・バティスタ(光月るう)独裁政権下のハバナのとあるホテルのキャバレーへとさかのぼる。そこではバティスタがニューヨーク・マフィアの大物マイヤー・ランスキー(朝霧真)と密談をしている。光月るうが権力者の不遜な態度と、金を前に屈服する二面性を見事に表現し、そこからアメリカのキューバ支配と、この時期のキューバ政府の腐敗を読み取ることができる。また、この二人の会話に並行してキャバレーのダンサーのレイナ(晴音アキ)とバティスタの側近ルイス・ベルグネス(礼華はる)の出会いが描かれる。この二人はのちに恋人同士となる。ルイスはバティスタの側近でありながら、彼の独裁政治に疑問を抱いているようだ。
このようなキューバの現状と人間模様が描かれたあと、舞台はメキシコシティへと移る。ブエノスアイレスで医師になりながらも、ペロン政権下(ロイド・ウェバー『エビータ』に登場するあのペロンである)で富裕層ばかりに目を向け、民衆に寄り添わない医療の現状に苛立ち、メキシコシティへとやって来たエルネストと、キューバから国外逃亡したフィデルが偶然にも出会う。民衆への愛と政治を語るうち二人は意気投合する。そしてともに革命を志すべくエルネストはフィデルが率いる地下組織に加わり、メキシコシティ郊外のサンタ・ロサ農場でゲリラ戦の訓練を開始する。やがてリーダーとしての頭角を現わしていくエルネスト。彼らは小さな船グランマ号でキューバ国土への上陸を果たし、さらにマエストラ山中で潜伏活動をするようになる。
エルネストとフィデルが出会ってゲリラ活動に突入して以後は、ほぼ全員が軍服に身を包み、銃を片手にした姿である。この軍服は衣装として作られたものではなく、本物を着用しているため、舞台から遠目に見てもわかるほつれ具合は、ゲリラ戦のリアルさをごく自然に観客に訴えかけてくる。加えて農場での訓練や山中での潜伏活動といった地味な場面展開もあいまって、異様なまでの泥臭さが舞台全体をおおう。
これはトップスターとトップ娘役で、きらびやかな演出とともに恋愛物語を紡ぎ出す宝塚歌劇団においては非常に稀な展開である。このようななかで敢えて語られる恋愛関係について指摘すれば、エルネストとアレイダ・マルチ(天紫珠李)の関係、先述したルイスとレイナの関係である。しかし、この2組の恋愛関係がいずれも作品の主題にはなっていない点が重要だ。
エルネストはゲリラ活動の軍資金を調達したアレイダとトルキノ山頂で知り合い、のちに結婚する。しかしこの二人はお互いの関係をドン・キホーテと(ドルシネイア姫ではなく)サンチョに例えている。それゆえこの二人の関係は、恋愛関係というよりはともに革命という大きな風車に立ち向かう同志という点に重きが置かれている。第2幕では後述するように、国連総会での演説の直前と、キューバを出国しボリビアに向かう場面でエルネストとアレイダの二人だけの場面があるが、これらの場面でのナンバーはいずれも二人の恋愛よりもエルネストの革命についての理想が歌われている。さらに宝塚歌劇団定番のロマンチックな場面は極力避けられている。つまりこの二人の関係から語られるのは、恋愛よりもむしろエルネストが抱く革命へのあくなき執念なのである。
このような関係性はルイスとレイナにも当てはまる。第1幕幕切れは、マエストラ山脈で農夫ギレルモ・ガルシア(輝月ゆうま)らを加え、大人数となったゲリラ部隊と市民によるハバナ街頭での革命である。エルネストとフィデルを中心に展開されるダンスと歌唱は圧巻で、これまでのバティスタ独裁政権に対する民衆の不満と、新政府樹立の喜びを力いっぱいに観客に見せつける。
このような激しい革命運動と同時に描かれているのが、ルイスとレイナの関係である。キューバ革命の直前の場面で、独裁政権への欺瞞に不満を募らせたルイスは、その怒りをバティスタ本人に叩きつける。そして彼はハバナでの革命勃発の知らせとともに、バティスタによって銃殺されてしまう。その直後に舞台は先述の革命の場面になる。舞台では中央でゲリラ部隊の蜂起を描くと同時に、上手ではレイナが恋人ルイスの遺体を抱きながら号泣している。
ここではともすると革命と恋愛という全く別の次元の物語が舞台上で展開されているように見える。しかし、バティスタの独裁に不満を抱いていたルイスは、レイナの兄ミゲルを通じて、政府の重要な情報をゲリラ部隊に提供していたことからもわかるように、民衆による革命と、ルイスとレイナの恋愛は密接に関係していたのである。つまりルイス、レイナ、ミゲルという3人がバティスタ政権と民衆をつなぐように設定されることによって、革命と恋愛の物語が関連付けられ、同時に語られることになるのだ。