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革命アイドル暴走ちゃん 新春特別公演『うぇるかむ★2015 〜革命の夜明け〜』(構成・音楽・演出 二階堂瞳子) 2015年1月2日(金)〜4日(日) 絵空箱 撮影=Cyclone_A
革命アイドル暴走ちゃん 新春特別公演『うぇるかむ★2015 〜革命の夜明け〜』(構成・音楽・演出 二階堂瞳子) 2015年1月2日(金)〜4日(日) 絵空箱 撮影=Cyclone_A

I

 二〇一五年正月の観劇初めは二日の明治座『春日局』だった。テレビでお馴染みの橋田壽賀子脚本・石井ふく子演出のコンビで、舞台版も再演というが初見。場面転換の多さと、その間をつなぐための長いナレーションには辟易したが——そのおかげでテンポよく物語が進むが、芝居というよりテレビを見ているようだった——、お勝の方を演じた中田喜子がよかった。初日のせいか台詞の入りは怪しかったが、それを差し引いても存在感があった。こういうヴェテランが脇を固めるから商業演劇は面白い。

 正月二日とあって、客席やロビーには華やいだ雰囲気があった。といっても明治座は歌舞伎座や新橋演舞場と違い、パッと花の開いたような明るさはない。暗めの照明や劇場入口近くに置かれた石油ストーブが象徴するように、ここはつましい庶民のための劇場なのだ。だが人々の初春を寿ごうという気持ちは伝わってきて、かえって好ましく思われた。不景気で実際にはお金はかけられないけれど、気持ちだけでも切り替えて陽気になろう、そんなささやかな祝福の気分が明治座にはあった。

 翌三日は革命アイドル暴走ちゃんの『うぇるかむ★2015〜革命の夜明け〜』を見た。これまたお正月気分というか、こいつぁ春からめでてえな、という上機嫌にさせてくれるものだった。会場の絵空箱の都合で、いつもと違い水も生ものも飛んでこない、というせいもあったが、バナナ学園純情乙女組のときの特徴であった攻撃性が影を潜めるようになったのが革命アイドル暴走ちゃんの新たな傾向だ。いつもの「制御された混沌」はそこにあったが、その混沌はよりモジュール化し、プロトコル化し、儀式が年月を経る中で必然的に帯びる形式的空虚さが比重を増すようになっていた。そこにいたって私は初めて気づいた。あ、革命アイドル暴走ちゃんって、レヴューだったのか。

 『革命の夜明け』には後でもう一度言及する。四日は歌舞伎座で壽初春大歌舞伎夜の部を見た。二本目の『女暫』の他愛のなさに参ってしまった。なんと中身がないのだろう。二〇一〇年三月に立て直す前の歌舞伎座で見たときと、玉三郎の巴御前、吉右衛門の舞台番をはじめとして出演俳優は相当重なっていたが(でもこの時は敵方の首領・範頼を最近休演が続いて心配な我當がやっていて、それは大変よかった)、そのときにはこれほど見ていて楽しい、とは思わなかった。さよなら公演独特の雰囲気で、その熱気にどこか生真面目なものが感じられたからかもしれない。

 話はさらに脱線するが、昨今の歌舞伎俳優のテレビドキュメンタリーで稽古に臨む真剣さを語るのが定型になっているのはおかしいと思う。常人には真似のできない芸道精進の厳しさを説くのではなく一所懸命さを強調する演出は、「頑張ればどうにかなる」という市民道徳の強化には役立つかもしれないが、才能のある人間がその才能を最大限生かすためにいかに一見努力には見えない努力を重ねているのを伝えることはできないだろう。女遊びも芸の肥やしとまでは言わずとも、真面目に取り組むだけが努力ではないとなぜ言えないのか。一九九〇年代以降のネオリベラリズム社会において、日本人生来のクソ真面目さとアングロサクソンの勤労道徳が結びついて真剣さ(seriousness)に至高の価値を与えられるようになったからだ。けれど『女暫』のような作品の上演に真面目さが不要であることは言うまでもない。

 夜の部の三本目は猿之助が初お目見えの歌舞伎座ということで家の芸『黒塚』をやった。その良し悪しはさておき、猿之助の気合いの入りかたが私にはしんどかったが、『女暫』を見たあとだったのでまだ弛緩した気分で劇場を出られた。界隈はあまり正月らしい空気が感じられなかった。新しい歌舞伎座が開場してから東銀座——もはや気取って木挽町というのも憚られる——周辺は大手町のようなサラリーマン街の佇まいにますます似てきている。厳しい寒さもあって、この日もまた、うわついたり、ぼうっとしたりしている自分を表に出すのが憚られるような雰囲気が漂っていた。

 五日は家でゆっくり静養し、六日はミハイロスキー劇場バレエ『ジゼル』を見にいったが、これは割愛。七日は国立能楽堂で「玉井」を見た。国立能楽堂に出かけるときは、なるべく代々木駅から歩いていくようにしている。時間がないときはもっと近い千駄ヶ谷駅から行くが、駅を下りると左手に見える東京体育館、さらに遠景で重なる国立競技場などの建物、首都高速新宿線といったコンクリートの塊のような建造物が能を見にいく気分を削ぐ。代々木から北参道にかけての人気のない、神さびたともいえなくもない雰囲気を味わいながら私はのんびり歩いていった。

 「玉井」は海幸彦と山幸彦の神話をもとにした観世信光の作品で、小書(特殊演出)として「貝尽」がつくことが多い。間狂言に大勢の貝が登場して祝宴を張り、貝尽くしの謡を謡い舞うこの小書がつくことで、スペクタクルの性格が強くなる。五番立で最初に上演され祝言を内容とした脇能で、これもまた正月にふさわしく、何も考えずに楽しめた。後シテで登場する龍王の舞働は文字通り「見事」だった。

革命アイドル暴走ちゃん 新春特別公演『うぇるかむ★2015 〜革命の夜明け〜』(構成・音楽・演出 二階堂瞳子) 2015年1月2日(金)〜4日(日) 絵空箱 撮影=Cyclone_A
革命アイドル暴走ちゃん 新春特別公演『うぇるかむ★2015 〜革命の夜明け〜』(構成・音楽・演出 二階堂瞳子) 2015年1月2日(金)〜4日(日) 絵空箱 撮影=Cyclone_A

II

 観劇日記を牛の涎のごとく蜿蜿と書くんだったら自分のブログでやれ、と言われそうだ。だがこう書き綴ってきたのは、革命アイドル暴走ちゃんを今後評価していくうえで重要になるかもしれない、レヴューの「だらだら感」を味わってもらいたかったからだ。

 時代や国ごとに特色のあるレヴューを定義することは難しいが、二十世紀初めに流行した合衆国のレヴューは(一)ダンスや歌(ナンバー)と間に挟まるスケッチによって成り立ち、(二)一貫した物語が語られるかわりに、「テーマ」に沿ってナンバーが構成され、(三)大仕掛けなスペクタクルや目を引く衣裳など視聴覚に直接刺激を与えるもの、という特徴があった。日本では、レヴューの発祥地フランスと、フランスの影響下独自の形態のレヴューを生み出した合衆国の両方からの影響のもとに、昭和戦前期から戦後にかけて数千人を収容する大劇場でのレヴューが盛んに上演されたが、一九七〇年代以降人気を失っていった。一九一四年に初の公演を行った宝塚歌劇団はレヴューとドラマの二本立て公演とすることで現在でも根強い人気を誇っているが、一九二二年に松竹楽劇部として出発したOSK日本歌劇団は、経営難ゆえ一九五七年に松竹が手放し、千土地興行や近鉄の資本参加のあと二〇〇三年に解散、二〇〇四年に独立劇団として再開して現在に至る。一九二八年に創立された松竹歌劇団(SKD)は一九九〇年にレヴューをやめ(九六年に解散)、現在はその出身者が結成した薔薇笑亭SKDやSTASが細々と活動を続けている。

 これら三大少女歌劇には女性だけが出演したが、一九二九年に旗揚げしたカジノ・フォーリーや、一九三一年から新宿座を本拠地として活動したムーラン・ルージュのように小劇場で上演されるレヴューは男女混合だった。大劇場のレヴューでも、一九三六年結成の日劇ダンシングチーム(NDT)は男性も加わったショーを第一回公演から行った。この他、新宿コマ劇場、梅田コマ劇場、北野劇場などにも専属ダンシング・チームがあり、自前のレヴューを行っていた。NDT同様、劇場の閉場の同時あるいはその直前に解散を余儀なくされた。

 一時期あれほど栄えたにもかかわらず、なぜレヴューは今衰退して見る影もないのか。それはレヴューに物語が——つまり意味が——ないからだ。レヴューはドラマと違って、時間軸に沿って一つの物語が展開するわけではない。作品全体を支配する「テーマ」はあっても、作品を構成する各要素が意味によって緊密に結びつけられてはいない。一九七四年の『ベルサイユのばら』初演が、他のレヴュー団と同じく集客に悩んでいた宝塚歌劇団を救ったことから明らかなように、観客は劇場にダンスや歌より物語を求め、感覚を刺激されることより感情をかき立てられることだけを欲するようになっていった。

 その背景にあるのは、観劇慣行の変化、さらには社会自体の変化だった。一方では当日券を買ってふらりと劇場に入り、「だらだらと続く」レヴューをぼうっと眺める、という慣習が廃れ、他方では前売券を買って真剣に見入る以上「時間を無駄にできない」という吝嗇な感覚を観客は次第に持つようになっていく。社会全体がフォーディズムやテイラーリズムのような効率主義に染まっていった結果、レヴューだけでなく「レヴュー的なゆるさ」を持った作品を舞台で見ることは忌避されるようになった。(もっとも「暇つぶし」という人類誕生以来の悪弊までがなくなったわけではない。映画が、次いでテレビが、さらにはインターネットが、劇場に代わって暇つぶしの娯楽を提供するようになり、公共性がより高い劇場空間で暇つぶしするのはよくないという気にみながなっていっただけのことだ。)

 しかしまた、合衆国でのレヴューの隆盛は実質上一九二九年の大恐慌で終わりを告げた——入場料がもっとも高く一流の芸人しか出演しないことで有名だった『ジーグフェルド・フォーリーズ』は一九〇七年にはじまり一九三一年に終了している。一九一九年にはじまったジョージ・ホワイトの『スキャンダルズ』も、一九三九年に終了した——にもかかわらず、日本においては戦後高度成長期までレヴューに客が呼べたことには日本固有の事情もあった。そもそもレヴューの魅力は舞台に異世界を現出させることにある。場面ごとに転換する美しく豪華なセットを当時の観客は息を呑んで見つめた。現在のハリウッド映画で、コンピュータグラフィックスによる特撮が作り出す幻想的美しさに溜め息を漏らすのに近い。音の大きさも重要だった。電気的増幅技術がない頃のオーケストラは、音の塊を生み出して観客を圧倒させるという、今でいえば大音響でかかるクラブミュージックと同じ役割を果たしていた。戦前から戦後にかけての日本の貧しい時代、この視聴覚の饗宴とでもいうべきレヴューの魔法はたしかに効き目があった。日本が豊かになり、映画がよりリアルでより精巧な幻想的世界を見せるようになり、電気的に増幅された楽器音や人声が生活音に混じるようになると、こうしたレヴューの魔力は薄れた。

 日本のレヴューにはもう一つ、季節感を味わうという楽しみもあった。今でもOSKは「春のおどり」「夏のおどり」「秋のおどり」を上演しているが、同名の公演は松竹歌劇団や日劇ダンシング・チームにもあったし、宝塚歌劇団もその名で上演することがある。もともと芸妓の踊りがそう名づけられていたこともあり、また季節の移り変わりを寿ぐ門付芸の伝統もあって、和物レヴューに折々の季節を表す趣向が取り入れられた。着物の色や柄を工夫したり、桜の小枝(を模したもの)を持って踊ったりするささやかなものから、浅草国際劇場でのSKD公演のように、滝を設えて本水を使うなど大掛かりなものもあった。一年近くあるいはそれ以上のロングランが当たり前だったアメリカやフランスのレヴューにはないこの特色が、日本のレヴューの延命を助けたところもあったろう。レヴューの華美さは徹底徹尾「人工物」のそれだと思われがちだが、日本のレヴューに限っていえば、自然(を模したもの)を観て息抜きするという側面もあった。人工物はあっという間に時代遅れになるが、自然は古びないからだ。

 だが言うまでもなく、四季折々の風情を味わうといった習わしも私たちの日常生活から次第になくなり、季節感を求めてレヴューを見に行くこともなくなった。現在の私たちの演劇文化にレヴューの占める場所はこうして小さくなった。

革命アイドル暴走ちゃん 新春特別公演『うぇるかむ★2015 〜革命の夜明け〜』(構成・音楽・演出 二階堂瞳子) 2015年1月2日(金)〜4日(日) 絵空箱 撮影=Cyclone_A
革命アイドル暴走ちゃん 新春特別公演『うぇるかむ★2015 〜革命の夜明け〜』(構成・音楽・演出 二階堂瞳子) 2015年1月2日(金)〜4日(日) 絵空箱 撮影=Cyclone_A

III

 もっとも、レヴュー的なものを求める感性がすっかり失われたわけではない。上述のとおり、新生OSKは現在それなりの集客をしているし、宝塚は相変わらずの人気を誇っている。とりわけ、きらびやかで贅を凝らしたショーの要素はかつてほど広範囲の人々を魅了しているわけではないにせよ、今でも尽きせぬ魅力の源となっている。その一方で、カジノ・フォーリーやムーラン・ルージュ、大劇場でもNDTのレヴューが持っていたような猥雑さやいい加減さは、今の健全で清潔感あふれる大劇場のレヴューからは姿を消してしまった。その「欠落」を埋めるような格好で、毛皮族やFUKAIPRODUCE羽衣のような、小劇場でレヴューのいかがわしさを表現する集団がゼロ年代に生まれてきた。これは演劇史上興味深い。

 なぜならそれは、たんに主宰者や座付作家の個人的嗜好を反映しているというより、正統性あるいは「おもだたしさ」を求める時代の潮流への反撥だと考えられるからだ。言うまでもなく、レヴューのいかがわしさはその偽物性から来る。どこかに「オリジナル」「正統」とされるものがあって、それを臆面もなくパクり、おいしいところだけをとり、ごった混ぜにする。あからさまにそのパクリを公言することもあるし、巧妙に隠したつもりが見え見えのこともある。

 かつてそのいかがわしさはアングラ演劇が引き受けていた。紅テントや天井桟敷は悪趣味で、胡散臭いもので、それらが「アート」であると主張するためには、模造性や人工性を賞賛する美学を経由することが必要だった。だがアングラ演劇の後継者たる小劇場演劇はそうしたいかがわしさから次第に手を切り、もっと洗練された、もっと多くの人が「アート」と認めるようなものを生み出すようになった。なるほど、一方で先祖返りのような、あるいは懐古趣味の表れのような、アングラめいた作品を上演する集団も生まれたが、アングラ演劇の美学を「正統」とみなすような倒錯の上に成り立つそのような作品は「模造の模造」「パクリのパクリ」であって、アングラ演劇の臆面のなさ、ふてぶてしさは見られなかった。

 毛皮族の江本純子やFUKAIPRODUCE羽衣の糸井幸之助は、「自分たちの表現したいこと」が何かあって、それをレヴューという半ば滅びてしまった形式を通じて表現しているわけではない。むしろレヴューという形式が本来備えているいかがわしさを表現できると知って、その形式自体の可能性を追求している。それはおそらく、助成金文化のもとで非の打ち所のないアート——「本物」——を小劇場演劇にも求める動きに対する反撥として出てきた表現だ。かつてない厳格さで「きちんとしていること」「正しくあること」を要求するクソ真面目な時代の鬱滞する空気を吹き飛ばすために、彼らはレヴューの猥雑さ、いい加減さを欲している。
とここまではわかっていたのだが、胡乱なことに今回初春気分で浮かれて劇場めぐりをしてはじめて、ネオレヴューと名づけたいこの傾向に革命アイドル暴走ちゃんも含まれることに思い至った。今まで思いつかなかった理由は二つある。第一に、革命アイドル暴走ちゃんも、その前身のバナナ学園純情乙女組も、パクる対象となる「正統」なものがアニソンやインターネットカルチャーというそれ自体模造性の高いものだった。毛皮族における宝塚歌劇やFUKAIPRODUCE羽衣におけるアメリカンロックもかつては「模造品」だったが、すでに時を経て正統性を獲得している。文化はどんなものであれ出自は胡散臭く、時代を経るとおもだたしくなるものだが、アニソンやインターネットカルチャーは少なくとも私にとってはまだ模造品だった。だが革命アイドル暴走ちゃんを率いる二階堂瞳子や若い出演者にとって、それらは十分正統だった。そのことに私は気づかなかった。

 第二に、かつての二階堂には形式とは別に「表現したい」内容があったように見えた。バナナ学園純情乙女組時代の表現は「とがって」いたし、昨年二月相鉄劇場で上演した『騒音と闇』においても、「前説」として登場したプロデューサー樺澤良のDJぶりや幕切れの二階堂の挨拶には集団として再出発をはかることを余儀なくされた状況や周囲の人間の無理解・無関心ぶりに対する憤りや悔しさが示されていた。形式を洗練させることよりも、言葉にならない自分の思いを伝えたいという性急さが感じられるそうした作品は、いかがわしいレヴューではなく、「本物」のアートのように見えた。

 だが相鉄劇場公演のときも感じたことだし、今回は前回公演にも増してそうだったが、作品そのものはバナナ学園純情乙女組時代よりも「甘く」、空疎なものになってきている。今回の『革命の夜明け』ではとくに、出演者が抱きかかえた小道具を自分の赤ん坊に見立て慈しむ場面があって、それがいかにも唐突に見えた。たしかに前後の脈絡なぞもともとないと言われればそのとおりだ。だがこれまでの作品では、目まぐるしく変わっていく場面は二階堂の連想によってつながっているという印象を受けていたのに対し、今回はそういうイメージの連関が感じられなかった。冒頭で「モジュール化」と書いたのはそのことで、一つの場面ともう一つの場面を「意味もなく」つなげていく作業の結果として、唐突さが生まれてきたのだろう。そして言うまでもなく、「モジュール」として場面を組み立てていくのはレヴューの方法論だ。

 その一方で、全体が「お正月気分」でゆるく統一されていたことが今回新鮮に感じられた。これまでの作品はいわば二階堂の「思い」によって場面と場面がきちんとつながっていたのだが、そういうしっかりした連続性がなく、もっと「ふわっと」「なんとなく」つながっていく、その「いい加減さ」が絶妙だった。これまでは二階堂の真剣な「表現」にこちらも真面目に対峙しなければならないと気を引き締めてかかっていたところがあったが、今回は——『革命の夜明け』後に同様のレヴュー的作品を何本か見たこともあって——気を緩めて見ていられた。

 この作品が二階堂瞳子にとって転機となるのか、それとも今回は正月上演作品だから特別で、再び二階堂は「自己表現」へと戻っていくのかは、まだわからない。だがレヴューのバカバカしさ、くだらなさを愛する者として、私は今回のような「気分」だけの作品も作り続けてほしいと願う。それがこの国を今覆っている「真面目さ」という狂気への処方箋となると思うからだ。でもまあ、そんな理屈を大上段に振りかざして作品を作れば、かえって狂気に感染してしまうことになるか。願わくば楽しく、いい加減なレヴューを。だらだらと時間を過ごし、見ても何も残らなかった、というレヴューを。